幾つかの物語についての考察,2025年1月28日
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注意
これらの重要な展開を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』及びその漫画版にご注意ください。
漫画
『異世界失格』
『マンガで分かる心療内科』
『銀魂』
『鋼の錬金術師』
『NARUTO』
『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』
『築地魚河岸三代目』
『「もう....働きたくないんです」冒険者なんか辞めてやる。今更、待遇を変えてやるからとお願いされてもお断りです。僕はぜーったい働きません。』
『勇者に全部奪われた俺は勇者の母親とパーティを組みました』
特撮映画
『シン・仮面ライダー』
テレビドラマ
『ランナウェイ〜愛する君のために』
「暴露系動画配信者」を先取りしたドラマは現在ならどうなるか
ドラマ『ランナウェイ』では、冤罪の逃亡犯の主人公達が、偶然子供を虐待する親を見つけて、子供を助け出して共に逃げて、捕らえられたのですが、親が虐待の濡れ衣も主人公達に着せて、警察も元々の冤罪を自分達の都合で隠したいためにそれに加担しました。最終回ではその逃亡を知っていたある人間が、子供が再び虐待されるのを動画で配信して、逆に警察や親の嘘を証明しようとしました。
しかし、これは2011年のドラマでしたが、現在のドラマで同じ展開をすれば、「暴露系動画配信者を正当化する」として避けられるかもしれません。
『シン・仮面ライダー』漫画版『真の安らぎはこの世になく』では、非合法組織に所属しているものの「正義感」はあるイチローが、あるとき街で、カメラを持っているだけの成人男性が、スマホを持つ私人逮捕系動画配信者に絡まれるのを目撃して助け出しましたが、「大変失礼なのですが...行きがかり上助けた形になりましたが、万が一あなたが...」と言っており、のちに配信者について「配信するのはお金目当てか功名心でしょう」と言いつつ、「その被害者が悪くないとは限らない」という迷いもあったようです。
そのように、暴露系動画配信者の扱いは難しいのでしょう。
「不正義の後始末でしかない」「正義」もある
『真の安らぎはこの世になく』でイチローが助けた一文字松哉は、「拳を握る正義は不正義の後始末でしかない」と話しています。
そもそも『シン・仮面ライダー』の「拳を握る正義」である仮面ライダーの力は、「同等の力」を持つオーグメントへの対策でしかないのも象徴的です。
イチローの父親が本郷猛に与えたバッタオーグの、周りの生命エネルギーを吸収する能力も、本来の目的である食糧危機対策にはならず、あくまで世界全体の危機を防ぐために個人が周りの狭い範囲のエネルギーを独占するようなものでしたし。
物語の「正義」の中には、「不正義の後始末」でしかないものも多そうです。
『鋼の錬金術師』原作は『シン・仮面ライダー』に似たところがあると考えていますが、エドワードは「等価交換」にこだわり、金銭や物体修復については見返りなしでは助けない冷たさがありながらも、人の命については恩を着せたり恩を返したりするのにこだわらず、「人命に関わる危機的状況はそうそう起きないから返しようがないときもあるし、そもそも起きない方が良い」と無意識に考えている可能性があります。エドの「人を殺さない覚悟」も、「望まずに起きてしまった危機的状況」や「不正義」の後始末とも言えます。
「M」と「無敵」
「Mってある意味無敵」と『銀魂』原作のサブタイトルにありましたが、「いたぶられるのを楽しむ」のが「M」ならば、そのような「無敵」のキャラクターは他の作品にもいます。
『マンガで分かる心療内科』の好蔵も「M」であり、女性にいたぶられるのを楽しんでいたものの、別の男性に突き飛ばされたときは楽しまずに怒り、その男性が「M」に目覚めたのでいたぶられる座を奪われたのですが、「しばらくしたら見捨てられプレイで楽しむ」とみなされました。Mは放置されるのすら楽しめる、「いかなるマイナスもプラスに変えられる」のかもしれません。
『異世界失格』の「センセー」も殺意を向けられて「ありがとう」と言って「無敵か?」と呆れられました。
「損得じゃない」は「我々や身内の損得ではない」という意味が多い
『銀魂』の妙や『築地魚河岸三代目』のスーパーの常務は、「損得じゃない」という言葉を使ったことがあります。しかしその言葉は、あくまで「我々の損得ではない」、「身内の損得ではない」というような意味で、他の誰かの損得を心配してはいることは考えるべきです。
妙の場合、父親が残した剣術道場と借金に苦労して、それでも守ろうとして、「そもそも誰も剣術を習おうとしない」という新八の主張などについて、「損得じゃない」と言いましたが、あくまで死んだ父親の「損得」を考えていたのであり、「生きている我々の損得の問題ではない」という意味でしょう。
『築地魚河岸三代目』原作では、スーパーの常務が、部下の横山がミスをして忘れた大量の魚の注文を、急いで築地の仲卸に頼み、常務自身が気を利かせて頼んだのと重複したので仲卸からの分を無断でキャンセルしたのを、「元はと言えばお前のミスだろう。河岸は心意気で仕事しているから、困ったときは損得抜きで動いてくれるんだ!」と叱責しました。これも、「自分の店の損得より、無理な要求をする取引先の損得を優先した」という意味のはずです。
あくまで倫理というのは、「誰かに損をさせてはいけない」、「得をさせるべき」という論理を含み、「損得じゃない」という言葉を文字通り受け取るべきではないでしょう。
『銀魂』の「親が大事にしたもの」は良いものとは限らない
また、妙は「親が大事にしたものを守るのに理由なんて要るの?」と言ったものの、それに反する人物は『銀魂』にも茂々などがおり、親からのマイナスを引き継いでも耐える妙だからこそ「格好良い」のですが、引き継いだプラスを捨てるべきときもあるでしょう。
『銀魂』の「名言」、「名台詞」の中にも真に受けてはいけないものはあると考えています。
2025年1月28日閲覧
『銀魂』と「名台詞」、「名言」について比較した『NARUTO』でも、「親が残したもの」を変えたり捨てたりする要素が、柱間などの忍者にはありましたし。
そもそも、『銀魂』では分かりにくいものの、江戸時代は「侍」自体が上の身分だったはずであり、その要素である剣術道場を守ろうとして、借金すら返さない妙は、外側から見れば既存の権力や身分に固執するように見える可能性すらあります。侍という身分をほとんどなくした宇宙人が傲慢な態度の多いために分かりにくいだけで、仮に宇宙人が「日本人を平等にしたい」という善意でむしろ「侍という特権階級をなくす」ならば、「親が大事にしたものを守る」妙の方が悪役になりかねませんでした。あくまで劇中の「侍」の定義が「自分なりの美意識を貫く者」という曖昧なものなので、妙の行為が正当化されていると言えます。
「追放した側の失敗」を「された側が助けない」正当化の限界
『勇者に全部奪われた俺は勇者の母親とパーティを組みました』漫画版では、「追放もの」に多いらしいある批判について、1つの答えを出しています。
「追放した側がされた側の不足で失敗するときに、被害者が出たならどうするか」について、「そもそも酷使する世の中が悪い」という答えです。
今作では、ファンタジー異世界における10代半ばの勇者のパーティーで「縁の下の力持ち」だった主人公が、元々年長の日本人の転生者だったため、勇者達の横暴な扱いを「わがままな子供」のようにみなして寛容に扱い、追放されてもさほど恨まないところがあります。ネットには、「題名と異なり金銭などを何も失っていない」という指摘もみられますが。
そのあと主人公は勇者達の母親が、劇中世界の基準では「もう女扱いされない」30代でも、自分にとっては若いので女性扱いして、幸福になって行きます。また、母親達もかなり強い戦闘能力があり、子供より主人公を守ろうとする姿勢がありました。
そのあとも、勇者達やその父親の横暴な行いにそれなりの制裁をしても絶対的に嫌悪するわけではないのですが、すでに失敗している勇者達について、1つ独自の論理がありました。
勇者達が主人公の不足で失敗して「ざまぁ」をされるにしても、その被害者の一般市民はどうなるのかという疑問が、いわゆる「追放もの」に多いようですが、主人公はそれについて罪悪感を抱かない理由として、「そもそも勇者などの少人数の人物に戦わせる世の中が悪い。勝ちたいなら総力戦をすれば良い」という主張をあらかじめしていたという展開になりました。
しかし、これは徴兵制などのない現代日本から転生した主人公の価値観でしょうし、志願制でも徴兵制でも「総力戦をしろ」は極端な反論でしょう。たいていの物語は戦いなどで一部の人物に負担をかけざるを得ませんし、それはある程度正当化されます。だからこそ名誉や報酬があるはずですし。
また、現在の勇者達に守られる市民の中には、かつてその勇者達やその家族が幼いときに勇者やその仲間や支援者として戦って守っていたのが、年老いて守られる側に回った人物もおそらくいたでしょう。本作世界の平均寿命が短いとしてもです。
主人公やその大事にする「勇者達の母親」にしても、生きている限りいずれはそうなるはずであり、そのときに、「今の勇者達を酷使するなら失敗で死んでも仕方がない。嫌なら年寄りも含めて総力戦をしろ」と言われてどうするのでしょうか。
その意味で、「追放された側がした側を恨まない」、「失敗しても気にしない」展開として、「両方を酷使する世の中が悪いだけで、された側の不足で、した側が失敗した被害を責めるな」という論理には限界があります。
「追放もの」ではなく自ら辞める物語ですが、『「もう....働きたくないんです」冒険者なんか辞めてやる。今更、待遇を変えてやるからとお願いされてもお断りです。僕はぜーったい働きません。』漫画版でも、主人公の一見弱そうでありながら時間延長の出来る魔法を利用して、手を抜いていた職場が主人公の不足で失敗したのは「ざまぁ」になるとしても、その職場の失敗で街に魔物が現れたのは、「働かない」と決めた主人公にも責任があるはずだと私は考えました。こちらは突発的に1度魔物に目立つ形で対処しただけで、主人公が褒められて終わっています。
やはり、「追放した側」が「された側」にひどいことをしても、仕事をしていれば他の誰かを守っている、助けている要素はあるはずであり、その不足での失敗には、いずれ「された主人公」の責任も生じるかもしれません。
また、勇者達も失敗で命を落としかけており、「追放した勇者をされた側が恨まない」で「むしろ心配する」ならば、「世の中が悪い」としてもその被害者として、やはり助けないのは冷たいでしょう。
参考にした物語
漫画
野田宏,若松卓宏,2022-(未完),『異世界失格』,小学館
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2010-(未完),『マンガで分かる心療内科』,少年画報社
空知英秋,2004-2019,『銀魂』,集英社
荒川弘(作),2002-2010,『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社
山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
鍋島雅治/九和かずと(原作),はしもとみつお(作画),2000-2013,『築地魚河岸三代目』,小学館
原作/縛炎,漫画/村上メイシ,2022-2024,『「もう....働きたくないんです」冒険者なんか辞めてやる。今更、待遇を変えてやるからとお願いされてもお断りです。僕はぜーったい働きません。』,スクウェア・エニックス
久遠まこと,石のやっさん,2023-(未完),『勇者に全部奪われた俺は勇者の母親とパーティを組みました』,KADOKAWA
特撮映画
石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映
テレビドラマ
羽原大介(脚本),石井康晴(演出),2011,『ランナウェイ〜愛する君のために』,TBS系列