【レビュー】Still House Plants - If I don’t make it, I love u
このバンドの立ち位置や関係性についてはこのレビューやインタビューに詳しいので聴いたことがない方はまずはそちらを。
9/21には恵比寿Liquidroomで来日公演(goatとの共演)があるので行ける方はぜひ。
上半期ベスト10作の短評としてブログ用に書いてあったものなのだが(上記インタビューを読む前の7月に)、来日公演までに記事全体を仕上げることができなさそうなので、まずはこれだけを公開することにした。
【レビュー】
Bandcampでalternative, experimental, Londonというタグがついているように、新世代の(といっても10年ほどの活動歴がある)実験的なバンドによるオルタナ/インディロックの傑作みたいな角度から注目されている作品なのだが、そういうイメージを持って聴き始めたのが悪かったのか、個人的には最初はうまくハマることができなかった。たわみながらも不思議とうまくまとまるアンサンブル(ボーカル・ギター・ドラムスという変則編成)の面白さや出音の凄さはすぐに伝わってきたが、ポストロックやマスロック近傍のエモに通ずるコード感に関しては、そうした系譜ならではの旨みを感じ取れはしたものの、ジャンルの定型に近い部分がオリジナリティの飛躍を損なっていると感じ、価値を低く見積もってしまっていたのだと思う。しかし、繰り返し聴くとこれはこれで良いという納得感が確かに増していき、ポストロック方面にはあまりないゴシックロックの薫りに意識が向くようになると、これはもしかしたらdeadmanやgibkiy gibkiy gibkiy(というか双方のバンドでギターと作編曲を担当するaie)が近いのではないか、そこからヴィジュアル系的な歌謡成分を抜いてポストパンク要素を増やしたらこうなるのでは、という「気付き」に至ることになる。もちろんこの「気付き」は勝手な連想で、Still House Plantsとgibkiy gibkiy gibkiyに影響関係があるというのは(間接的なものであっても)まず考えられないわけだが、音遣い感覚や、即興的ジャムセッションを土台に構築していると思われるアンサンブルの成り立ちに関しては、共通点を持ちつつアウトプットの仕方が異なるものとして聴き比べる意義がある。そして何よりも、そうやって解釈の角度を当初のそれとは違うほうに移せたことで、自分に合った別の登山道を見つけてすんなり受容するような意識の転換ができたのだろう。音楽を繰り返し聴くということは、こういうルート把握というか感覚のチューニングを成功させるための試行錯誤という点でも大事な作業なのだと思う。一聴しただけで作品の価値を把握するのが難しい理由はこのあたりにもあるだろう。音楽構造や音響を聴取し分析する力だけでなく、上記のように波長が合うか否か、コミュニケーションをどうやって成立させるかみたいな要素も大きく関わってくる。
さて、そうやってわだかまりをなくして聴き入ることができるようになると、アルバム全体としては似たような印象(それこそジャケットに描かれているような鈍い色合い)を保ちつつ、個々の曲調や出音はとても多様なのだということがよく見えてくる。「Pants」のギターリフや「Silver grit passes thru my teeth」中盤の凄まじいリードギターには、My Bloody Valentineの異常音響(遠近法の焦点が波打ち揺らぎ続ける感じ)をShellacあたりのジャンク感(輪郭を磨きすぎずに固まる感じ)で引き締めたような質感がある。また、ボーカル(限られた歌詞を反復するリフみたいなフレーズが主体)の歌い回しやギターのコード感、たわむ浮遊感のあるグルーヴ表現は、TirzahやL’Rainのような(特にエクスペリメンタルな類の)オルタナティヴR&Bを想起させる。「no sleep deep risk」などの特に落ち着いた箇所からは、Still House Plantsというバンド名の由来にもなったというBedheadのようなスロウコアや、Camberwell Now、Ellen Arkbo・Johan Gradenなどを連想させられたりもする。そしてそのうえで、アルバム全体としては優れたオリジナリティがあり、上記のような比較対象は補助線にはなるけれども、本作ならではの味わいに対応する回路を築くためには、何よりも本作自体を繰り返し吟味していくしかない。そうすることにより初めて、この作品ならではのロジックや美意識、全体を貫く傾向のようなものを感覚的に理解し無意識的に対応できるようになるわけだが、それを説明しようとする言葉は、その時々の聴き手の状態、周囲の環境や季節、たまたま選んだ視点などに応じて変わっていってしまう(この文章も別のタイミングで書けば全く異なる語り口になっただろう)。なので、この手の音楽を描写する際には、「これはこういう作品だ」みたいに断定し何か一つの解を出してしまうよりも、何かしらの納得を得るに至る過程、すなわち「聴き方」とそれをどう運用したか記録するに留め、その先を閉じてしまわないようにするのがよりよいのではないかという気もする。そうしたほうが、(十分な読み込みや理解をしていないのに)「満足」してしまい繰り返し聴くモチベーションを失うような事態にも陥りにくく、作品と末永く付き合い楽しみ続けられるように思う。
以上をふまえて、あえて現時点での「解」のようなものを出すとするなら、このアルバムは曲ごとに各パートのフレーズの同期具合が変化していくのが面白く、それが歌詞やタイトルのニュアンスにも少なからず繋がっているように思う。「Probably」のような曲では各フレーズの接点が明確に定められている(そのうえでフリーフォーム的に崩れ迷子になる瞬間も少しだけ挟まれている)一方で、アルバムの終盤に近づくほどにそうした接点はパターン化できなくなる。「Pushed」や「More More Faster」はその最たるもので、ボーカルとギターとドラムスはポリリズムなのかそれともポリBPMなのだろうかというくらいフレーズの入りと切りが揃わないのだが、アンサンブル全体としては不思議とまとまりがよく、聴いていて戸惑わされる感覚がまったくない。そうやってズレつつ噛み合うさまからは、生活リズムの異なる人々が軋轢を乗り越えたうえで気兼ねなく暮らしあうルームシェアを連想させられたりもする。『If I don’t make it, I love u』というアルバムタイトルは、以上のような在り方や付かず離れずのやりきれない親密さをとてもよく表しているようにもみえる。そういう視点というか論題みたいなものを置いてみると、先述のようなギターの質感や尖ったドラムの鳴り、歌声のふるまいを吟味する尺度や場のようなものが得られた気がして、この抽象的な音楽に対する解像度や親近感がぐんと増していく。音楽を考えながら聴くのはやっぱり楽しいなと実感する。