最近考えたことの「ゼロサム」などのまとめ,2024年10月9日
https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b
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注意
これらの物語の重要な展開を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』及びその漫画版にご注意ください。
漫画
『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『逆資本論』
『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』
『らーめん再遊記』
『株式会社マジルミエ』
特撮映画
『シン・仮面ライダー』
マルクスとゼロサムとプラスサムとゲーム理論
積極財政を主張する井上純一さんと、その主張の一部の理論であるMMTを取り上げるmihanaさんの漫画を何度か私は扱いました。
ただ、井上さんとmihanaさんで異なる部分として、MMTだけでなく、マルクス経済学の捉え方があります。
井上さんは、「自国通貨建て国債でデフォルトしないというのはMMTだと言われるが、単に財務省が認める経済の常識」だとして、MMT自体には触れていません。
井上さんの経済漫画を3冊目まで監修した飯田泰之さんも、MMTには基本的に賛成しないようです。
また、mihanaさんは、マルクス経済学の、「経営者による労働者の搾取」に注目しているらしく、井上さんが批判する斎藤幸平さんにも賛成するところがあるようです。
https://x.com/mihana07/status/1637672088604487681?s=46
2024年10月9日閲覧
なお、MMTはケインズの考えをもとにした新しい理論で、マルクスとは基本的に関係しないようです。
国債や政府支出や公共事業についての捉え方は井上さんとmihanaさんで一致することが多いものの、何故マルクスについては異なるのか整理します。
それは、ゼロサムかプラスサムかの考え方と、ゲーム理論も絡みそうです。
「等価交換」の間違い
まず、マルクスの経済理論は、「商品には込められた労働の分だけ一定の価値があり、同じ価値のものを交換する、等価交換で取引が成り立つ」という前提であり、そこから、労働者が作り出した製品の生み出す利益の一部を経営者が奪っている、労働者には受け取る賃金以上に働く「剰余労働」、「剰余価値」があり、それを「搾取」と表現しているようです。
日常的にも「搾取」は使われることが多く、経済学が主題ではない『らーめん再遊記』では、ある働きでボーナスが出ないことについて社員が社長に「強欲資本主義」と言ったり、『株式会社マジルミエ』では、大企業の社長が、同業で知り合いのベンチャー社長の会社の社員の「金ではなく美学で仕事をする」ことをその社長に「搾取が好きだね」と言ったりしています。
なお、『株式会社マジルミエ』では、その大企業の方が同業の零細ベンチャーより賃金の高いようです。しかし、有料サイトですが、「大企業の方が生産性が高いのは構造の問題であり、中小企業経営者が無能なのではない」と飯田泰之さんは書いています。
https://note.com/iida_yasuyuki/n/n31f281e52c69
2024年10月9日閲覧
一方井上純一さんは、『キミのお金はどこに消えるのか』シリーズで、「労働に限らず絶対的な価値の源はなく、労働量に価値は比例しない。商品とお金の交換は、売り手にとって商品よりお金の、買い手にとってお金より商品の価値が高いという価値観の違いがあるから成立し、価値観の違いこそ価値の源である」としています。つまり、搾取の前提の「等価交換」から否定しています。
「剰余価値」や「搾取」の間違い
また、井上さんによると、「マルクスはそもそも数学が苦手で、多分あるとした剰余価値や搾取を、のちに数学に詳しい人間が計算したところ、確かにあったが、あらゆる取引にあったので経営者も搾取されており、誰が悪いとは言えない」そうです。
そして『逆資本論』では、「マルクスの搾取の主張の前提は、誰かの得は誰かの損という直感的なゼロサムで、マルクスの時代までのイギリスは、物価が上がらず、通貨の全体が増えないデフレだったので奪い合いになり、ゼロサムが信じられるのは仕方がなかった。しかし近代国家のほとんどは、ここ20年の日本を除けば少しずつインフレして、プラスサムで労働者も途上国も含めて豊かになっている」とあります。
さらに井上さんは、「店で無理な値引きを要求する客がいれば取引が成立しないように、商売とは相方が得でなければ成立せず、本来プラスサムゲームである」と書いています。
この意味で、マルクスの「搾取」は、ゼロサムに鍵があるようです。
また、飯田泰之さんの参加する書籍『ブックガイド88』では、「アダム・スミスなどの経済学の生まれる前の、重商主義における国同士の金銀の奪い合いなど、強者が弱者から奪ったり社会を統制したりする弱肉強食のイメージが、今でも日常的な感覚で信じられやすいが、経済学は本来、それぞれの国同士で生産したものを輸出し合って両方豊かになるなどを目指すものである」、「経済学と言えば弱肉強食というろくでもないイメージが蔓延している」とあります。
ゲーム理論の内的評価は、「等価交換」を否定している
この主張で私が個人的に重視するのは、ゲーム理論の内的評価です。
ゲーム理論は個々のプレイヤーの選択の組み合わせでの損得を計算するものですが、奪い合いとは限りません。
ゼロサムゲームもありますが、プラスサムのゲームもあります。
たとえば、ある商品が、売り手Aにとって1000円の価値、「内的評価」があり、それ以上で売りたいときに、その商品に1200円の価値があるとみなす買い手Bがいれば、その間の金額P円で売れば、両方得をします。
AはP-1000円、Bは1200-P円得をして、その合計は常に1200-1000=200円です。
重要なのは、2人の利益の合計は、2人の商品についての内的評価、主観的な価値の違いで決まり、この時点でマルクス経済学の前提である等価交換の図式が崩れていることです。
また、これで交換するときに、しないときに比べて双方の利益は増えているので、確かにプラスサムゲームです。
「全体の利益を増やす」ための売り買いの組み合わせと需給
このとき、売り手と買い手が複数ずついる場合、複雑な数式は省きますが、「一番安く売りたい売り手が一番高く買いたい買い手に売り、2番目に安く売りたい売り手が2番目に買いたい買い手に売る」ように当てはめていくことで、内的評価の差異の合計を全体で最大に出来るようです。
ただし、売り手の商品への内的評価、売りたい下限が、買い手の商品への内的評価、買いたい上限を上回ってしまった場合は取引が成立せず、全員が売り買い出来るわけではありません。
この図式から、売る価格は、「売り手の示す価格より買い手が高く買いたい」のが成立する中で、もっとも高く売りたい売り手と、もっとも安く買いたい買い手、つまりもっとも近い組み合わせの内的評価の間で定まるようです。
これはゲーム理論からの結論ですが、従来の経済学での需要と供給でも似た結論が出ます。
これを小島寛之さんは、「いかに需要と供給の論理が強固か示している」とまとめています。
マルクス経済学でのゼロサムの結論に反する、全体のプラスを大きくする答えが、売り手と買い手の内的評価の組み合わせで出るわけであり、等価交換の構図も崩れています。
「弱肉強食」の論理が残っていないか
しかし、この数式の解釈により、マルクス経済学の「搾取」、「弱肉強食」の論理が残るおそれもあります。
まず、先ほどの売り手Aと買い手Bの内的評価の差異で合計200円得をするとしても、価格次第では200円を奪い合う綱引きになります。
交換しないよりはする方が双方得をする意味でプラスサムでも、売り手と買い手の力関係次第で価格をどちらかに有利にされてしまうのでは、内的評価の違いから決まった一定の利益を奪い合うゼロサムという解釈もあるかもしれません。
mihanaさんの漫画で、複数の企業や消費者が関係するときに、消費税などを誰が負担するかは力関係で決まり、弱い立場の事業者に不利になるとあります。
交換するときの、合計の決まった利益を強者が弱者から奪うという論調がmihanaさんにあるなら、そこにゲーム理論からの結論をゼロサムに解釈しているのかもしれません。
また、このとき、交換しないよりする方がましではあるので、「少ない利益でもないよりはまし」だと立場の弱い方が黙って取引し続けることを、mihanaさんは「搾取」と表現したいのかもしれません。
井上純一さんはおそらく、ゲーム理論でも扱われる「内的評価の違い」により、「交換しないよりする方が両方得をする」ことをプラスサムと表現して、mihanaさんはおそらく、「内的評価の違いによる一定の利益」を奪い合い、立場の弱い取引相手が利益を減らされても取引しないよりはましなのでやめられないことをゼロサムのように「搾取」と表現しているとみられます。
国家の収奪と企業の搾取の違い
なお、井上純一さんとmihanaさんの積極財政の主張からは間違っているとみられる佐藤優さんのマルクス経済学を扱った『いま生きる「資本論」』では、「マルクスの『資本論』には国家や税金の話がない」、「税金は国家が収奪するもので断れないが、企業の搾取は辞めることで断れる」とあります。mihanaさんの主張する「搾取」は、本当は法人減税と消費増税などの「収奪」の偏りの問題かもしれません。
飯田泰之さんの『脱貧困の経済学』などをまとめますと、「国家は外部のないクローズドシステムで、企業は出て行けるオープンシステムである」とあります。収奪と搾取の関係にも近いかもしれません。また、飯田泰之さんの参加する『ブックガイド88』では、重商主義や戦国大名のような、企業経営で利益を周りから奪うような考えを今の国家に適用するのは、日常的な感覚では考えがちではあるが経済学からは間違いだとあります。
国家の収奪と企業の搾取、クローズシステムとオープンシステム、プラスサムとゼロサムの区別が、マルクス経済学をどう扱うかで重要かもしれません。
なお、有料サイトですが、飯田泰之さんは佐藤優さんと池上彰さんも扱う、日本のマルクス経済学において、世界と同じ段階の歴史の変化を日本がするかの労農派と講座派という議論を「くだらない」、「ルパン三世を名探偵コナンが逮捕出来るかぐらいの意義しかない」、「そもそもマルクスの言う通りの歴史の変化をしたのは西ヨーロッパだけ」だと否定しています。
https://note.com/iida_yasuyuki/n/nf1efe4c8b8fd
2024年10月9日閲覧
なお、先ほどの複数の売り手と買い手の組み合わせで、全体の利益、内的評価の差異の合計を増やすためには、1番安く売りたい売り手と1番高く買いたい買い手の組み合わせが重要で、差額の大きい組み合わせから成立し、ある意味「1番安く売りたい」、「1番高く買いたい」強者から先に得をして、高く売りたい、安く買いたい弱者は残ってしまう可能性があります。
それを「弱肉強食」と言う余地はあるかもしれませんが、これは需要と供給の論理から当然だとも言えますし、一概に冷たいとも言えないかもしれません。
ここに、全体の利益の多さを重視するか、もっとも損をする人物の損害を減らすことを重視するかの倫理学の議論とも関係がありそうです。
なお、『シン・仮面ライダー』の仮面ライダーのエネルギーも、ある意味で「全体の取り分を増やせない中で周りから奪うことの問題に気付かない」間違いの議論の対象になっていましたが、「最大の不幸を減らす」役には立つという解釈の余地がありました。
『シン・仮面ライダー』のコウモリオーグについて
『シン・仮面ライダー』漫画版のコウモリオーグは、自分のヴィルースが、プラーナというエネルギーを扱うルリ子と本郷に効かなかったために逃げていますが、新しいヴィルースでそれすら上回ろうとしていました。
私が以前予想した通り、コウモリオーグを逃がせば、プラーナで制御出来ない新しいヴィルースを作られる可能性を、少なくとも彼は期待していたわけです。
その意味で、やはりバッタオーグの本郷がコウモリオーグを逃がさず倒せたことが勝敗を分けたようです。
2024年10月9日閲覧
参考にした物語
漫画
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA
井上純一,2023,『逆資本論』,星海社
山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
久部緑郎(原作),河合単(作画),2020-(未完),『らーめん再遊記』,小学館
岩田雪花,青木裕,2022-(未完),『株式会社マジルミエ』,集英社
特撮映画
石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映
参考文献
飯田泰之/著,雨宮処凛/著,2012,『脱貧困の経済学』,筑摩書房
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社
小島寛之,2012,『ゼロからわかる経済学の思考法』,講談社
飯田泰之・井上智洋・松尾匡,2020,『経済の論点がこれ1冊でわかる教養のための経済学 超ブックガイド88』,亜紀書房