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蛇行しながら、「意味がなさそう」な物事に向きあい続ける(後編)

「第1期メッシュワークゼミナール」を修了した弓指利武さんへのインタビュー記事の後編です。
前編の記事はこちらから。

帰りの品川駅で浮かぶアイデア

井潟:展示を終えた手応えや来場者との会話も含め、Impact HUB Tokyoで開催した展示「フィールドから揺さぶられるとき」の簡単な感想を伺ってもよろしいでしょうか。

弓指:展示するというのは、人生初めてに近いんですよね。だから、展示するという課題をもらった10月初旬から「展示」が自分の中でキーワードになるわけですよね。結論から言うと、展示したからこそアイデアが出てきた。ああすれば良かったとか、これはちょっと違ったよねとか。 だから二回目をするとは言いませんけど、一回目に他の人の反応から出てきた反省点やアイデアを表現する過程が醍醐味かもしれない、と帰りの新幹線で思ったんですよ。

井潟:頭でぎゅーっと考えて出したものに対する他の人の反応を見て、また考える時間があったということですよね。

弓指:そうそうそう。

井潟:アイデアがあとから出てきたとおっしゃいましたが、展示の時点で既に弓指さんは特にアイデアが溢れてたと感じました。映像をタブレットで流したり、某スポーツ誌のパロディの手作りの雑誌を展示されたり。これ以上どんなアイデアを考えていたのだろうというところを、具体的に伺いたいです。

弓指:まず冊子にしたことが半分僕のエゴだったんですよね。見にくる人が見やすいかより、自分の学びをまとめてレポートにするという欲望が半分で、残りの半分は物珍しさがあって良いかな、と。ただ冊子の平面で言葉を散りばめるよりも、その言葉が生まれた背景まで含めて、立体的に吊るしたり系統図にしたりするというアイデアが今はあります。言葉がただ在るだけでなくて、言葉の後ろにこういう思惑があって、と三次元で可視化するという。

見にきた人の目線の動きを観察して、1日目と2日目でレイアウトを変えた

あとは展示の後の最終レポートには書きましたけど、 ソフトボールチームを対象にした背景を展示でも言葉で明確にするべきだったな、と。帰りの新幹線の品川駅で思い至って、「あ、それしよう」と思ったんですよ。でも「ちゃうわ、もう展示は終わったんや」とそのあとに気づいた(笑)。脳がまだ終わってなかったというか、展示の最中という錯覚というか。

井潟:京都のご自宅に帰りながら、各駅ごとにアイデアが降ってくる、みたいな感じでしょうか(笑)

弓指:そうそうだから、やったあとの方が(アイデアが)出てくる体験があったんですよ。

井潟:「言葉同士の関係性を可視化するもっと良い方法があったのでは」と展示終了後に思ったのは、来た人との会話や他のゼミ生の展示の影響もあったんでしょうか。

弓指さん:ご覧になった方のご意見は、結構起爆剤になったと思います。例えば僕がベンチの言葉をカードにして言葉を散りばめた時に、ト書きにしたことで水上さんに、これはそういう演劇に見えるって言われて。ベンチの話を抽出したんじゃなくて弓指が脚本を書いて、 その脚本通り映像が行われてるみたいな。そういう風に取られるかもって言われて。そんな発想、こちらとしてはないじゃないすか。そうしたら案の定、台本が先にあるのか、と質問する方がいらっしゃったんですよ。

ベンチでの言葉をト書きのようにまとめた資料

井潟:それ凄い面白いですね。試合が先でト書きが後なのに反転しちゃって、どっちがどっちだか分からないという。

弓指:分からなくなってました。分からなくなるという視点をもらって、びっくりしましたし。

井潟:実際に演劇してみても面白いかもしれないですね、脚本を書けるくらいの情報量ですよね。

弓指:そうそう、おっしゃる通りで書けてしまうし。実際に演劇されてる方もご覧になったらしくて「ト書きを書いている方なんですよね。あ、違うんですか、素人の方なんですか。勉強になりました」っておっしゃって帰られたらしいです。この場合はいわゆる演劇人の方でしたけど、何が誰にとっての気づきになるか本当に分からないですね。

ディズニーランドでのしりとりから思うこと

井潟:展示もトークイベントも終わって一か月くらい経ったわけですが、人事系のお仕事されてるからこその興味関心があったというお話だったので、ソフトボールチームっていう、ある意味全然関係ないところから学んだことがお仕事や自分の人間関係に返ってくるということも、あるかもしれない。

弓指:確実に違うのは、物事をシンプルに見なくなったというか、背景を探りたくなるというのが仕事の場でもあって。結果をどうこうよりも、その現象や結果はなぜ起こったんだろうという会話が増えた気はします。僕は人事だから評価制度を作る立場にあるけど、制度は全て正しいわけではない。それからこぼれ落ちるものも沢山あるなあという意味で、一見正しく見せる色んな制度も、観方によっては「まやかし」だな、人ってわかんないんだなっていうことを、一周回って理解したというか。

あと当初は、ゴシップや噂は良くないという前提のもとで、どうクリーンにできるか、というアプローチだったんです。今は「クリーン」なんてなくて、 ゴシップという現象が起こったのはどのようにして、という問いだけがあるだろう、じゃあこれを見ようじゃないかという姿勢を得た感覚です。ゼミを受講したことで、「アイテム剣を手に入れてレベルアップ」というドラクエみたいな意味での「何かを得た」わけではない気がします。

井潟:自分の話で申し訳ないんですけど、弓指さんがおっしゃっていた「アイテム剣」じゃないという言葉が、大学に入ってから人類学を専攻として選んだ理由と繋がっているような気がして。なぜ人類学に惹かれたか考えた時、例えばデータサイエンスとか法律は、現実との向き合い方として「アイテム剣」みたいなイメージで。それはそれでかっこいいし、持っているだけで強いんですよ。じゃあ私にとって人類学は、それと対比してどういうイメージかというと、武道のような、要は身体技法なんですよね。少林寺拳法をやっていた経験があるんですけど多分そういう、この身体を基盤に現実と向き合おうとする姿勢が好きなのかもって後になって思いました。

弓指:うん、確かに素手でやる感じとか。

井潟:強いおじいちゃんとかいますよね、その人が技をかけると、ムキムキの若い人も力が抜けて倒れちゃう、みたいな(笑)

弓指:わかる、わかる

井潟:それは強いアイテム剣を持っているかどうか、という話じゃないというか。

弓指:あと、Discord(※)も良かったです。コミュニケーションツールという点でも良かったですし、ひたすら個人チャンネルに些細な気づきや参考文献を残す癖がついた。残す癖がつくと遡ったときに、自分に一貫性がないことに気づくことができる。どうしても自分は一貫してこの考えを持っていた、というような勘違いをしがちですけど

井潟:残す癖というと、弓指さんのレポートの最後の話のようなことでしょうか。

12月3日に、家族 5 人でコロナ禍以来のディズニーランドに行った。開門前の大行列に並んでいた。30 分ほどの待ち時間、娘、息子、私の 3 人でしりとりをすることになった。ここでのやり取りがあまりに愉快で、また思いもよらぬ感動的な笑いに包まれた。咄嗟にスマホを取り出し、メモをした。なんだかよく分からないメモだが、見ればある程度思い出せる。しかしメモがなかったら、この感動を今ここでもう一度語ることはできなかった。咄嗟に打ち始めたあの瞬発力は、メッシュワークゼミの賜物だ。その後開門、確かにアトラクションはどれも素晴らしいものだったが、結果的にあのしりとりを超えるものはなかった。
では入場料は無駄だったのか。違う、ディズニーランドで並ぶという場面、その出逢いがなければ、あの開門前の、気の遠くなるような待ち時間がなければ、この感動的なしりとりは生まれていない。たった数分の、けれど、どのアトラクションよりも私の心を揺さぶったあのしりとりは、こうしてメモを取り、取り上げることによって、立ち現れた。そうか、こういうことだったのか、だからデータは重要なのかと、今改めて、思うのである。

そう、案外僕の中でのインパクトが大きくて。しりとりが本当にわろたんですよ。でも、あれはディズニーランドで行列の時にあった出来事なんですよね。門に入れなかったので、その間にメモったんですよね。メモに全部書かなくても、それがあるから書いていないことも含めその瞬間を思い出せる。そういうものって大事だなっていうのは、シンプルではありますけど、大きな学びでした。

※ゼミではDiscordというアプリを、スケジュール等に関する告知やゼミ生の個人チャンネルでの進捗共有、ゼミ生同士のフィードバックのためのツールとして活用しました。

インタビュー後記
人事系のお仕事から生まれた関心を出発点に、ご自身が活動されているソフトボールチームをフィールドワークされた、弓指さん。展示という最終形態が頭の片隅にありつつも、それを決め切らない「レシピを決める前に材料を沢山買ってくる」スタイルで、半年間のゼミに取り組まれてきました。その過程は弓指さんにとって、「こんなコミュニティを実現したい」というような、期待する未来を生むというより、「このコミュニティで何が起こっているんだろう」というような、目の前で起こっていることをまず理解する、という姿勢に触れるものだったと私は思いました。それは同時に、Discordの個人チャンネルで起こっていたことや、展示に訪れた人の振る舞いや言葉にあわせて、展示を変えたり別の展示の在り方を考えたりしたということを伺いながら、ある現象をただ観察することにとどまらない、自分の考えの軌跡やそれを形にしたものを変化させる経験でもあったことが、インタビューから伝わってきました。

同じくメッシュワークゼミ生の根岸さんへのインタビュー記事はこちら

構成・執筆:井潟瑞希(メッシュワークインターン)


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