最後通牒ゲームとマルクス経済学やケインズ経済学に、「経営者の非合理性」も加えた考察
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注意
これらの重要な展開を明かします。
漫画
『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
テレビドラマ
『海に眠るダイヤモンド』
最後通牒ゲームに関する考察
2024年12月4日閲覧
行動経済学とゲーム理論を踏まえた最後通牒ゲームについて、マルクス経済学とケインズ経済学との関連を書きました。
自分が1、相手が999などの偏った割合で利益を得るのと、どちらも0の状態になるのを迫られるときに、従来の経済学やゲーム理論のような「合理的」な主体ならば自分の利益がわずかでも多い前者を選ぶはずが、実際には多くの人間が後者を選びます。
これをマルクス経済学の「搾取」に当てはめました。労働者は労働力と報酬を交換する取引で、ゲーム理論によれば、それで生まれる利益を経営者と分け合うのですが、交換しないよりする方が両方得をするものの、労働者は自分の利益があまりに少ないと、0よりはましだからといっても働かずに失業してしまうと、最後通牒ゲームから考えられます。
また、ケインズ経済学では、従来の需要と供給の曲線を書き換えて、賃金の下がるのには限界があるので、あまりに低い賃金では失業を選び、それが「非自発的失業」に当たるというのが、最後通牒ゲームに当てはまると考えました。
労働者だけが「非合理的」に取引を断るとは限らない
ただ、これでは労働者だけが、働くことで得られる賃金が0でないにせよ低いと働かない「非合理的」であるような書き方だったので、付け加えますと、経営者にも当てはまるはずです。
経営者も最低賃金などが上がり、人件費が自分達や企業にとって「あまりに」高いと、人を雇うことで得られる利益が0でないからといって「あまりに」少ないと「割に合わない」と雇うのをやめてしまう「非合理的」な心理はあるとみられます。
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』によると、経済の生産性や付加価値に関わる粗利は従業員と経営者の取り分に分けられるので、従業員の賃金を下げても粗利は増えないものの、経営者の取り分は増えるそうです。この「経営者の取り分」にも、最後通牒ゲームが成り立つかもしれません。
この意味で、マルクス経済学のように、労働者が会社に入らない「自由」と、経営者が労働者を雇わない「自由」があり、互いに「平等」なのでしょう。最後通牒ゲームと異なり、どちらにも断る権利があります。
それを掘り下げる意味でも、やはり最後通牒ゲームが、マルクス経済学とケインズ経済学の経営者と労働者の関係の鍵を握るかもしれません。
日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』では、炭鉱の労働者の古株であり経営者の息子を共に育てていたような扱いの人間が、経営者に「俺もあんたも馬鹿だから、相手の顔が見えないと人間だと思わなくなる」と休みの日に言っています。
日曜劇場では経営者や上司の目線の物語も幾つかありますが、『海に眠るダイヤモンド』では、ある程度「経営者と労働者のお互い様」の要素を描いているようです。
参考にした物語
漫画
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
テレビドラマ
塚原あゆ子(演出),野木亜紀子(脚本),2024-(未完),『海に眠るダイヤモンド』,TBS系列
参考文献
小島寛之,2012,『ゼロからわかる経済学の思考法』,講談社
小林佳世子,2021,『最後通牒ゲームの謎 進化心理学からみた行動ゲーム理論入門』,日本評論社
滝川好夫,2010,『ケインズ経済学』,ナツメ社
池上彰,2009,『高校生から分かる「資本論」』,ホーム社