ひなた坂の新曲「SUZUKA」の歌詞から考えるアイドルとファンの距離感
正直、ストレートに富田鈴花の事を歌った歌詞なので、びっくりしましたが、この歌詞はなかなか面白い。今までにない感じ。秋元康作詞の曲を全て追いかけているわけではないが、自分が知ってる中ではこんなにストレートにファンがアイドルを"推す"時の距離感を表現した歌詞はないのかなと思う。
しばしば、アイドルとファンの関係性は恋愛に喩えられる(疑似恋愛)が、それだけではなくなっている。"推し"との距離感は単純な恋愛感情ではない。それを見事に表現した歌詞だと思う。
普通の恋愛では好きな人と付き合う(恋人の関係になる)ことや、結婚して幸せな生活を送りたいと思う。疑似恋愛はあたかもそういう関係かのように錯覚させるイメージだろうか。ミーグリで話したり、サイン会でサインやメッセージを書いてもらったり。付き合っている感覚になる。だから、アイドルの楽曲は恋愛の曲が多い。"僕"がファンで、"君"がアイドルとか。
それに対して、この曲の主人公はバスの中にいる可愛い子に恋をするが、その子が偶然アイドルであることを知る。それで、「恋は叶わないけど」という。確かに当たり前だ。普通に考えたらアイドルとの恋なんて叶わない。そして、プライベートはそっとしようと誓う(ファンの鏡!)。この曲は好きな人から"推し"になるまでを書いているのかなと思う。なるほどね。今まで、好きなメンバーと、推しのメンバーの違いが自分の中でわかっていなかったが、そういうことなのかもしれないな。いや、でも推しの子とは結構本気で付き合いと思ってるかも。それはこの主人公とは違うな。それは、ともかくとしてこの曲の主人公とSUZUKAとは距離感がある。2人の距離感があるのを肯定する歌詞て僕が思いつくのは乃木坂46の「価値あるもの」だ。この曲の歌詞は要するに、片想いでいいと。自分が相手と付き合ったり、結婚したりしなくても、相手が幸せだったらそれでいい。そんなに愛せる人に出会えたことに価値があるという曲。いやあ切ないねえ。
秋元康の歌詞について語ろうと思うと、恋愛論を語らないといけないから恥ずかしい。いや、そもそもアイドルとファンの関係を異性愛に喩えるのがいいのかどうかもわからないが。それは今回の議題とは異なるが。
ちょっと脱線したが、秋元康は幻冬舎の社長の見城徹とのラジオで、恋愛は永遠の片想いだと語っていた。アイドルを推す行為も同じだと思う。永遠の片想いだと思う。彼女が幸せならそれで構わないという。
まあ「SUZUKA」の主人公がそこまで到達しているかはわからないが、少なくとも距離感のあるファンとして描かれている。恋は叶わないけと、センターに立つ君を見て嬉しいといった感じだ。これは多くの人の感情ではないだろうか。
「SUZUKA」の歌詞を見て、勢いでこの文章を書いたので、読みやすいのかは不明だが、今夜はここで締めさせていただく。起きてまた推敲するかもしれないし、もう一本書くかもしれない。