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人間を中心とした都市再開発エリアの再編「Aker Brygge Renewal - OSLO Fyold City Project -」

ノルウェー・オスロのウォーターフロント再開発「Fyold City Project」は、1982年に閉鎖された造船所・エンジニアリング会社跡地約26haに住宅・商業・オフィスを再開発した「Aker Brygge(アーケルブリッケ)」プロジェクトから始まった。1986年に第1フェーズの開発が竣工し、1998年に第4フェーズを終え、全プロジェクトが完了。Jan Gehl著「Cities for People」では、容積率260%と高密度にも関わらず、用途の混合や、街路沿いの階数を抑え高層部を大きく後退させて見かけの高さを軽減したり、1階に賑わいを生む用途を配し、デザインの質も高く、高密度の再開発と人びとを惹きつける都市空間を両立させた新市街地の傑出した例として紹介されている。その後、オスロフィヨルド広域を再開発する「Fyold City Project」の進捗により、周辺開発の機運が高まり、約12年が経った2010年から2014年にかけて、エリアの魅力や使われ方を見直し、街区横断で再編する大胆なリニューアルがおこなわれた。2018年夏、この地区を訪れたレポートも交え、プロジェクトの全体を整理する。

(Oslo Fjord Project MAP ※赤枠がAker Brygge)

オスロの成り立ち

オスロは、1537年デンマークとの伯爵戦争により、デンマーク王国の一属州となり、1624年の町の大火により、デンマーク国王クリスチャン4世は町の中心部を東オスロからアーケシュフース城の付近に移転させ、格子状の街路とレンガ造りの建物へと整備した。地名も国王自身の名を取り、オスロからクリスチャニアに変わった。クリスチャニアは、木材の輸出港として繁栄し、中心部東側のビョルヴィカ入り江がオスロ港の中心となる。その後、1814年ノルウェーはデンマークからスウェーデンに割譲され、スウェーデンとの同君連合のもと独自の憲法・議会・政府を持ち、クリスチャニアはノルウェーの政府所在地となった。1840年頃からノルウェーでも産業化が進み、アーケル川沿いに工場が建ち始め、人口の激増と、それに対する都市基盤の建設でビョルヴィカは大きく姿を変えていった。1835年に18,000人だった人口は、1890年に約150,000人へと増加している。1925年に地名はオスロに戻る。

オスロ中央駅とオスロトンネル開通

オスロの都市基盤の公共交通として、初めてターミナル駅が開業したのは、ホヴド線(オスロ-アイドスヴォル)が開通した1854年、オスロ港近辺・アーケル川の東側につくられた。その後、1872年2つ目のターミナル駅オスロ西駅が開業し、1882年にはアーケル川を一部埋め立てオスロ東駅が開業した。この時オスロの人口は1875年から1890年にかけ2倍に増え、年間旅客も400,000人から100万人を超えすぐに飽和状態となった。(東駅と西駅は、1907年ハヴネ線開業し結ばれるも、下記オスロトンネル工事でハヴネ線廃止となり再度断絶する。)

戦後1946年オスロ中央駅計画コンペを実施し、市街地直下に地下トンネルを整備する計画が提案される。その後長らくして、1980年東西の市街地を結ぶオスロトンネルが開通。1987年には現在のオスロ中央駅の拡張工事が完成し、オスロ市庁舎の西にあった西駅は1990年廃止、旧駅舎には現在ノーベル平和センターとなった。(旧西駅周辺のVestbanen地区は、ドイツの建築事務所Kleihues + Schuwerkによる新国立博物館が2020年に竣工予定。)

こうしたオスロ港近辺の都市基盤整備の変遷とともに、1982年閉鎖された造船所跡地に「Aker Brygge(アーケルブリッケ)」の開発が始まった。

(旧西駅前の自家用車進入禁止されたオスロ市庁舎前広場)

4段階で開発された港湾複合再開発「Aker Brygge」

「Aker Brygge(アーケルブリッケ)」は、1954年頃からAkers Mek(Akers Mechanical Workshop)と呼ばれる技術者や事業家などにより、蒸気機関を備えた鋼製船舶の建設と修理を行う近代的な造船所であった。その後、時代の流れを経て、再開発計画が浮上した。

再開発は、ローカルディベロッパーが4段階でおこない、まずは工業用建造物をショッピングエリアとして1986年完成させ、1998年に全街区完成した。ノルウェー最大の金融企業DnBNORや、漁業や建築などの持株会社Akerなどが入居し、就業人口約6,000人となる。その他に、店舗やレストラン、住宅といった複合用途で構成され、居住者は約900人程度、オスロの港湾の歴史を体感でき、海辺に沿うレストランがある当地区は、オスロ観光のディストネーションの一つともなり、来街者は毎年約1200万人にのぼる。

(1998年再開発街区図 ※画像:https://nielstorp.no/project/aker-brygge/)

街区を横断する再開発エリアの大胆なリニューアル

ここまでは「Aker Brygge(アーケルブリッケ)」について、オスロの街の変遷とともに、プロジェクトの成り立ちを整理した。その後、オスロの港湾広域が対象となる「Fyold City Project」が進み、周辺開発の機運が高まったこともあり、約12年が経った2010年から2014年にかけて、エリアの魅力や使われ方を見直し、街区横断で再編する大胆なリニューアルがおこなわれた。この再編の特徴的で非常に参考になるのは、プラニングやデザインのコンセプトを「人間の生活やアクティビティ」といった再開発プロセスでは扱いにくい部分を重視して計画している点と、様々な権利が絡み合う中、大胆な街区再編デザインを実行している点にある。まずは、再編内容をみていく。

(現在のAker Bryggeのエントランス)

再編戦略の4つのコンセプト

1. From shopping centre to street shopping
 ショッピングセンターからストリートショッピングへ

当初の店舗は、エントランスが数カ所あり、建物内の廊下に面して店舗があるいわゆるショッピングセンターのような構成をしていた。これは施設内で買い物をするには適した環境ではあるものの、通りの歩行者からは内部が見えず、関心も惹きつけにくい。また逆も然りで、当初は建物同士を連絡ブリッジで繋いでいたが、買い物客が建物内の活動にとどまってしまい、外に人が出てこなかった。そのため、こうした内向きなショッピングセンターを、店舗のエントランスを歩行者通りに面して1階に設けることで、アクセス性を高め、ストリートショッピングへと再編した。

これに際し、当初は4つの街区のそれぞれの建物に事務所・店舗の複合用途で構成されていたが、上層階に事務所、1階に商業と用途整理することで、上下動線の簡略化も図られている。また、店舗のMDについても、オスロらしい、ローカルを感じられるように再編されている。これにより観光客だけでなく、地元利用者も7%から20%と増加したとされてる。

(歩行者通路に面したエントランスへの再編)
(画像:https://www.ghilardihellsten.com/akerbryggemasterplan)

2. The diagonal and atriums
 対角線とアトリウム

大きな目玉となるのが、3つの街区と建物を横断するショッピングストリートJenny Hemstadsgateの整備。各街区それぞれの店舗へのアクセス性を高めるために、街区を横断するメイン通りを整備し、街区と街区を繋ぐとともに、東西の市庁舎広場とアーケルブリッゲ広場のネットワークを構築した。

これにより、メイン通りというシンボル的な性格をもつ空間が街区に備わるとともに、各ストリートへの賑わいも見えるようになった。合わせて建物の外観も再整備され、過剰な装飾は取り除かれ、よりストリートに対して開放的に整備されている。

(街区横断によるメイン通りの整備)
(画像:https://www.ghilardihellsten.com/akerbryggemasterplan)

3. Corporate streets and lobbies
 コーポレートストリート & ロビー

ストリートショッピングと合わせて、オフィスのためのコーポレートストリートも整備されている。当初は、店舗とオフィスのエントランスが部分的に共同となっていたものを、用途ごとに分け、さらに入居テナントそれぞれのエントランスとロビーが作れるようにされている。これによってオフィステナントがそれぞれ単独の住所を持つことを実現する工夫もなされている。ダブルハイトのオフィスエントランスのロビーは各テナントのコーポレートアイデンティティを表現し、来客を出迎える重要な空間として使用されている。

(コーポレートストリートとダブルハイトのエントランスロビー)
(画像:https://www.ghilardihellsten.com/akerbryggemasterplan)

4. The waterfront and marina
 ウォーターフロントとマリーナ

最後にオスロフィヨルドに面する水辺空間も大幅にリニューアルされている。従来アスファルト舗装であった空間を、アスファルトを撤去し、舗装のレベルを整え、人の滞留を増やすパブリックスペースへと再整備された。プロムナードの延長線上には、幅15mの新しい桟橋が設置され、円形のレストラン・イベント施設を整備し、水辺へのアクセス性を高めている。またオスロフィヨルドを眺められるように、ストリートファニチャーを扱うVestreなどによるオレンジカラーをシンボルにしたファニチャーが設置され(Vestreという企業も非常に面白い)、照明も刷新された。

(画像:WAN AWORD)

“人間を中心とした”再開発デザイン

これらの再整備は、当然、来街者・観光客の増加、商業施設売上の向上、オフィス稼働率の向上、ひいては不動産価値の向上といった経済的な目標とともに、周辺の再開発エリアへのアクセス性を高めるという都市基盤整備としての目的もあるだろうが、最も興味深いのは、このプロジェクトのコンセプトの思想に「人間の生活やアクティビティ」に配慮したデザインが施されている点にある。

オスロフィヨルドに面したプロムナード整備は、ランドスケープデザイン会社LINK Arkitekturが担当し、デザインコンセプトに、広い空間を整備することで、散策と滞留時間を増やし、自然発生的で自発的な活動を引き出すことが意図され、整備されている。「生活のための空間」として、多様なパブリックライフ(座る、立つ、歩く、見る、話すなど、建物の間で起きるあらゆる活動)の実現が目指されている。

当プロジェクトはWAN Waterfront Award 2016などいくつかの賞を受賞しているが、国際ランドスケープ賞のHPでは、ヤンゲールの書籍でも度々触れられるEdward T. Hallの「かくれた次元」で示されている他人との距離と空間領域の考え方「Proxemics」の方法と、William H. Whyteの理論と観測と組み合わされ、これらを北欧独自のコンテクストに乗せて、プロジェクトに適用していると評している。

(画像:https://landezine-award.com/aker-brygge-the-city-floor/)

これは、人間を中心とした空間整備の理論がきちんと適用され、それを公然と説明し、評価されている。上述したように、経済的・事業的向上や都市基盤整備を図る、“分かりやすい”目標だけではなく、人間の生活やアクティビティ、そして社会的交流といった“分かりにくい”目標についても、ランドスケープデザインという個別解的な部分としてではなく、プロジェクトデザインの重要な全体として計画とデザインがされている「再開発の文化」のようなものがとても印象的であり、参考にすべき点であると感じた。

もう一つ見逃せないのが、様々な権利が絡み合うエリアで、大胆な街区再編プランニングを実行している点である。ここの点は詳細まで踏み込めていないが、道路行政から管理組合のような組織などとの合意形成から、再編後の管理区分の方法などテクニカルな工夫は多くされていると思われる。

Oslo Fyold City Project自体は、これからまだまだ大きな再開発を控えている。今年2018年には、ビョルビカ地区に新たなムンク美術館もオープン予定。北欧都市オスロの再開発は、今後もチェックしていきたい。

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