2024-10-15 どうせ感謝することになるんだから、今のうちに感謝しよ

好きだった人のことを「嫌い」と認識し、徹底的に距離を置いて、今まで押さえ込んで我慢してきた自分の中にあった憎しみや恨みを全面的に認めた。「こいつのこと嫌いだわ」って散々発散してたけど、いつまでこんなに"嫌い"の気持ちを抱え続けるのか?と疑問に思った。

ずっと抱えていた心の傷を与えた人に心から感謝している話

自分の心に深い傷を負った過去の失恋。
去年くらいまではずっとこの傷を払拭できなくて何年も過ごしてきたけれど、今年になったくらいだろうか。すごい感謝の気持ちでいっぱいになった。

嫌われる覚悟で厳しい言葉を自分に対してかけてくれたこと。
どれだけ自分がメンヘラ拗らせて不快な思いをさせても、自分のことを気にかけてくれていたこと。
相手の「友達として大切にしたい」という気持ちを自分は散々無視して裏切ったのにも関わらず、友人として大切にしようとしてくれていたこと。
なにより、あの人と出会って俺のこと全否定する厳しすぎる言葉を言われていなかったら、今の自分は絶対いない。

そう気づいたときに、心の底から感謝した。
もちろん今でもすごい感謝している。またどこかで会うことがあったら絶対に「ありがとう」と伝えようと決めてるくらいには感謝するようになった。

でも、、、もうありがたさに気づくのがあまりにも遅すぎた。
もう会うこともできないきゃ、話も聞いてすらもらえなくらいに、忌避されてしまった後だから。まだ定期的に会うことがあった数年前のあのときの自分をぶん殴ってやりたい気持ちである。

「人生に後悔はない」と思って今を生きてきたけど、長年片思いしてきたあの人に感謝の気持ちをひとつも伝えられなかったどころか、まだつながりがあったときに気づくことすらできなかったことが、今のところ唯一抱えている人生の後悔になった。

 時が過ぎれば自ずと感謝が湧いてくる

だからこそですよ。
同じ後悔を抱えてはいけないと思った。

今は憎しみや恨み、嫌いという気持ち、妬ましさでいっぱいなんだけど、先の経験のようにどうせいずれ感謝する日がやってくる。遅かれ早かれどうせ相手に対して感謝することになるんだったら、現時点ではそんな風には微塵も思えなくても、言葉だけは感謝してみることにした。

「ありがとう」「出会えてありがたかったなぁ」「〇〇のおかげで色々気づけたなぁ、感謝」とね。口先だけでいいし、恨みも憎しみも嫌いの気持ちも持ってて良い。アウトプットする言葉だけ、意識的に脳内で発言する言葉だけでも感謝するって決めた。

自分にも非はある

そもそも全部相手が悪いのかといえば、まぁ、おおよそ相手が悪い。
って思ってたさっきまで。
「相手からの愛を信じて受け取ることができていたか?」と自問したときに、全然そんなことなかったなーと自戒して、自分も悪かった気がした。

「この人なら信じても大丈夫」と思って勇気を出して踏み込んでみた恋愛だったけれど、"勇気を出して踏み込んでみた"の時点で相手のことを全面的には信じてなかった証左なんだよなー。

壁に体は隠して顔半分だけ出して、「え、、、本当に信じて大丈夫??傷つけるようなことしない??」と不安を抱えてながら踏み込んでいた点は否めない。自分では勇気を出して信じてみたつもりだったけど、相手からしたら「私のこと好きじゃないのかな。信じてくれてないのかな。」と感じてしまうよな。そんな恐る恐る近寄ってくるような感じだったらさ。

YouTubeのとある動画で「人間不信だと無自覚に壁を作って受け取り拒絶してしまう。あらゆる愛ある発言・行動も、自分を傷つけようとしてると疑ってしまう。」という話を聞いてだいぶ顧みた。自分には絶対その気はあるから。

「信じてね」

そのYouTube動画の中で紹介された「信じてね」って言葉がなんか心にブッ刺さった。傷つけられるベースの人間関係しか知らないで生きてきた自分にはけっこうカルチャーショックで、自分の認識している"信じる"は、"(疑いながら条件付きで、保険をかけつつ)信じる"が正しくて、それすらも自分にとっては大きな勇気が必要な決意なのに、何もなく無条件に「信じてね」はまるで別世界の概念である感覚になった。

"何もなく無条件で信じる"という言葉はもちろん知ってますよ。
ただ自分の中での"無条件"とは、すなわち、"恐る恐る歩み寄る"が無条件の感覚だったから、全然違ったんだだなと腹落ちした。

だから、感謝するだけじゃなくて、「素直に気持ちを受け止められなくてごめんね」という気持ちも持っていようと思うようになった。

どれだけ嫌いだと思っていても、憎くても、恨んでいても、、、何に対しても感謝の念を持って日々を過ごしてみようって話。



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