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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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これまで書き落としたことのまとめ,2023年6月29日

https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
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注意

これらの重要な情報を明かします。特に、『ΑΩ』にご注意ください。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンメビウス』
『ウルトラマンギンガ』
『ウルトラマンギンガS』

特撮映画

『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』
『ウルトラマンサーガ』
『シン・ウルトラマン』

漫画

『ドラゴンボール』
『NARUTO』
『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』
『らーめん再遊記』
『絶園のテンペスト』
『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』

テレビアニメ

『NARUTO 』
『NARUTO 疾風伝』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボールZ』 

小説

『オタク王子と作家令嬢の災難』
『ソリトンの悪魔』
『AΩ』
『ターミネーター3』
『偽りの私達』

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web原作,書籍)

はじめに

 今回は、以前から気になっていたことを、noteで書き落としたのでまとめようと思います。

『オタク王子』の解説

 

2023年6月29日閲覧

 『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』について、『シン・ウルトラマン』や『NARUTO』との関連を考察しました。ここでは、政治思想のナショナリズムとの関連を探ります。
 『オタク王子』は、西洋風ファンタジーの、ただし魔法の類の見当たらない異世界で、出版技術が発達して小説が平民にも売れるようになった時代に、中流貴族令嬢のフィオラが、他の貴族が箔をつけるために書く歴史小説などとは別の、「低俗」と言われるロマンス小説で売り上げを伸ばし、貴族にも陰ながら読まれているようです。
 また、王子のウィルフレッドはそのファンであることをはばからずに言います。
 そして貴族も恐れる、十字架を重視する宗教を崇拝する外国の犯罪者集団「アルティスタ・ファミリー」との事件の冤罪に巻き込まれ、フィオラは作家としての売り上げを事件解決に利用しようとします。

『オタク王子』とナショナリズム

 これに私は、ナショナリズムの言語、産業、宗教との関連を見出しました。
 ナショナリズムは、政治的な境界と文化的な境界を一致させる、国家主義あるいは国民主義あるいは民族主義と言われます。
 これだけでは分かりにくいのですが、幾つかナショナリズムの書籍を読みますと、重要な繋がりが見えます。
 近代ヨーロッパのナショナリズムの発達は、聖書がそれまで専門的なラテン語などで書かれていたのが、ドイツ語などの一般的な言語に翻訳され、さらに出版技術と資本主義の発達により一般人でも聖書を読めるようになったことが、国内の国民の団結を促し、代わりにヨーロッパ各国で異なる言語を話す人間同士の対立を招いたとされるようです。
 つまり、「一般的な言語さえ通じていれば、あとの違いは受け入れる」多様性や普遍性と、「言語の違いは受け入れない」単一性や特殊性を併せ持つのが、ナショナリズムの他の思想と異なる難しさなのです。「国民という限られた共同体」が重要だとされます。
 『オタク王子』でも、出版技術、資本主義により、「低俗」と言われるロマンス小説でも中流貴族と平民が繋がり、それを上流貴族や王族でも無視出来なくなる社会現象にすることで、身分などを問わない普遍性があります。しかし、題名が『天使戦記』であり、宗教的要素を「ロマンス」にしているため、アルティスタの所属する厳格な宗教を信じるらしい「聖教国」には受け入れられない可能性があり、フィオラもその辺りは考慮しているようです。
 出版、資本の発達で国民をまとめても、宗教にかかわること、外国には通じないという二面性が、ナショナリズムに似ていると私は考えます。
 

『NARUTO』の3種類のナショナリズム

2023年6月29日閲覧

 また、『オタク王子』に関連付けて考える『NARUTO』にも、ある種のナショナリズムがあります。
 忍者の所属する隠れ里同士の争いが描かれる『NARUTO』において、主人公のナルトの所属する木ノ葉隠れは、創設者の千手柱間の一族と対立していたうちは一族との確執があったと後半で判明しました。
 うちは一族が、自分の血縁者を重視して、「愛情深いために憎しみが強くなる」民族主義に近いとすれば、そのうちはを虐げたと言える木ノ葉の幹部のダンゾウは、「里を個人より優先する」国家主義があると考えます。
 そして、「木ノ葉の忍者は無神論者ではなく、先代を神としている」と他の里の出身のペインに表現されています。木ノ葉の忍者は、「仲間を大切にする」などの「火の意志」を重視して、それを教わったナルトは、里から差別されたこともありつつ、徐々に仲間との信頼を得て行きました。
 ナショナリズムを「政治の境界と文化の境界を一致させる」とすれば、ナルトは「火の意志」と言える「信念」、客観的には「文化」や「宗教」に当たるかもしれない概念を、戦いという政治的なものと一致させる「火の意志ナショナリズム」があるとも考えられ、里を国に置き換えれば、「国民でありさえすれば一族などの他の違いを受け入れる」国民主義があると考えています。
 『NARUTO』には、うちはの民族主義、ダンゾウの国家主義、ナルトなどの国民主義の3つのナショナリズムがあると考えます。
 血縁の一族を「身分」と置き換えれば、『オタク王子』の身分の差異を、出版、資本、宗教による小説執筆で超えていくフィオラは、ナルトの国民主義のような主張に、ナショナリズムとの関連で似ているかもしれません。

『サーガ』や『ガイア』劇場版の文化とナショナリズム

 また、ウルトラシリーズでは、主人公達が異質な存在を受け入れていく交流がしばしば描かれますが、そこには日本文化が前提となる場合もあります。その二面性が、ナショナリズムとも言えます。
 『ウルトラマンサーガ』で、地球や火星で暮らしていた日本人のアスカが変身するウルトラマンダイナが、別の世界の地球に来たとき、その世界の人間を助けるために、怪獣を倒したものの敵か味方かの認識が曖昧で、言葉を話せないため、サムズアップで受け入れられました。
 しかし、このサムズアップは、日本以外では必ずしも通じない文化です。言葉の通じない、別の種族であるウルトラマンでも、文化の共有により受け入れられる普遍性や多様性があるようですが、それは別の地球に、アスカと同じ文化を持つ日本人がいたという偶然に依存したところもあります。仮にサムズアップの通じない国にダイナが来ていれば、対立を招いたかもしれない意味で、単一性や特殊性もあります。これは言わば「日本文化」と、異なる種族を味方にすべきかというルールの境界を一致させるナショナリズムとも言えます。
 『サーガ』では、別世界であっても、ウルトラマンを知らない人間とウルトラマンであっても、防衛の知識のない隊員でも女性でも互いを認め合える多様性がありますが、日本文化の単一性には依存しているのです。
 『ウルトラマンガイア』劇場版でも、ウルトラマンガイア=高山我夢が別の世界の地球の日本に来たのですが、それぞれの世界でウルトラマンや怪獣が存在するかという根本的な違いがあるにもかかわらず、『ガリバー旅行記』の存在が共通していました。こうして、違う世界の少年の勉と我夢が通じ合うことになっています。
 特に我夢は、一度自分の世界に戻っても、自分の未知の技術を使ってでもその世界を助けたいという使命感を持っています。
 しかし、『ガリバー旅行記』の存在もある種の特殊な文化であり、その偶然の一致で、異なる世界を助ける普遍性が支えられています。

『シン・ウルトラマン』の「無言」の日本文化とナショナリズム

 また、『ガリバー旅行記』の概念が登場する『シン・ウルトラマン』では、「無言の自発的な助け」というある種日本流の文化が、世界の命運を左右するところがあります。
 『シン・ウルトラマン』で外星人(宇宙人)のウルトラマンが、禍威獣という生物を倒す中で偶然死なせてしまった人類の神永の、「他者のために自分の命を犠牲にする」精神を「理解したい」というために融合して、神永になりすましていました。
 ウルトラマンは、「他者のために自分の命を犠牲にする」のを「興味深い」と言うなど、人間と離れた精神を持つ異質な生命という面が強調されていました。特に害をなさない職場で、正体を知らない相棒の浅見に「気の利かない男ね。自分からコーヒーを淹れてあげるとか、君もコーヒーをどうだとか言った方がモテるわよ」と言われています。その「個人では成り立たない世の中の助け合い」を、神永の姿のウルトラマンは「人間の群れ」のものとして理解していました。
 一見、「人間らしい助け合い」を、人間でない存在が学んだように取れます。
 しかし、頼まれもしないのに自発的にコーヒーを淹れてあげるというのは、かなり主観によったルールというよりマナーです。
 たとえば『ウルトラマンコスモス』では、若い女性隊員にコーヒーを淹れるのを要求して反発を受けています。『ウルトラマンネクサス』では、女性の副隊長の凪が、男性で新人の隊員の孤門がサーバーの前に立っているときに「どいてくれる?」と言っていたので、「女性だろうと男性だろうと、副隊長であろうと隊員であろうと、飲み物が飲みたければ自分で用意する」という方針のようです。一方隊長が隊員に飲み物を用意してあげたときもありますが、「飲むか?」という姿勢で、飲む義務があるわけでもありませんでした。
 つまり、「自発的にコーヒーを淹れたり薦めたりする」のは日本の一部での文化であり、外星人と比較した「人間」の代表としての全般的な義務ではないはずです。
 そして、神永が得たこの「人間らしさ」は、このあとも展開に大きく関わると言えます。
 神永はウルトラマンとしての正体を知られたあとも、あえて敵に拘束されて、変身の仕掛けであるベーターカプセルを浅見に、僅かな連絡だけで託して、自分に必要なときに届けるように頼んでいます。
 また、神永は強敵に立ち向かう中で、人間の仲間の1人の滝が一度あきらめて神永に全てを任せてしまったときに、立ち向かう中でも、自分に人類が協力して新しい能力を使えるようにする数式をUSBに入れて、別の仲間の船縁に託しています。
 そして神永=ウルトラマンが敗れ、自暴自棄になった滝に、船縁はUSBを渡しました。その数式は明らかに船縁の分野である生物学より、滝の分野である物理学であり、何故神永ははじめから滝に直接渡さなかったのか、という疑問の余地があります。
 おそらく、少ない連絡で仲間の方から自分に反応をすることを求める「信頼」を、神永は重視したのでしょう。神永は外星人のメフィラスに、「人類の自律的な発達を停滞させることは出来ない」という自分の星の掟を示しています。それと浅見に教わった「助け合い」から、「人間の方から自分を助けてくれる、反応してくれるのを期待する」という行動になったとみられます。
 しかし、そこには日本人らしい無言の美徳とも言うべきものが感じられ、外国人からみればやや非合理的にも思えます。『シン・ウルトラマン』も、「自発的にコーヒーを淹れる」などの「自発的な親切」という日本文化の特殊性に基づく、外星人と人類の壁を取り払う普遍性という二面性のある助け合いが感じられ、それは日本文化ナショナリズムかもしれません。
 『シン・ウルトラマン』のウルトラマンはダイナのようなサムズアップなどの日本らしいジェスチャーは特にしていませんが、「アイコンタクト」で浅見に反応されています。その「無言の巨人」と、以心伝心のように繋がるのは、日本人らしい外交とも言えるかもしれません。

『ドラゴンボール』の言語とナショナリズム

 また、『ドラゴンボール』では、本来ナメック星の宇宙人が作り出す、願いを叶える宝であるドラゴンボールが、模範的であるナメック星人とは異なり強欲だったり不道徳だったりする地球人に利用されるところがあります。
 それは、本来ナメック星人が使う特殊な言語、普段ナメック星人が他の宇宙人と通じる言語と異なるナメック語でしかドラゴンボールを使えず悪用を防いでいたのが、地球に流れ着いた「カタッツの子」により、地球人の言葉でも使える新しいドラゴンボールの生み出されたことで変化したのが、きっかけとも言えます。
 確かに地球のドラゴンボールが生み出されたのは、悪用のリスクもありますが、それにより強くなった地球のサイヤ人の孫悟空や地球人の科学者のブルマにより、やがてナメック星人を災いに巻き込みつつ、そのナメック星人や彼らを認める神々でも手に負えない脅威に立ち向かって行く展開があります。
 これも、現実のヨーロッパにおけるラテン語などの専門的な言語により聖書を読んでいたのが翻訳されたように、ナメック語を地球語に置き換えて、宗教的な宝のドラゴンボールを一般人にも使えるようにしたとも言えます。この普遍性は、ナショナリズムにも通じるかもしれません。
 また、ナメック星人は決して自分達以外を見下してはいないものの、ベジータの要求の詳細を聞かずに「邪悪なものが感じられる」というだけで拒否したり、他の惑星のことを調べるのに消極的だったりするところがあります。
 ベジータは確かにこの時点では「邪悪」だったものの、のちに死者の魂をドラゴンボールで運ぶ、死者を生き返らせる条件を調整するなどの柔軟な提案、そして強さによってナメック星人も認めるほど役に立っています。ナメック星人に直接悪く言われていないものの、ドラゴンボールを使うにしては「低俗」とも言える人格の科学者のブルマも、多数のナメック星人に家を提供するなどの助けをしており、「俗」な資産家だからこそ模範的な難民とも言えるナメック星人を救えたとも言えます。
 『オタク王子』の上流貴族に出来ない、一作家が大きな売り上げを、平民も含めて読める小説によって生み出すように、『ドラゴンボール』では、模範的なナメック星人だけでは出来ない知恵や金銭で、本来なら認められないかもしれないベジータやブルマがナメック星人を助けたり超えたりしていくと言えます。
 その幅広さは、ナメック語の翻訳から始まる、「言語ナショナリズム」かもしれません。
 

『ギンガS』の友也の指摘する「後ろ向きな事実」

 『ウルトラマンギンガS』について、私は幾つか気になることがあるのですが、今作は防衛チームのUPGが、等身大の人型の敵にはともかく、巨大怪獣に対してあまり戦果をあげていないことがあります。
 その原因の1つとして、科学者の友也が「後ろ向きな事実」ばかり言うことがあります。
 友也は元々前作『ウルトラマンギンガ』では主人公のウルトラマンギンガ=ヒカルの敵だったものの、事情を話したあと味方にはなっています。
 そうしてヒカルがUPGに入隊したあとも、先に入っていたので、科学者として助けようとはしています。
 しかし、中盤で怪獣からウルトラマンにエネルギーを与えたことを除けば、友也もあまり役に立っていないところがあります。後半で上官にヒカルが拘束されて武器を奪われたときに奪還したものの、それすらヒカル=ギンガを現場に向かわせる以外は特に役に立たなかった、むしろ敵の爆発からUPGを守る手間を増やしたところもあります。
 その友也の発言は、確かに優秀なものの、「後ろ向きな事実」が多いのです。
 たとえば第1話で「あの怪獣は地底の鉱石を守ろうとしていたように見えました」、第5話で「あのバキシムという超獣を操る異次元人ヤプールは、人間を操る能力もある」と発言したのは、敵や怪獣の意図を知らせ、その怪獣「シェパードン」や、ヤプールに操られたゴウキ自身に敵意はないという証明にはなりました。
 しかしこれを除けば、第3話でヒカルに「その怪我では戦えません」、第10話で「(ウルトラマンビクトリーに噛み付いた)ドラゴリーは猛毒を持ちます」、第13話で「人間がビクトリウムを兵器に使えば敵がさらに攻撃して来るかもしれません」、「あのハイパーゼットンはウルトラマンを倒したゼットンの強化されたものです」、「急いでください!ギンガがハイパーゼットンのテレポーテーションで苦戦しています!」、かつての敵のルギエルがビクトリウム鉱石で強化されたとき、「強さはルギエルの比ではありません。戦うなんて無茶です!」など、敵に有利、味方に不利な発言が多く、「だからどうすべきなのか」という対策を練らないことも多いのです。
 ヒカルが怪我で戦えないのはともかく、ドラゴリーの毒を、『ウルトラマンメビウス』のバードンのように逆流させる、ハイパーゼットンに人類が対抗した落とし穴などを提案するなども話していません。
 このもどかしさが、私の『ギンガS』に感じるものでした。
 

『メビウス』のヒルカワがすべきだった「批判」

2023年6月29日閲覧

 そして、友也と異なり悪意むき出しであるものの、「後ろ向きな事実」で相手を傷付けた人間が『メビウス』にいます。記者のヒルカワです。
 ヒルカワは何故か防衛チームのGUYSやウルトラマンメビウスを目の敵にして、本来地球や人類を守って褒められるべき彼らを傷付ける記事ばかり書いていました。しかし隊員のジョージに「全部が嘘というわけではない」と指摘されたこともあり、また、GUYSやメビウスにもミスはあるので、あながちヒルカワが全て間違っているわけではありません。
 しかし、彼は「間違っているなりに早く改善しろ」という前向きな批判をしていません。
 たとえば、ヒルカワが特に敵視するミライ(あとでメビウスだと知ることになります)が、他の隊員が出動している最中に関係者とデートのように出かけているときに、ヒルカワが現れ、そのとき、他の隊員達が月に向かって連絡が取れないというニュースがテレビで報道されました。
 するとヒルカワは「あなたはこんなときにこんなところで何をしているんですか?」と笑っていました。
 記者のヒルカワですらニュースで分かることを、隊員のミライに知らされないというのは、確かに批判されてもっともです。
 けれども、ヒルカワはそのときに「早く現場か基地に行ってくださいよ」と言えば真っ当な批判になったはずです。
 その直後に新しい敵がヒルカワやミライの前に現れたことで、ヒルカワの批判にも正しさがあることが曖昧になってしまいました。
 重要なのは、『ギンガS』の友也と異なり善意は感じられないとしても、「隊員の手順がおかしい」事実を話しているのですから、その「後ろ向きな批判」に、「早く現場や基地に行け」という前向きな批判を繋げる余地があったのを、展開で避けていることです。
 これが、『ギンガS』の友也と『メビウス』のヒルカワに通じる、「正しいけれども、誰かの足を引っ張ることしかしない後ろ向きでしかない批判」だと言えます。
 このような、「正しいが後ろ向きな批判」しかしない人間というのはいるかもしれません。

『AΩ』と『絶園のテンペスト』の「神」と「主導権」

2023年6月30日閲覧


 以前『ウルトラマンガイア』と似た作品として、漫画『絶園のテンペスト』(以下『絶園』)を挙げました。
 ここでは、ウルトラシリーズをホラーにしたと言える小説『AΩ』との共通点を挙げます。
 どちらも、「神」とも表現される存在の残酷さと、それへの人間の扱いに似たところがあります。
 『絶園』では、世界を守る修復や治療などの魔法の源であるとされる「はじまりの樹」、それと対をなし破壊を司るとされる「絶園の樹」の戦いで、前者の側の鎖部一族が、はじまりの樹が魔法の代償として文明の産物を吸収することから、文明を滅ぼす危険があるとみなし、逆に禁じられていた絶園の樹で対抗しようとします。
 鎖部一族で唯一はじまりの樹に味方する意思を示した、「神」のように信仰していた姫の葉風も、はじまりの樹が、絶園の樹の復活を止めるために周囲の人間を金属に変えて吸収したり、自分に協力した外部の人間の真広の家族を殺した可能性が指摘されたりしたため、徐々に疑い始めました。
 その葉風の決心が、「私ははじまりの樹を倒そうと思う。あれが正しいならば、姫の私に倒されそうになっても抵抗しないはずだ。抵抗するなら倒さなければならないと分かる」という主張で、一族の血縁ではないものの関係者で、普段冷静なことも多い潤一郎ですら「それだと正しくても間違っていても倒すことになる」とたじろがせる論理でした。
 また、葉風が惚れてしまった協力者の少年の吉野が、絶園の樹に関わる破壊や殺人を働く人間である可能性が指摘されたとき、その彼女を人質に取るべきだという主張が、別の協力者の真広によってなされました。真広の言い分は、「彼女を見捨てるようなら吉野は生かす価値もない」というものでした。自分達の攻撃に抵抗しないなら良い、するならさらに攻撃して良いという論理で、葉風のはじまりの樹への対応に似ています。
 この「神」のような相手や何らかの善良かもしれない人間を疑うときに、「自分達の攻撃に反発する方が悪い」という論理は、『AΩ』にもあります。
 突然宇宙からやって来た「影」という未知の素粒子で構成された存在が、地球の生物や人間を、その願いを歪めて解釈したようなグロテスクな姿にして争いや苦しみを引き起こすのが、今作の展開です。
 しかし、願いを叶える「影」は人間の待ち望んでいた「神」ではないか、と別の宇宙人に指摘されています。また、どのようなユートピアも必ず不満分子が残るはずなので、ユートピアが永遠に来ずに戦い続ける「影」は人間の待ち望んでいた世界をもたらす可能性も指摘されました。
 人間を凄惨な目に遭わせるのが「神」なのではないか、という疑いが『絶園』や『AΩ』に通じます。
 そして「影」と地球の干渉を防げる立場になった人間の主人公は、「もし影が間違っているなら、今防がないと取り返しが付かないし、もし影が本当に神なら、今救いを拒絶しても人類を見捨てないはずだ」という論理で排除を決めました。
 この論理は、「正しい神なら今人類に拒絶されても見捨てはしないし抵抗や反発もしないだろう」という意味で葉風に似ています。
 しかし、それは、『絶園』で真広がある場面で言った表現を借りれば「主導権を握る」ということであり、果たして人間が「神」かもしれない存在にして良いことなのか、という悩みは、そう簡単には決着が付かないものです。

『偽りの私達』と『ターミネーター3』

 日部星花さんの小説『偽りの私達』を読みました。かなり重い内容であり、『今日から死神やってみた!』や『オタク王子』とはまた異なるものを感じましたが、1つ気になったことがあります。
 『ターミネーター3』小説版を連想するくだりがあることです。
 「自分の外見の美醜に興味がないが、それで周りの人間がどう反応するかは知っている」という趣旨の台詞が『偽りの私達』にあり、『ターミネーター3』小説版の女性型ターミネーター「T-X」の内面の描写にも似たような記述があるのです。
 そして『ターミネーター3』も、『偽りの私達』も「時間」に関わる要素があるので、何らかの関連を見出せるかもしれません。

『ギフト無限ガチャ』の宣伝での違和感

 『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(以下『ギフト無限ガチャ』)について、私は幾つか扱いましたが、YouTubeでの宣伝に、ふと疑問が浮かびました。

 宣伝の中に、主人公のライトのギフト「無限ガチャ」により「召喚」されたカードのメイが、原作や漫画版にない「お待ちしておりました」と言っている場面があるのです。
 原作や漫画版のカード達はメイに限らず、召喚されるまで意識がない、というより生まれていないはずなので、「お待ちしておりました」という表現は何かが異なると感じます。
 また、それだけメイがライトに会いたかったと解釈するとしても、少し異なるのは、ライトはメイ達の自分への好意をあまり自覚していないことです。
 ライトは、劇中で敵も認めるほどの「美少年」のようですが、それを部下のメイ達に言われても自慢する様子がないようです。
 何故メイ達が自分と「お風呂」に入りたがるのか、上目遣いで「優しく勉強を教えてね」と言われたときの反応の意味を分かっていない「鈍感さ」があります。
 かえって「目立つなら部下の冒険者のようなモヒカンにするのも良いかな?」と言ってメイ達に激しく止められて、その理由が分かっていない描写があります。
 このようなキャラクターを、「鈍感系モテキャラ」と言うのかもしれませんが。
 しかし、宣伝のYouTubeボイスコミックには、「僕にだけデレデレな最強メイドさんを召喚しました」という題名があり、劇中でライトが、メイ達の自分にだけ「デレデレ」であることへの認識の曖昧さとずれているとも解釈出来ます。
 ただこれで悲観的になるとすれば、ライトはあくまでも自分の所属するヒューマンという種族全体の自由や安全を重視するのに対して、ネムムやエリーなどのライトの部下、特に女性はヒューマンを軽んじてでもライトに忠誠を誓う、ずれがあることです。メイのように「ライトにだけデレデレ」だからこその問題点です。
 この差異は、『ギフト無限ガチャ』の今後に関わるかもしれません。

『ギフト無限ガチャ』の種族とモンスター

 また、『ギフト無限ガチャ』web原作では、人間に近い「ヒューマン」、狼などに近い獣人種、エルフ種、ドワーフ種、魔人種、龍人種、書籍では鬼人種、ケンタウロス種、ダークエルフ種がいますが、あまり触れられない話題で、それらを動物にしたとも言えるモンスターや動物がいます。
 狼のモンスター、ドラゴン、鬼に通じると言えるゴブリン、ケンタウロスに通じると言える馬などです。
 そして、ヒューマンに通じるとすれば、web原作に登場した「猿型モンスター」もいると言えます。
 それぞれの種族が一応「人」とみなされる中で、その種族に似た「動物」や「モンスター」がいるのは、何か意味があるかもしれません。
 念のために挙げておきました。

法律と富の強さの対立

 『ソリトンの悪魔』では、深海の未知の生命体と人間の秘密裏の軍事技術により海難事故が起き、その隠蔽のために、知った民間の日本人や台湾人の技術者が、日本の自衛隊によって殺されそうになる場面があります。
 そして、主人公の日本の民間人が、複雑な経緯で人類の敵だと誤認されて再び自衛隊に殺されそうになったとき、どうにか会話して「納税者様に何てことしやがる!その兵器の費用も俺の税金だぞ!」と言っていました。
 そのあとも、「今まで払った税金を消費税も含めて返しやがれ!」と心でつぶやく場面があります(これは1995年に書かれた、近未来を描く小説です)。
 国家権力の横暴に国民として断固として異議を唱えるというのは勇敢ですが、この発言は「強きをくじき弱きを助ける」になりきれないところがあります。
 何故なら、「税は財源である」、「納税者が国の金銭を支えている」という考えでは、当然ながら、税金を多く払う高所得者が偉いことになるためです。この論理は、ムギタローさんの書籍では批判されています。
 『らーめん再遊記』でも、したたかなところもありつつ多少「エシカル」なところもみられるラーメン企業の元経営者の芹沢が、「人一倍税金を払って来たから、図書館ぐらいの公共サービスは受けても良いだろう」と言っていました。
 また、非課税の貧しい人間には国に守ってもらう価値が低いことになります。
 「税は財源ではない」というハッシュタグで広まる「税は景気調整や紙幣に信用を与えるためのもの」という考えの是非はともかく、ここで私が主張したいのは、国という権力の強さに立ち向かう論理として、「納税者様」という論理で国民の権利を主張すると、別の富という強さを重視して、それすらない人間の立場を危うくしてしまうことです。

性と年齢の差別の板挟み

2023年6月29日閲覧

 おそらく、こういった、ある強さを持つ人間に立ち向かうときに、別の強さを見せびらかす残忍さで対抗してしまい、それがない人間を間接的に傷付けてしまうことは多いのでしょう。
 たとえば、漫画『ヒヤマケンタロウの妊娠』では、男性も出産するSF世界で、若者が、出産する男性を助ける政治制度の発展が進まないことや、政治家の男性がまだ1人も出産していないことについて、「あいつらジジイだから産めないだろ」と言っています。
 朝日新聞でパックンさんが、ある高齢男性の失言への「あの世代だから」という批判に「性差別に反対するようで、年齢差別をしているでしょう」と言及していましたが、この若者も、性の問題で差別に反対するようで、高齢出産している人間を揶揄するような年齢差別をしていると言えます。
 国家権力という法律的な強者に逆らうつもりが「納税者が偉い」という富による差別を引き起こしかねない『ソリトンの悪魔』、性差別に反対するつもりが年齢差別をしていると言える『ヒヤマケンタロウの妊娠』は、差別の問題の根深さを示していると言えます。

まとめ

 今回もまとまりのない内容でしたが、ナショナリズム、「後ろ向きな事実」、「複数の差別」などの扱いについて気になることは書けました。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
アベユーイチほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2013 (放映期間),『ウルトラマンギンガ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2014 (放映期間),『ウルトラマンギンガS』,テレビ東京系列(放映局)

特撮映画

小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),1999,『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』,松竹(配給)
おかひでき(監督),長谷川圭一(脚本),2012(公開),『ウルトラマンサーガ』,松竹(配給)
樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝

漫画

鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)
日部星花,一宮シア,『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』,(BOOKWALKERなどに連載)
久部緑郎(原作),河合単(作画),2020-(未完),『らーめん再遊記』,小学館
城平京(原作),左有秀(構成),彩崎廉(作画),2010-2013(発行期間),『絶園のテンペスト』,スクウェア・エニックス(出版社)
作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社
坂井恵理,2012,『ヒヤマケンタロウの妊娠』,講談社

テレビアニメ

伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)

小説

日下部聖,『オタク王子と作家令嬢の災難』魔法のiらんど(掲載サイト)
https://maho.jp/works/15591074771453312177
2023年6月29日閲覧

日部星花,2019,『偽りの私達』,宝島社
梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫
小林泰三,2004,『AΩ』,角川ホラー文庫
デヴィッド・ハグバーグ(著),富永和子(訳),2003,『ターミネーター3』,角川書店

明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2023年6月29日閲覧

明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン

web

https://m.youtube.com/watch?v=bUw6GUOfh-k&pp=ygUY44Ku44OV44OI54Sh6ZmQ44Ks44OB44Oj

『ギフト無限ガチャ』PV

2023年6月29日閲覧

https://m.youtube.com/watch?v=JJHJfFDWjWM&pp=ygU244Oe44Ks44K444Oz44OB44Oj44Oz44ON44Or44CA44Ku44OV44OI54Sh6ZmQ44Ks44OB44Oj

『ギフト無限ガチャ』YouTubeマガジンチャンネルボイスコミック第2話

2023年6月29日閲覧

参考文献

大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
大澤真幸,島田雅彦,中島岳志,ヤマザキマリ,2020,『別冊NHK100分de名著 ナショナリズム』,NHK出版
アーネスト・ゲルナー/著,加藤節/監訳,2000,『民族とナショナリズム』,岩波書店
ムギタロー(著),井上智洋(監修),望月慎(監修),2022,『東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!』,サンクチュアリ出版

朝日新聞,2021年7月7日夕刊p.4「みんなはどう?エイジハラスメント感じる?」,才本淳子ほか(取材)


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