2024-11-02 現時点でたどり着いている"自分を大切にする"の感覚

「自分を大切にする」

とてもよく目にするキャッチーなフレーズでありながら、一時の気休めにしかならない言葉でもあり、誰にもでわかる単語が並ぶシンプルなフレーズであるからこそ、真髄がわからない実に複雑な言葉である。

自分を大切にするとは一体なんぞや?
「まずは自分自身を大切にすることから始めよう」「自分の最優先に幸せにしよう」。そんなことを言われても何をしたらいいのかがわからない。

この言葉と向き合うスタート地点はそんな状態だった。

自分を大切にする = 自分本位に振る舞うこと?

まず最初に始めたことは思ったことを口にして言ってみる。文章にして相手に直接伝えてみる。嫌なことには嫌と意思表示する。やりたくないことをやらない。

そんなことから始めように記憶している。
すごい不慣れな感じだったと思う。好きな人からもらったプレゼントがコンビニで買ってきたようなお菓子だったから気に食わないと、突っぱねたこともあった(意味がわからない)。当時やってたバイトをサボったこともあった。汚い言葉をぶつけてみたり、、、なんか不器用なことをたくさんやった。

当然だけどそんなことが"自分を大切にする"である訳はなく、何一つ幸せを感じることなんてなかった。

自分を大切にする = 自分のために散財すること?

就職して収入が安定し、お金に余裕も出てきた時にやっていたことがこれ。
とにかく自分のために金を使いまくった。欲しいと思ったものはガンガン買うし、家もそこそこ家賃の高い物件に引っ越したし、食べたいものも好きなだけ食べた。

何かを手に入れた瞬間は幸せだった。
でも、このスタイルで自分を大切にし続けるには幸せが感じられなくなったらまた欲しいものにお金を使って、お金を使って、、、と続けていく必要があるんだけれど、さすがに物欲に限界が来た。

あるときから何も買いたいものが思いつかなくった。
「今持っているもので十分だよな。わざわざ新しく買う必要ないよな。」とね。

自分を大切にする = なにもしないこと?

仕事もしない。外にも出ない。一生パソコンの画面を見て、眠くなったら布団に潜り惰眠を貪り、体が疲れたら起き上がる。そんな時間にもタスクにも縛られない悠々自適な生活が自分を大切にすることになるかもしれない。

そんなことを思ったときがあった。

やってみるとわかるけど、ニート状態は実にきつい。
昼夜逆転の生活も後悔や背徳感がえげつない。
乱れ切った食生活は髪質や肌をボロボロにしたし、体重も激増した。
到底自分を大切にできているという実感はなかった。

小さなことでいい

現時点の自分が感じている"自分を大切にする"とはなんなのか。
まだ仮説に過ぎないけれども、1日1日の日常の中で小さな幸せを感じて感謝すること。昨日と今日で自分が快適に過ごせるためのほんの小さな変化を生活に与えること。ほんの些細な喜びを見つけること。そして1日の中で小さな小さな感謝、喜び、変化を積み上げていくこと。

朝起きて、「今日は洗面台だけ掃除してみよう」
お金がなかったときに食べていた貧乏飯を食べて感じる多幸感
お金を払って食べ物が手に入る感謝、喜び

そんな、、、本当に些細なことでいいんじゃないか?
"大切にする"って大層な行為だと思っていたけれど、実は逆なんじゃないか?

そう感じてるんですよね。
ひとつひとつの小さな小さな些細なことが日々積み上がって積み上がって、意識なんかせずとも自分を大切にすることができるようになっていくのかもしれない。幸せを心から感じることができるようになっているのかもしれない。

こうやって考えてみると、この小さなひとつひとつの行動が、感情が、俺が探し求めていた"愛"なんじゃないか?とも思ったりした。



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