コミュニティとソーシャルキャピタル
どういう記事なのか
まず「コミュニティは地域にとってどういう役割なのか?」が気になり、調べていると”ソーシャルキャピタル”という言葉がよく出てきた。
簡単に調べてみると興味が湧いてきたのでまとめてみた次第。
自分勝手に"コミュニティ"を定義する
結局は自分で定義するしかない。
Google Scholarでコミュニティ研究の論文をいくつか読んだ。
ほぼ全ての論文に「定義は曖昧であり、明確に定義する必要がある。」と書いてあった。
コミュニティ研究においては、類義語にも注意が必要となる。
マッキーヴァーはコミュニティとアソシエーションの違いについて次のように定義している。
コミュニティは村や都市といった「領域」を指すが、アソシエーションは「ある共通の関心を追求するために設立された社会生活の組織体」としている。つまり、アソシエーションは「結社」であり、コミュニティの関心を支えるために創出されるものである。
このアソシエーションは、教会、クラブ、経済団体等が想定されている。
コミュニティは大枠でしかなく、その中で動く人たちの集団はアソシエーション(結社)になるということだと自分は読み取った。
めしじまが興味ある領域はどこか。
個人的に興味があるコミュニティ関連領域は「企業がコミュニティに参画/サポートすることの意義」である。
人が少なくなる中で、地方社会の課題を行政だけで解決することは難しい。
地元住民たちのコミュニティがその役割を担うことになることは必然と言える。
とはいえ、地元住民だけではあらゆるリソースが足りなくなることが想像できる。
・ヒト:知識がある人がいない、力のある人がいないetc
・モノ:集まる場所がない、必要な道具がないetc
・カネ:運営するための費用がない、人を集めたりするための費用がないetc
これ以外にも細々出てくるだろう。
行政からの助成金・補助金に頼るというのが多いが、結局それが途切れたときに運営ができなくなってしまう。助成金とかは年度ごとに申請パターンが多く、その作業に時間を取られてしまうことも課題だろう。
そういった足りないリソースを地元企業がサポートできないのか。
地元企業にとってその地域は単なる所在地ではない、「守りたい存在」であり「貴重な市場」でもあるのだ。地元企業と地元住民の思いは一緒だろう。
地元のスポーツチームへの協賛やお祭りへの協賛はよく目にするが、それと同様にコミュニティへのサポートがより活発になってもいいのでは?と考えている。(もしかしたら既に行われているかもしれない)
青森ねぶた祭も企業がお金を出して、ねぶたを制作し、祭りが盛り上がっている。
しかし、企業は利益を上げる必要があり、リターンがないところにリソースを割くことはできない。地方地場企業の多くが非上場企業かつファミリービジネスだと考えることができ、株主への説明責任や圧力への対策は不要だろう。CSR活動の一環としてサポートを行うこともあるだろうが、昨今の厳しい市場環境の中ではそれもいつまで続けることができるのか。
必要なことは「サポートを行うことで、どういう効果がでるのか」だろう。
これが分かれば、しっかり費用を捻出することが可能になる。なぜなら費用対効果分析に近いことができるからだ。
厳密な効果測定ではなくとも、ある程度の数値根拠があるだけで変わってくるだろう。その辺りを定量・定性の両面から調べてみたい。
色々調べた後はどうするのか。
最終的には、地方地場企業を巻き込んだコミュニティ支援/サポートができたらいいなと思っている。企業から入るのではなく、コミュニティから入り、コミュニティサポートを協賛メニューのような形で提案するイメージ。
中小企業診断士や行政書士の資格を活用して支援者としてサポートしていくもありかなと思っている。
"ソーシャルキャピタル"とは
どういう文脈で出てきたのか。
公衆衛生や社会福祉の観点からコミュニティを考えていく中でこのワードにぶつかった。
ソーシャルキャピタルの定義。
ソーシャルキャピタルについてパットナム(1993)は、こう定義している。
つまりは、「いい感じの社会にするために必要な要素」である。
定義や概要についてはこのサイトが上手にまとめているので頼ることにする。
パットナムは、顔を合わせないオンライン上のネットワークは、直接対峙するネットワークの補完にしかすぎず、それ自体はソーシャル・キャピタルの蓄積において重要ではないとしている点に注意したい。
さらにパットナムは、ソーシャルキャピタルの源泉の一つとして、市民社会の重要性を指摘しており、これらは政府や市場から独立して行動するグループや自発的な組織からなるされる。例えば、スポーツクラブ、文化協会、協同組合などである。そして、人々が顔を合わせて活動を行うことが重要される。自発的な組織に属する個人は、他人を信頼する傾向がかなり強く、幅広いコミュニティに参加する傾向があるとされている。
ソーシャルキャピタルの良い点、悪い点。
良い点に光が当たっているが、悪い(懸念)点も存在する。
いくつが切り口があるが、
1.「排他性」が強くなりすぎると、カルテルを結成したり、特定の人を排排除するようなグループが形成される可能性がある。それにより、経済パフォーマンスの悪化や、社会参画・社会移動の遮断、コミュニティの対立をまねく要因となる危険性がある。
2.「個人の自由を制限する」、「個人の特異性を損なう」といったマイナス面を指摘するケースも存在している。
3.すべての社会(特に途上国において)に共通に使える適切な指標ではなく、社会の構成員が均一的な存在としてとらえられ、当該社会内外の力関係の存在が捨象されてしまい、実社会のあり方を正しく反映してないのではないか。
このように言われてみれば確かにそれはあるかもという指摘だが、しっかりと定義をすることや概念を決めることで解消できるのはないかとも言われている。
ソーシャルキャピタルのまとめ。
コミュニティについて考えていく中で、参加者が自ら能動的に動く仕組み作りという観点でソーシャルキャピタルを役立てることができそう。
一方で、両者とも定義や定量的な効果測定が難しく、果たして意味のある調査になるのかは疑問。
あくまでもソーシャルキャピタルが高い=コミュニティが機能していくとシンプルに考えることで十分な気がしている。
NPO運営などはそこの指標測定が重要になる気もするが、そこまでやらなくてもいいだろう。
ソーシャルキャピタルは「社会関係資本」と日本語に直せるが、つまるところ「人と人の絆」や「人と人の支え合い」であり、これは日本に根付いている文化だと考えることもできるだろう。
ソーシャルキャピタルは一般的には公共財になり、間接的に生産されるケースが多い。並べて説明されることの多い人的資本と異なり、個人に属すのではなく、コミュニティ(集団)に多く存在していることも注目できる。(書いた人)
次は何を調べるか。
企業が関わっているコミュニティを分類してみたい。
スポーツチームの協賛やお祭りへの協賛など。
趣味の一環としてのんびりやっていく。
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