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『ドラゴンボール』やクトゥルフ神話を、梅原克文作品で結び付ける


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これらの作品の重要な展開を明かします。


注意


小説に関しては、必要最低限の説明のみにします。


小説
『二重螺旋の悪魔』
『テュポーンの楽園』
『ソリトンの悪魔』
『カムナビ』(梅原克文)
『サイファイ・ムーン』


『潜伏するもの』
『狂気の山脈にて』
『古きものたちの墓』

『ロボット』(チャペック)


漫画
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』

テレビアニメ

『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』
『ドラゴンボール超』


アニメ映画
『ドラゴンボール超 ブロリー』

特撮テレビドラマ
『ウルトラマンネクサス』

映画
『猿の惑星』(第1作)

 ゲーム『ドラゴンクエスト』の情報については、書籍の記述を基にしています。

はじめに



2022年1月22日閲覧

 梅原克文さんの『二重螺旋の悪魔』と「クトゥルー神話」や『新世紀エヴァンゲリオン』や『ウルトラマングレート』の関連性を考察しました。


 しかし、『エヴァ』以外にも、意外な形でクトゥルフ神話と結び付く作品を見つけました。『ドラゴンボール』シリーズです。


 人間サイズのキャラクターの格闘が多い『ドラゴンボール』シリーズと、「邪神」などの巨大かつ触手などの人間離れした要素を持つ生命体による圧倒的な恐怖を描くクトゥルフ神話は、一見するとかけ離れています。


 しかし、『二重螺旋の悪魔』以外の梅原克文さんの小説、具体的には『テュポーンの楽園』、『ソリトンの悪魔』、『カムナビ』、『サイファイ・ムーン』を読むことで、ある種の繋がりを見出せます。
 そこから、ショゴスやスライムや魔人ブウや「ロボット」の「自由と不自由と責任」の問題を検証します。

『ドラゴンボール』シリーズと梅原克文作品


 まず『ドラゴンボール』シリーズは、原作を説明しますと、ドラゴンボールを生み出した神々や宗教的存在に認められた宇宙人や地球人が、地球や宇宙の治安を乱す存在と戦います。
 しかし『ドラゴンボール超』では、宇宙人の「悪の帝王」だったフリーザとその部下であったサイヤ人の対立を、破壊神ビルスが「サイヤ人を滅ぼすのが面倒だった」ので利用していました。そののちも、様々な神々が人間を危機に陥れます。
 これを連想させるくだりが、『二重螺旋の悪魔』では、「悪魔」と「人間」に関してあります。
 映画『ドラゴンボール超 ブロリー』で、フリーザは「悪魔」と呼ばれています。
 クトゥルフ神話では五芒星の形が重要になります。これは生物学においての棘皮動物の形態が重要だと見られますが、『二重螺旋の悪魔』にも五芒星の形を持つ生物の描写があります。
 『テュポーンの楽園』では、「クトゥルー神話」の説明はありませんが、『狂気の山脈にて』の「古のもの」の5つで対称な部分を4つにしたような生命体がいます。
 また、その形状がバクテリオファージや宇宙探査機を連想させると描かれており、元々『狂気の山脈にて』の描写が繋がっていたのかもしれませんが。
 ただし、生物学的な五芒星がそのまま『ドラゴンボール』のドラゴンボールなどの五芒星に繋がるか、と言われますといまひとつ割り切れませんが。

 また、人間を敵視する「宗教的存在」が、その敵視する根拠であるはずの行動の果てに人間が手に入れた「ある能力」には興味を示すのも、『テュポーンの楽園』と『ドラゴンボール超』の共通点です。髪の毛に関する共通項もあります。
 『ソリトンの悪魔』では、「悪魔」に対して「天使」と呼ばれる描写のある存在がおり、その中立的な部分が、『ドラゴンボール超』における天使を連想します。
 『カムナビ』では、ある存在により、人間の命や地球の安全が薄氷を踏むような状況だったという設定があります。それは、クトゥルフ神話『潜伏するもの』でのある存在のエネルギーにも似ています。
 元々『潜伏するもの』はウルトラシリーズと似ていると考えていますが、そのエネルギーやウルトラシリーズの要素が、仮に人間や地球を軽視するものであれば、というホラーを『カムナビ』で描いているとも言えます。

 『ドラゴンボール』の元気玉も連想するものが、『カムナビ』にあります。
 『ドラゴンボール超』では、破壊神や全王などの神により、それまでの主人公達の必死に守っていた安全や平穏な世界が、非常に不安定だったと判明しました。『カムナビ』をどこか連想します。
 ただし、『ドラゴンボール』原作も、「地球の神」がピッコロ、北の界王がフリーザ軍、東の界王神が魔人ブウの危機を管理し切れずに地球を危険にさらしている部分はありました。
 梅原さんの短編集『サイファイ・ムーン』「アルジャーノンに菊の花を」は、「仮に人間が『ドラゴンボール』のフリーザの立場ならば」というような想定をホラーにしたとも取れます。
 また、『猿の惑星』第1作の結末の「自由の先の破滅」とも言うべき要素も感じ取れます。
 また、『サイファイ・ムーン』「胡蝶乱武」では、クトゥルフ神話の「シャッガイの昆虫」に似た要素を持つ存在がいます(ダニエル・ハームズ 2007年:pp.134-135)。『ドラゴンボール』のセルは、きわめて強いのが異なりますが、シャッガイの昆虫に似ているところもあると私はみなしています。


 これ以上深入りした説明は避けますが、それぞれの作品を読んでみると、考察が複雑になると見られます。


魔人ブウとショゴスとスライム


 『ドラゴンボール』では、魔人ブウが原作の最後の強敵ですが、『狂気の山脈にて』のショゴスと意外な繋がりがあります。
 ショゴスは「古のもの」に生み出された原形質状の奴隷の生物で、知能を付けて反旗を翻しました。
 『ウルトラマンネクサス』の「来訪者」に反乱したダークザギを連想します。
 ショゴスに関して、クトゥルフ神話『古きものたちの墓』では、「働かせるためには、ある程度の自由も必要だろう」という推測があります。
 そして、このショゴスはファンタジーのゲームにおける、原形質や粘液状のスライムのイメージの起源だとされるのです。ショゴスには、クトゥルフ神話の恐ろしげなイメージがあります。
 私が読んだ考察本では、元々『ドラゴンクエスト』のための別の原画を鳥山明さんがスライムとして「可愛らしく」描いたのが歴史的に重要だとされます(ドラゴンボール世界研究所 2013年:pp.209-213)。
 しかし、私はそののちの『ドラゴンボール』の魔人ブウを、スライムにショゴスの原点へ回帰させたものがあるとみなしています。
 原形質のショゴスの不定形のイメージを、魔人ブウのスライム状の体や不定形の再生能力に重ね合わせて考えました。
 魔人ブウは『ドラゴンクエスト』の愛嬌のあるスライムに、ショゴスとしての再生などの手強さや脅威を戻し、格闘しやすい人型の体を与えた発想があるのではないか、と推測したのです。



「自由と不自由と責任」


 
 魔人ブウは魔導師ビビディに生み出された生命体で、その息子のバビディの命令で破壊を楽しんでいましたが、その横暴な姿勢に憤り、反乱を起こしました。
 しかし、そこでは、「自由と軸になる不自由と責任」の問題があります。
 バビディは飛ぶ魔人ブウの背中に乗り、速度を出し過ぎたのを「落っこちちゃうじゃないか、馬鹿!」と怒鳴り散らし「カチン」とさせました。
 また、バビディは封印の呪文で脅す一方であるのに対して、「魔人ブウは僕の家来なんだから言うことを聞くのは当たり前だ」と主張していました。
 けれども、『サイファイ・ムーン』の先述したホラーを振り返りますと、「人間は異なる生物を対等に扱えるか」という疑問があります。フリーザの立場に人間がなればどうなるか、とも言えます。
 『二重螺旋の悪魔』でも、人間が他の生物によるバイオテクノロジーの実験台になればどうなるか、という描写があります。
 「古のもの」もショゴスを対等にみなせないために対立を招いたと見られます。
 そう考えますと、バビディが魔人ブウを蔑むのも、「自分と種類が異なる生物だから」とも言えます。バビディは他者を徹底的に殺戮するものの、父親のビビディに関しては自慢していました。


2022年1月22日閲覧


2022年1月22日閲覧


 また、私は「自由」の概念を、カントの「空気がなければもっと飛べると考える鳩のような」という言葉から、自由には軸となる不自由が必要だと考えています。
 その環境で、バビディは蔑んでいる魔人ブウに「速く飛び過ぎたら僕が落ちることぐらい自分で考えろ。自分で判断する自由を与えてやるから責任を取れ」という安易な「自由と不自由と責任」を与えたと見られます。『古きものたちの墓』で自由を与えたようにです。
 それに魔人ブウが「カチン」としたのは、自分で考えろという不自由と不利益を、自由に伴う責任であるかのように主張されたためとも言えます。
 対等にみなせない異なる生物を奴隷として、「自分で考えろ」という自由と不自由と責任を一方的に押し付けて対立を招いたのは、ショゴス、魔人ブウに通じるところがあります。
 フリーザもサイヤ人に科学技術を与えて反乱の余地を与えた部分があります。

「ロボット」の自由とは


 SFの世界において、本来ロボットとは「労働」を意味しており、奴隷である人工的な生命体を指した作品として、チャペックの『ロボット』があります。というより、こちらが働く「ロボット」の概念の始まりのようです。
 『古きものたちの墓』ではそれを意識してか、生物としての異様さを強調したかったのか、ショゴスをロボットと呼んでいます。ロボットが自由を求めて反乱する物語はありますが、ショゴスと魔人ブウもそれに近いのかもしれません。
 『ドラゴンボール』では、他に、人間を改造した人造人間や、純粋な機械の「ロボット」である人造人間などもおり、それらの存在の「悪」が、「そもそも主人公達が彼等を人間扱いしていないためでもあるのではないか?」とも取れるくだりもあります。 

まとめ

 異なる生命を対等だとみなすか、自由と不自由と責任をどう扱うかの議論から、『ドラゴンボール』とクトゥルフ神話と梅原克文さんの小説の関連が見て取れます。


参考にした物語


小説
カレル・チャペック(著),阿部賢一(訳),2020,『ロボット』,中央公論新社
チャペック(作),千野栄一(訳),1989,『ロボット R.U.R.』,岩波書店
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
梅原克文,2018,『テュポーンの楽園』,KADOKAWA
梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
梅原克文,1999,『カムナビ』,角川書店
梅原克文,2001,『サイファイ・ムーン』,集英社
H.P.ラヴクラフトほか(作),大瀧啓裕(訳),1990,『クトゥルー 8 暗黒神話体系シリーズ』,青心社(『潜伏するもの』)
H・P・ラヴクラフト(作),大瀧啓裕(訳),1985,『ラヴクラフト全集4』,東京創元社(『狂気の山脈にて』)
ラムジー・キャンベルほか(作),増田まもるほか(訳),2013,『古きものたちの墓』,扶桑社(表題作)


漫画
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)

テレビアニメ
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
金田耕司ほか(プロデューサー),葛西治(シリーズディレクター),宮原直樹ほか(総作画監督),松井亜弥ほか(脚本),鳥山明(原作),1996 -1997(放映期間),『ドラゴンボールGT』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)

アニメ映画
長峯達也(監督),鳥山明(原作・脚本),2018公開日),『ドラゴンボール超 ブロリー』,東映(配給)

特撮テレビドラマ
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004-2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)

実写映画
フランクリン・J・シャフナー(監督),マイケル・ウィルソンほか(脚本),ピエール・ブール(原作),1968,『猿の惑星』,20世紀フォックス

参考文献


ドラゴンボール世界研究所(著者),2013,『ドラゴンボール超考察』,KKベストセラーズ
ダニエル・ハームズ(著),坂本雅之(訳),2007,『エンサイクロペディア・クトゥルフ』,新紀元社
森瀬繚(編著),2019,『シナリオのためのSF事典 知っておきたい科学技術・宇宙・お約束120』,SBクリエイティブ

本川達雄,1992,『ゾウの時間 ネズミの時間』,中公新書

本川達雄,2017,『ウニはすごいバッタもすごい デザインの生物学』,中公新書

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