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精神障害者になんてならなければ、私は


2018年頃まで生粋のジャニオタだったのだが、きっぱりやめてしまった。

2007年頃から私は
嵐→Sexy Zone→Hey! Say! JUMP(→King & Prince少々)(→ゆるくジュニア)
といった風にジャニーズに入り浸っていた。

コンサートに通いつめたし
地方から東京大阪全国に遠征したし
雑誌は全て買ったし
テレビ番組は録画して編集してダビング(懐かしい)
CMも録画して編集して全て保存していた。

しかし鬱になり、だんだんと興味を保つことが難しくなった。
そして、キラキラしている推しが生きがいだったはずなのに、キラキラしている推しを見るとしんどくなるようになってしまった。

それから早6、7年が経つ。
もうそろそろ本当に人生に疲れてしまった。

ということで(?)、最近久しぶりに自分の中でアイドルブームが来かけていた。
「timeleszのオーディションを見終えてなぜか中島健人のファンクラブに入ってしまう(中島健人は脱退しているので無関係)」という人が続出しているらしいが、私もそうなりかけた。

ちなみに中島健人さんは以前の私の自担(推し)である。


timeleszやジュニアの昨今のあれこれを見ていて、なぜか私も中島健人を欲するようになってしまった。
とにかくとんでもねーキラキラを摂取したい。もしかしたらここ数年私に不足していたものは中島健人だったのではないかと。

そしてSNSを全てやめていた私は、インスタのアカウントを作り中島健人をフォローし、ジャニーズweb(古のオタクなので現在の名前を忘れた)に久しぶりに入会しブログを読み漁り写真を保存しまくった。最近のお仕事もチェックした。

この辺りで違和感が出てきた。
とても幸せなはずなのに苦しい。
キラキラを摂取したかったはずなのに、摂取しようとすると拒否反応を示してしまう。

私は察した。
あー、そうか、私はもう二度とアイドルを本気で推したり好きになったりすることができないんだと。
なぜかというと、精神を病んでいるから。

実はジャニーズのオタクをやめてしまったあと、短期間だがアイドル以外の推しがいた。
2020年末に私の大好きな漫画「約束のネバーランド」が実写化するとのことで、見に行く前に出演者のYouTubeライブか何かをみていて、そこで出会ってしまった。
板垣李光人という俳優に。

板垣李光人さんはアイドルではないので今までの推し方とは少し違った。
とにかく生き方や考え方が好きだった。あと顔。
2年くらいは好きで追っていたと思う。

しかし、板垣李光人の生き様が好きすぎて、彼は年下なのだが憧れすぎて、自分と比較してしまい辛くなって離れてしまった。


好きなものを好きでいることができない。
自分の光になるはずのものが、眩しすぎて苦しくなってしまう。
そもそも生命活動を維持することに精一杯で、誰かを推したり好きでいる活力がない。


やっぱり私は鬱なんだなあと。

健康な人達は、0の自分を1にしたり2にしたりする努力をしていて、好きなものや推しの存在で生活を彩っていて、生きている。

でも私は、マイナスを0に近づける作業をもう10年弱やっている。何かを好きでいることも、目標に向かって努力することも、できない。


多くの人には想像がつかないだろうが、「がんばりたくてもがんばれない」というのはかなり辛い。

私も鬱になる前、それなりに努力したり、努力しても目標に届かなかったり、挫折したり、ということを経験してきた。
かなり辛かったこともあったし、人生やめてしまいたいと思ったこともあった。


しかし、今の方が冗談抜きに1000倍くらいキツい。
というか、辛いの次元が違う。

がんばって目標に向かって努力して目標に達成できなくてもいい、目標に向かって努力して叶わないって苦しんだりもがいたり、そういう人間としての人生の彩り方をしたい。

私も、目標や夢に向かって突き進んで、叶わないなあって幸せな苦しみを味わいたい。

心も体もある程度健康で、普通に社会生活を送ることができ、その上での自分自身の葛藤や戦いなんて大歓迎である。



別に精神障害者は大変で健常者は楽だと言いたいわけではない。
精神障害者は大変なんだから分かれよと言いたいわけでもない。

ただ、健常者との間には深い溝があり、決してお互い分かり合うことはできないのだと、悲しい。わ
健常者が悪いわけではないのに、どうしても羨ましくて、ずるいと思ってしまうことがある。
そんな自分にも嫌気がさす。


いつになったら普通になれるのかと、そればかり考えてしまう毎日にはもううんざりだ

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