noteはじめ
ーこのブログは誰にも読ませる気が無い。
最近ものを深く考えなくなった。そういう自覚がある。何故だろう。昔は毎日、どうしたらもっと世の中が良くなるとか、自分が教師ならこんな教育をするとか、リーダーシップとは何かとか、世界の始まりや終わりについてとか、あれこれ考えていた。ここ5年ほどそんなことを考えた覚えがない。考えても仕方ないからだ。自分は社会を動かす力を持っていないし、権力を欲しがるタイプでもない。だったらそんなことに頭を使うのは無駄だ。そう思っていた。だがどうだろう、余計なことを考えない脳は、どうも大切なことも考えないようになっていくようなのだ。もともと深く考えて行動するタイプではなかったが、どんどんと考えることが億劫になっている。非常に良くない。馬鹿は嫌いだ。嫌いなものにまた近づいてく。
そこでnoteを始めることにした。そこそこ頭を使っていた頃と、思考回路がバラバラになっている今と、何が違うのか。環境や所属も違う。余計なことをして失敗してから消極的になったりと生き方も変わった。だが恐らく、キーはmixiの存在だ。mixiが鍵というのはかなり情けない響きだが、あの頃はmixiがまだ流行しており、毎日日記をつけていた。見せる相手は20人程度の友達のみ。だが常に生活の中で面白い出来事にアンテナを張り、事件があれば意見をもち、なにも無い日には過去を振り返ったり創作をしてみていた。もともと自分は会話を楽しんだり素早く思考するタイプではなく、紙に書いて自分の考えを整理する。それどころか今これほど思考力が低下していることを考えれば、日々ものを書くことでしか自覚的に生活することができない人間だったのだ。毎日ベットに横たわったまま生活していれば、そのうち脚も萎える。書くことでしか自らの思想に向き合えない人間が書くことをやめれば、自我と言っても良いものが消えていくのは不思議ではない。
長くなった。
書くことの必要性に気付いたもののmixiはもう無いようなもの。facebookで発信するには公益性に欠ける。不特定多数に向けてブログを書くのもモチベーションが沸かないし、PVがゼロなことは確定しているのできっとすぐにむなしくなってやめてしまう。そんなことを考えて何も書かずに過ごしている間にも脳の機能が低下していくことを実感した。そこでついに今、noteに手を出した。noteを選んだのははてなブログよりも意識が高そうで、Mediumよりも親しみ易いからだ。だからこのブログは誰にも読ませる気が無い。ジャンルや方針もない。誰かのためになる情報も絶対に発信しない。そんな情報があれば別の場所で発表する。だが毎日書こう。なんのためにか。脳トレ、考えの整理、文章力の向上、いやそんなことを思っていては虚しさが増すばかり。書くことは自分にとって、風呂に入ること、トイレに行くこと、歯を磨くことと同じ生活の一部、健康でいるために必要なことなのだ。いつか考える力が戻り、noteを書き続ける意味を見いだせる日が来るまで書き続けよう。
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