2024-07-16_グッと堪えて、思い留まること
昨日、性懲りも無く振られた人のSNSを覗いてしまった。
そういうことしてしまったから神様からの罰だったんでしょうね。1タップ目で出てきた投稿が「2023年2月」の彼氏との2ショットだったんですわ。
それを見た私は「まーじキメェ!!」と怒り心頭状態になってしまって1日中モヤモヤして過ごすことになった。俺に対して「好き」とかアプローチしてきてたときに別の男ともこういうことをしていたということが、心底やってること気持ち悪いと思ったし、「もはや最初から俺のこと振り回す気で近寄ってきただろ。許せない!」という感じにね。
1日ずーっと許せない気持ちに呑まれてしまった私は「一言文句を言ってやらないと気が済まない!!!」と、最終的にはDMに文字を打つところまで手が動いてしまっていた。
でも、送信ボタンを押す前に自分で書いた文章を何度も読み直していて、ハッとした。「こんなの送って何になるんだろう?」と疑問が湧いてきた。
嫌味全乗せの文句を今更相手に伝えたところで、過去に戻って結果を変えることができる訳でもない。「やっぱりあなたと付き合いたいです」と思い直してもらえる訳でもない。じゃあ、何になる??
心の中では「ここでまた優しく振る舞ったらまた雑に扱われて自分が傷つくぞ。ガツン!!と言わなきゃダメだ。」と呟く自分もいたんだけれども、グッと堪えることにした。
ひとつに、事実として俺は負け犬ということ。
負けたのだから別に自分を振った人が彼氏とのどういう投稿をしていようが相手の自由であり、俺が何かを言って良い立場じゃない。惨めで醜い敗北者なのだということを改めて自覚しないといけないと思った。負けたのだから彼女と僕が過ごした時間がなかったことにされていても何も言えない。こういう嫌な思いをすることも敗北者の宿命なんだ。
ふたつに、こんな程度の低いことの相手をする必要はないということ。
冷静になって考えてみれば、自分が反応してしまって怒りに呑み込まれてしまっているそれは実に程度が低い出来事ではないか?高校生とか中学生とか人間性が終わってる女とかやるそれでしかなくて、そんな程度の低いことにキレてるようじゃ俺も同じレベルに成り下がってしまうと反省した。
最後に、因果応報ということ。
誰しも生きていれば他人を傷つけてしまったり、不快な思いをさせてしまったり、期待に応えることができなかったりと、してしまったことは大なり小なり必ずある。それも1つや2つではなく、自分が気づいていないことも含めたら何十、何百とたくさんの数、やってきたはず。そいうことへの報いが回り回って自分に返ってきてるだけなのだと考えたら怒りは完全に眉をひそめた。自分だってたくさん人を傷つけ不義理を働き生きてきたのだから、他人からそういうことをされたとしても許せる人間でいたいと思った。
なので、まずはグッと行動を起こしてしまうことを堪え、自分がやろうとしていることの愚かさに気づき、「自分がどうありたいのか?」ということを導き出し、その在り方に添えば「全部許す」の一択になった。
そしてこの答えを出したあとはすごく気持ちよかった。
ついさっきまで苦しさ、憎しみ、恨み、嫉み、怒り、悔しさ、惨めさ、敗北感で心の中はいっぱいだったのに、たったひとつの気づきで心の中が優しい気持ちでいっぱいになった。
「この人生は修行の場なんだ」と強く思わされた一瞬だった。
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