2024-08-21_自分に絶望した件

「もう執着は手放した!別に気にならないわ!!」って思って完全に気持ちを緩めていた。めちゃくちゃ甘かった。執着ってやつがどれだけ根深くて、手放すのにどれだけ時間を要するかということを完全に忘れてた。

苦しさから解放されたい一心だったから、表面的に手放せていた状態で「もうOK」と思い込んでしまっていた。

全然OKなんかじゃなかったわ。
すんごい些細なことから執着していた人のことが気になってしまい、1度気になってしまったらもう止まらない。気づいたら、めちゃくちゃ的外れなメッセージを送っていた。

相手からの返信で全然的外れだと指摘されて、一気に我に返って、執着を手放せた気になって甘えた行動をしていた自分自身に心底絶望した。まだ執着は手放せていないという意識さえ持っていれば自分の意思とは反した行動を止めることができたはずなのに、「もう手放せてる」とか思い込んでいたせいでなんの抵抗もすることができなかった。すべてを都合良く解釈して、かすかな可能性に希望を見出して、妄想だけで行動を起こしてしまう。終わってる。

昨日1日ベッドの中でずっと反省に反省に反省を重ね、自戒して、ひとつの答えを決めた。「もう手放そうとするのやめよ、、、」とね。
この報われない感情を抱えて日々を過ごすことはすごい苦しい。手放すことと見て見ぬフリすることは結構似ていて、「手放そう」と努力するエネルギーの源泉が「苦しいから楽になりたい」であった以上、それは手放すのではなく見て見ぬフリしているだけだったと気づいたんですわ。

心の奥底ではまだまだ執着していて、思いも何一つ手放せていないのに、実世界の自分がそれを否定するような努力をずっとしていたら、ある日突然反動がやってくるのは当然のことではある。それが今だった。

また同じような努力を繰り返したら、また同じような反動がやってきて、また同じような行動を起こしてしまうかもしれない。自分が絶望するだけなら別にそれでも構わないのだけれども、巻き込まれてしまった相手の気持ちを考えたら迷惑以外の何者でもない。そんなことしたい訳じゃないのに、、、

であればこんなことやめた方がいい。
別に報われなくてもいい。ただただ、この気持ちを大切にし続けていることが自分の本心にとっては大事なことなのだと思う。たとえそれが苦しくても、辛くても、悲しくても、大切な物である以上はそう簡単には手放せない。

たとえば子どもがめちゃくちゃボロボロになったぬいぐるみを大切にしていたとして、親が勝手にそれを取り上げて新しいぬいぐるみを買い与えたら、たぶんめちゃくちゃ泣き喚くし、「返して〜!!」って言い続けると思うんですよ。その感じにすごい似てる。

理由とかわかんないけど、「大切だから」としか表現のしようがない。
だからもう存分に大切にしようと思った。誰になんと言われようと、たとえ報われることない気持ちだとしても、相手になんと思われていたとしても、自分にとってはすごいピュアで大切な気持ちで、何にも替えることはできないものなのだ。もうこれは仕方ない。

本心が大切にしたいと叫んでいるのだから、どんだけ苦しくても辛くても腹括って俺も大切にしてあげる以外に選択肢はない。無意識の自分が他に目移りしてくれるのを待つか、気持ちが報われることを待つか、たぶんそれしかできることはない。

「執着を手放す」の深淵は実に深い。
何度苦しい執着を経験しても、その深淵には到達できていないことに、心底絶望したという話でした。これからの人生でもあと何度この苦しみと向き合うことになるのだろうか。実に業が深い。

とりあえず、これからは自分自身に片想いを続けることを許してあげることにする。好きでいいし、気になっていいし、報われたいと思っていい。こんな思いになれることなんて人生にそう多くはないのだから、せっかくだし大切にして生きていこうと思う。

ごめんな、自分よ。

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