2024-10-23 執着の話 Part N(もう何回目かわからん)


どうしても気になって追っちゃうんだよな

どうしても気がつくと頭の中で考えてしまっている。
どうしても気がつくと相手のSNSを検索してしまっている。

自分の中に「もしかしたらまだ俺を選び直してくれるかもしれない」みたいなちょっとした期待みたいなのもあるし、「この先で苦しむ様を見ててやりたい」というちょっとした憎悪みたいなのも共存している。

それで病んでるとか、悩んでるとか、辛いとかはないけれども
暇になると無自覚にやっちゃってるそういう"追ってしまう行動"が「すごい嫌だなー」って後からジワジワと感じる。俺がいくら考えたところで他人の気持ちは変わらないし、SNSを追ったところで何か結果が変わる訳でもない。頭で考えればそんなこと当然なのに、どうしもふとした瞬間に気になってしまう。

あぁ、実に執着だなー

自分には関係のない話

どうしようか考えたんだけど、これは恋愛に限らないすべての人間関係で心得ておいて損はないだろうひとつの答えに達した。それが「ま、俺には関係ないか」で消化するってこと。

無自覚にやっちまうもんは仕方がない。
意識がいくら「ダメだ」と制止したところで、強力な無意識の力を止めることはできない。ゆえにそもそもとして「やっちまうもんは仕方ない」のスタンスを持つことにした。そのときの自分がやりたいと思ってやっていることなんだから、それはそれでいい。「授業中に睡魔に耐えられなくなったから寝落ちする」くらい仕方ない。十分な睡眠をしっかり取って、炭水化物も抜いて、昼メシをナッツで済ませたとしても、「眠くなるな!!」なんて無理な話だろう。気が抜けたときに無自覚に相手のことを考えて少し病んじゃうとか、SNSを検索してアカウント見て一喜一憂しちゃうとかは、、、それと同じようなもんだと思う。(いや、実際は違うと思うけど)

で、やっちまった後が問題っすわ。
やったあとに一喜一憂していると自分の心は相手に何かしら関われている感覚を得て満足してしまうから、試しに「まぁ、俺には関係ないか」と頭の中で呟いてみた。すると不思議と追いかけたい気持ちが薄れてきて、関心が薄れてきた。

なんかの本で「人は愛で繋がれなかったとき、執着で繋がろうとする」みたいな文脈の文章を読んで感銘を受けたことがあって、相手との間にある繋がりが愛だとしても、執着だとしても、そこから得られる感情(たとえ苦しみや辛さ、傷つくことであっても)から繋がることができている安心を得ているらしい。どの本に書いてあったっけなぁ🧐

今の自分がやっている"追ってしまう行動"は、まさにそれなんじゃないかと自分自身は捉えた。だから「自分には関係ない」という言葉は「その痛みに相手との繋がりはないんだよ」と無意識に教える言葉になる。自分と相手の間にしっかりと線を引く言葉ですね。

辛いだけなのに安心感を得られるという麻薬みたいな存在

やっぱりこうやって自分が傷つくだけのことだとしても、相手と繋がれている安心が遥かに勝るから、体感としても相手のことを考えないようにすることよりも、無自覚に考えちゃってる方が楽なんだよね。関係を完全に断ってもなお、相手のSNSを定期的に覗きに行く方が楽なんだよね。それくらい行動習慣として体に覚えてしまっている。

そして「相手との繋がりがない」という事実を、現実を、心が受け入れたがらない。自分の心がどれだけ傷ついたとしても、相手と繋がっている安心を得るためなら、無意識はなんだって差し出す。そして一時の安心を得て、また繋がりを感じたくなったら相手のことを考えたり、SNSを検索していたりする。そして自分の心は苦しみを感じ、無意識はまた安心を得る。

頭で合理的に考えたら全く意味のわからないことをしていて、自分のことのはずなのに理解に苦しむ。まさに麻薬ですよなぁ。

仮にまた会って関係を再構築するにしても、依存的な感覚を徹底的に捨て去っておかないと、また同じ沼にハマることになるんだろうことが容易に想像できる。

執着を手放すって難しすぎる

難しすぎるとかいう次元じゃない。
一体いつからやってんだ!?って話でもあり、執着は掘れば掘るほど根の深さにドン引きする。目先の失恋に執着していると思いきや、特定の誰かに執着し続けているのは10年前から途切れていなくて、人を変えて執着の継承をしているだけだったりもして、さらに掘っていけばその根源は親子関係にあり、物心すら付かない赤子の頃に習得した戦略のひとつだった。

人生の年輪と云うても差し支えのない人生戦略を手放そうとしているのである。"難しい"なんていう生易しい言葉で片付けられる課題ではないのである。

「そろそろ手放せそう」と思えても、全然そんなことはなくて引き戻されて、「全然苦しくないし、もう〇〇なんてどうでもいいわ」と一見手放したように思えていても、実はただ眉を顰めていただけだったりもして、、、一体いつになったら手放したと思えるのか、先の見えない日々だった。なんとなく、記憶すらもない赤子の頃まで遡ったのだから、今度こそ本当の"あと少し"なんじゃないかなと感じたりもする(願望)。

まじで、気合いと根性。











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