2024-06-24_漠然とした危機感

昨晩深夜3時頃に床につくも一睡もできず気づけば朝の9時。
10時頃にもう一度寝ることを試みるも上の階で工事かなんかが始まって超絶爆音が響き渡る。全く寝ることができずに気づけば13時。やっと寝落ちできて起きたのが16時半。そして、現在日付変わって朝の4時00分。

寝たいのに微塵も眠くないときってほんとキツいし、30年以上このキツさに苦しめられてきたのに全然慣れない。母親曰く生後すぐからこんな感じだったらしくただでさえ寝つきの悪い体質なのに、仕事柄デジタルまみれだから睡眠の質も余計に悪くなりがち。

さて、本題に入って。
漠然とした危機感が日に日に増してきているという話。

YouTubeとかSNSに出てくる社会の課題を解決しようと奮闘している人たちを見るたびに、「俺なにしてんだろ?」という漠然とした疑問が強くなってくる。「何を呑気にYouTube見て、何も生み出すことなくぼーっと考え事してんだろう。」流れてくる動画を見るごとにどんどん増してくる今の自分に対する焦り。

別に自分自身が注目を集めたいとか人気者になりたいとかそんな思いはこれっぽっちもないんだけれども、1つの社会の課題に対して真剣に向き合って仕事している人たちを見ると、「まじで俺なの課題とも向き合えてないな」って、すごい反省してしまう。

反省をしたところで「じゃあ、何の課題と向き合うの?」という自問に対する明確な答えを1つも用意できていないことも危機感を募らせる要因のひとつになっている。関心のある分野・領域はたくさんある。政治や行政にも関心があるし、保護猫の活動も興味あるし、空き家問題にも国内の農業にも文化財保護にも関心がある。当然今本業としてやってるテクノロジーのことにも関心がある。でもどれもこれも今ひとつピンと来ない。「本気で取り組めるだろうか?」と自問したときに全部中途半端に挫折してしまう未来が容易に想像できてしまう。

「関心がある」程度の熱量ではおそらくなんの課題も解決できなくて、強烈な原体験や強烈な信念がないと事業や社会活動として続けていくことがそもそもきつくなる。そういう自分を突き動かす強烈なエネルギーが湧いてこないことへの漠然とした危機感がここ数日ずっとある。

本気で取り組める課題が見つけれないからといって、何もせずぼーっと考え事しているだけな今がシンプルに辛い。何か手を動かしたくて動かしたくて、今も文章を書いている。

自分が社会の課題に対して本気で取り組めることってなんなんだろう。「これだ!」と思える課題ってなんなんだろう。考えてるだけじゃ本当に全くわからない。少しずつでも何かしら社会に対して働きかけることができていたらいいんだけど、その最初の一歩がなんなのかもぼんやりしていて何一つ行動を起こすことができていない。

そんな無能な自分が惨めで、悔しい。


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