自分の表現方法
殺人事件、テロ、誘拐、痴漢。
「被害者」に情に満ちた目を向け、「加害者」には殺意と同様の目を向ける。
流れたニュースを見たXが言う。「こいつはクズだ」「社会の異物だ」「死んで当たり前だ」
もちろんXには罪は存在しない。
もちろんXを責めることは私には出来ない。
偏見はその人の育った環境で多様に変わるから。
分かってる。
Xには罪が無い。
Xは関係無い。
他の話題にニュースが移った瞬間、Xの脳にはYの名前も顔も年齢も消える。
Xの脳からYが殺される。彼は2度、殺される。
Yは私。
Xも私。
入り交じる。
あなたから見たら悪。
他人から見たら正義。
意見を述べるその人は誰かにとっては正義だ。
達観とは、正義や悪を自分の中で持たないことなのかもしれない。
私の正義が桃色であなたの正義が青色だった。
パレットの上で混ざらないように端と端に置いてみれば良かった。
1枚の画用紙で青色が乾いた後に桃色を塗れば良かった。
梅雨があっという間に終わった。
私は雨の匂いや音が好きだと思っていた。
だけど気分を落ち込ませるのも雨だった。
夢中な時ほどそれ自体も見えなくなってしまうのは、とても皮肉だと思った。
自分の中での雨の存在が、自分の「好き」が灰になる前に、ゆっくり時間をかけて歩み寄れたら良いのにね。
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