人類の家畜化と農業
サピエンス全史に書かれている「農業革命が嘘であった」という事実を知ってずっと疑問だったことがある。
「なぜ人類は農業を始めたのか?」
太古の昔、人々は狩猟と採集を行って生活をしていた。
地理的環境によっては収穫の時期に合わせて様々な地域に移動して生活していた。
(年間を通して平均58種類以上もの食べ物が安定的に手に入っていただろうという研究結果がある。)
彼らは食べるものにはほとんど困らなかっただろうという見解もある。
日本の縄文時代の遺跡でも本当に数多くの植物や動物の骨、貝や海藻が出土している。確かに、もしこの日本に漁業権や土地の権利というものがなかったとするなら食べ物なんていくらでも手に入る。
それくらい地球上には人類が食べられるものが数多く存在していた。
なら、なぜ人類は農業を始めたのか?
「人を増やし、人を家畜化するため」
俺はこう結論づけた。
事実として農業が始まってから人類は爆発的に増え続けている。
飢饉や災害、争いなどで一時的に減ることはある。
しかし、地球上の総人口数は間違いなく増え続けている。
このきっかけをつくったのが農業であり、農業が「人口爆発」を可能にした、というのが俺の見解だ。
※事実として狩猟採集生活では人類はここまで増加することは不可能とのこと
ではなぜ人を増やしたのか?
それは人を増やして食べ物と権力で飼いならし、使役して道具にするためだ。
「人類による人類の支配」
邪馬台国にしてもエジプト時代にしても常に有史には「権力」というものが存在する。権力なんてものは本来、この世界には存在しないただの虚構だ。
ハッキリ言えば人間が作り出した「嘘」だ。
支配者たちが人類を奴隷化・家畜化し支配するのに都合が良いというだけの理由で我々に刷り込んでいる単なる概念でしかない。
天皇が偉い、社長が偉い、校長が偉い。
人類は人を支配するためにこうしたヒエラルキー=身分制度を作り上げた。
そしてそれに従わなければ殺す。罰を与える。差別する。
反逆者だと騒ぎ、そのものを社会から追放する。
そしてそういった者に仲間外れ・村八分にして食べるものも与えないと言う方法で迫害する。先史時代であれば
「あぁそうですか、じゃあ自分たちで食べ物探しに行きますので結構です。」
で済んだ話だった。
しかし、人類は農業と権力でコントロールされていく内に自然界で生き抜く知恵を奪われ続けた。その結果、生まれてくる者の多くは権力者の指示に従わなければ生きていくことができないようにされたのだ。
言うならば自分で生きることができない蚕のようだものだ。
※カイコは人間が品種改良した生物で単独で自然界を生きることができない
そして死への不安を煽るために宗教を活用し、時に死を恐れるよう仕向けるために公開処刑を行った。
逆らえばこうなるぞ、と。
支配者層の人間はこういった方法で常に権力を維持し、そして人々を支配してきた。これは言うまでもなく現代でも行われている。
「農業は人を一定の地域に縛り付けることでコントロールを可能にする」
人類は農村よりもはるか前に漁村の誕生させた。
これは理屈がわかる。
例えば縄文時代の遺跡が発掘された千葉県館山市の沖ノ島周辺は魚介類の宝庫で黒潮の恩恵もあって魚も貝も海藻も非常に豊富な地域だ。
回遊魚の回遊も豊富で定住して魚を獲って生活するには申し分の無い場所だ。
※それでも彼らは沖合の伊豆大島まで行き来していた可能性もあり、黙って定住していた訳ではないだろう、という見解もある。
とかく先史の時代や縄文時代初期においては基本的に定住よりも移住型が人類の基本スタイルだった。それが農業が始まってから人々は作物を育てるためにその地域に居続けなければならなくなった。
「縄文時代にはすでに人類は農業を始めていた」
最新の研究によると縄文時代には既に人類は農業を始めていた事が判明している。
それは村もしくはコミューン単位で行われ、共同作業として行われていた。
誰かが偉いとか、権力を使って人を働かせる、と言った資本主義的な労働ではなく、あくまでも運命共同体における共同作業であったのだろう。
この時点での農業はあくまでも自分たちが安定して食にありつくための農業であり、小さなコミュニティの中だけで完結する農業であった。
「卑弥呼は詐欺氏の使い?」
太古の時代の人たちが人々をコントロールする為に使ったもっとも単純で効果が高かったレトリックが「宗教」だ。
「誰々様は神々の使いだ」
「〇〇様は▢▢神様であられるのだ」
こういう何の理屈も証明しようもないことを言い回って人々を従わせた。
現代人ではあればそれが嘘だとわかるのに彼らは信じてしまった。
(オウムや幸福の科学のような新興宗教に騙される人たちも未だに大勢いるが)
そして人間社会に「神」が誕生し、神の使いと称する人間たちによって人類は支配と被支配へと向かう。
「雨乞い」
かつてのこの世界に存在した現代新興宗教よりも危険な宗教団体は主に神様のお告げを聞いたり、祈りを捧げるなどの活動をしていた。
他にも治療と称した祈祷を行っていたりもしただろう。
そして他でもなく雨乞いは信者を増やし、言うことを聞かせるようにする最大の手段であったと考えられる。
農業一辺倒にシフトし始めていた人類にとって農業はライフラインそのもの。
不作や飢饉は死を意味し、雨の有無は死に直結した。
言うまでもなく祈りで雨が降るわけがない。
神の御言葉を聞いて生贄を捧げたからと言って、雨が降る訳がない。
それでも祈りを捧げて「さも神の使いであるわたしが降らした」かのような「奇跡(ただの天候)」を起こしたのだろう。
そうやって人類は時代と共に宗教色を強めていった。
「権力支配と農業搾取」
日本であれば米を、欧米であれば小麦などの穀物を時の権力者たちは「租税」と称して農民たちから搾取した。
今で言う住民税や各種税金がそれに当たる。
それらがまともに使われるならまだしも、常に時代の権力者たちはその租税を自分たちが贅沢をするために使用した。
ヨーロッパでは王族や貴族が贅をなし、日本では藤原家を始めとした豪族たちがその権力によって税を尽くした。
もちろん、貴族や豪族が偉いなんて言うことは支配と搾取のための虚構に過ぎず、事実でも何でもない。
それでも逆らえば権力を使って反逆者を殺害し、見世物にしてさらなる恐怖を煽り植え付けるための道具として彼らは利用したことだろう。
「権力と支配の拡大」
こうした流れは世界各地で起きた。
欧米では貴族や王族が、中国では皇帝が、日本では朝廷や豪族が生まれた。
それと同時に主力宗教が栄えた。
地域単位で存在していた土着宗教は主力宗教に吸収されていった。
そしてドンドンと巨大化していき、国家レベルで機能するようになった。
それはまるで商店街が大手スーパーに潰されるかの如く勢いで主力宗教はありとあらゆる宗教を飲み込んでいった。
国家単位での宗教ともなればレベルが変わってくる。
一つの指示で何万人もの人間が動かせるようになる。
これこそが人類が得た究極のエネルギーといっても過言でない。
人類はエネルギーそのものだ。
一人のエネルギーでは到底作れないものも1000人を導入すれば簡単につくれてしまう。エジプトのピラミッドなんてものは正にその典型と言ってもいい。しかしその1000人分のエネルギーをコントロールする必要がある。
そのコントローラーこそが宗教や虚構であり、宗教が人をコントロールするために利用された最大の理由だ。
「エネルギーを増やす方法」
支配者にとって支配が効く範囲においては人は多ければ多い方が都合が良い。なぜならそれだけ使えるエネルギーが増えるからだ。
争いにおいても他国との競争においても人民が多いことは常にメリットでしかなかった。だから人を増やす必要があった。
しかし、そうは言っても食べるものがなければ人は増やせない。
そう、つまりはそういうことだ。
ここで人類を増やすための農業が始まった。
もちろん、同時進行として先に説明した農村としての農業もあった。
だが、人を安定的に増やす為の組織的な農業はこのとき始まった。
そしてここからドンドンと人類の家畜化が始まってく。