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文と写真、コンテキストと真実
君の文が好きだ。
心象風景とでも言おうか、君の目と心を通して見た世界、あるいは想像された世界を感じることができる気がするから。
獲得したいのだ。
自分が普段目にするのとは異なる、キラキラしたビー玉を覗いて見る夏の海辺の景色のような、常に変化し、歪み、輝き、飽きることのない、その世界を構成するためのレンズを。
文が生まれる時、世界の捉え方と、体験と想像と、それらを繋ぎ表現する手段とが絡み合って、執筆者にしか描けない世界が構築されていく。
写真を仕上げる時、その場に居合わせ、視野と視点と、記録し出力する手段とを組み合わせて、撮影者にしか作り得ない絵を構築していく。
文が引用されるとき、写真素材が使われるとき、一体何がどこまで継承されるのだろう。
結果としての文節、結果としての絵、それだけでいいのだろうか。
その背景にあるはずの、物事を見る目、心の中の描きたかった物事を形にするプロセスやそこに介在する経験を、そぎ落として良いのだろうか。
物語を持たない結果は、果たして本物なのだろうか。
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その人にしかできない、その人だけが持つプロセスを、再現できるだけのコンテキストを併せて伝搬できたらいいのに。
その人が信じた真実を伝える手段があればいいのに。
文と写真の背景にある真実を、十分なコンテキストと共に伝えたい。伝わってほしい。
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