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10分雑文#57:人と比較しない幸せ

前回

何となく分かった気がする

人と比較しないことが幸せに繋がる。
こんなことが色々なところで言われている。

それは間違いなく正論だろうが結構難しい。
比較しないと自分の立ち位置が分からないからだ。

仕事すれば”評価”はついて回る。
そしてサラリーだって何かと比較されて計算されている。
社会というコミュニティで生きていく上で比較はついて回るのだ。

だからこそ趣味くらいは人と比較しないようにしよう。
という意味なんだと理解している。

しかし自分だけの趣味というのは見つけるのは難しい。
大抵のことは先駆者や同じタイミングで始める人がいる。
その人たちと比較を始めてしまうとそれは罠だ。

例えば私はトレイルランというスポーツが趣味だが、世の中には愛好者がたくさんいる。
ガチンコで取り組んでいる人もいるし、それでお金を稼いでいる人もいる。

その人たちと自分を比較し始めると趣味への興味が急になくなる。
なぜならそれは単純なfunでは無くなってしまうからだ。
自分は昔からこの癖があり、直したいなと思っていた。

「勝てないのに何の意味があるんだろう」
もっと言ってしまうとこう思っていた時代もあった。

それが今朝ようやく分かったのである。
20kmジョグをしている中で急に腹落ちした。

「自分が楽しければ何でもいい。」
これこそが趣味の本質だと思った。

趣味をつまらなくしていたのは、そこに”意味”を求めた自分自身だった。

意味なんてない。
ただ楽しくて、夢中になってしまう。
それだけでいいのだ。

トレイルランも老若男女が同じ大会に出る。
表彰台を狙う人もいれば、完走を目標にする人もいる。
トレイルランは”競争”ではなく、”共走”だ。と言う人がいる。
(もちろん他のスポーツもそういう側面はあるだろう)

大学院でも同様のことが言える。
仮に研究テーマが被ってしまっても別にいいのだ。
そこに至るまでの道のりやそこから研究結果は異なるだろう。

”点”で捉えるのではなく、”線”で捉える。
人生は長い(短いけど)ので、その一瞬ではなく全体にどう関連してくるのか。
お買い物もそうだけどそれ以外にも、この考えは活きてきそう。

一瞬で無くなるものではなく、長く使えるものの方が良い。
そりゃそうだよなということに身をもって気づく。それが重要。

無理に”唯一無二”を目指す必要はないし、好きなこと・楽しいことに”意味”を求める必要はない。

自分がやりたいこと、好きなことを楽しむ。
それこそが「人と比較しない幸せ」なんだろうな。

とても良い気づきだった。



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