日本語英語(ジャパングリッシュ)は武器になる!?
今から8年前、5年間勤めた会社を脱サラし、世界で通用するスタンダップコメディアンになることを志し、イギリスにコメディー修行に行った。
イギリス滞在の1年間、毎日のようにオープンマイクと呼ばれる誰でもスタンダップコメディーに挑戦できるイベントに参加し、スタンダップコメディアンになるためのワークショップも受講した。
僕は、自分の英語の発音にコンプレックスがあった。撮影した自分のパフォーマンスを見返すたびに、自分の英語の発音に失望していた。まるで日本語を話しているかのようなジャパングリッシュに。
当時のビデオがこちらである。(2016年エジンバラフリンジ)
ちなみにこちらが現在のビデオである。(2024年浅草)
あれから8年経った今、驚くべきことに英語の発音がほとんど成長していないのである。生まれ持ったジャパングリッシュの才能があるとしか言いようがない。
しかし、実はこれには訳があるのである。(言い訳)
イギリスで、5回ほど中堅どころのコメディアンが講師を務めるコメディーのワークショップに参加したのだが、全ての講師に全く同じことを言われた。
「その、君のジャパングリッシュを捨ててはダメだよ」と…
もし僕がネイティブのように流暢な英語を話したら、他のネイティブのアジア人コメディアンとの区別がつかなくなり、日本生まれ、日本育ちで、第二言語でコメディーに挑戦するジャパニーズというユニークなアイデンティーが失われてしまうとのことであった。
(実際、今から流暢な英語を話すなんて、ミッションインポッシブルであるが…)
しかし、有名なコメディアンの講師から、ネタに関して個別にアドバイスをもらえるという高額のワークショップに参加した際に、講師のコメディアンが僕のジャパングリッシュを理解できず、彼からもらったアドバイスが
「RとL発音に気をつけたほうがいい」だけだった時は、正直、このジャパングリッシュを駆逐したくなった。
まさか5万円支払って、RとLの発音を再度、学ぶことになるとは…
もっと学生時代に英語の発音を練習しておくべきだったと深く反省。
ちなみに彼らが言う、武器になるジャパングリッシュとは、オーディエンスが理解できる最低限の発音をおさえたジャパングリッシュであるのだ。
ただ、日本人で英会話を習っている人の多くは、発音を気にしすぎていると思う。メディアなども、日本人が英語で話す内容よりも、その日本人の発音がうまいかどうかに重きを置いている気がする。
実際、語学とは自分の意志を伝えるものである。
どう発音するか?より、何を言うか?のほうが大切であると思う。
想像してみてほしい、どちらの外国人と友達になりたいか。
①マイケル君は非常に流暢な日本語を話すが、話す内容がいつも「今日はカフェに言って、美味しいコーヒーを飲んで、その後、家でお昼寝をして、とてもリラックスできたよ」と教科書の例文のようで退屈である。
②リチャード君は、発音や文法が拙いが、考え方が面白く、いつも独自のユニークな見解を述べて、場を盛り上げてくれる。
僕は俄然、後者のリチャード君と友達になりたい。多くの人もそうであると思う。
僕もそうであったが、日本人は英語の発音コンプレックスが強すぎるのだ。世界を見渡せば、多くの国が独自の英語発音を作り出している。(アメリカ英語だって、イギリス人からしたらイギリス英語を間違えて発音しているのだ。)
我々日本人はスコットランド人を見習うべきである。彼らは本来の発音とはかけ離れた英語の発音を堂々と世界に向けて発信している。
「イエス」のことを「アーイ」と言い、言語の品種改良までしてしまったのだ。
今こそ、我々、日本人はジャパングリッシュをスコティッシュみたいに新たな英語ジャンヌとして、世界に発信していくべきである。
(スコティッシュと同じで英語字幕が必要になるが…)
これは僕が敬愛を込めてスコットランド人のお客さんの英語の発音をいじった時のネタである。
最近は、どうにかギリギリお客さんが理解できるレベルのジャパングリッシュをマスターしつつあるが、自分のコメディーのパフォーマンスの後、必ずと言っていいほどお客さんに言われる言葉がある。
「あなた、スマートね。わざとジャパングリッシュのアクセントを強調して、日本人としてのキャラをたたせてるでしょ。」
もちろん僕は、いつもスカしてこう答える。
「まぁーストラテジーとして、意識して、ジャパングリッシュをあえて使う時もありますよ(キメ顔)」
がっ実際は、いつも全力投球で
ネイティブによせて英語を喋っている。