2024-11-27 行動するのか、行動しないのか
今日は気分を変えて別のパソコンから文章を書いてみている。
普段はMacbookを使って書いているけど、デスクトップPCで書いてみると視点の位置が高くて、自然と姿勢が良くなる。こっちから書くように習慣を切り替えてみようかなー
さて、本日の悩み、、、というか。ちゃんと言語化しようと思ったこと。
「行動を起こすべきなのか」それとも「行動しないべきなのか」この違いはどこにあるのか。
「迷ったら行動しろ」とは言いますけれども、、、
世にある自己啓発や意識高い系のYouTubeなんかでは、なにかと「黙って行動しろ!」と説かれていますから、基本的にやろうかどうしようか悩んだら行動を起こしたほうがベターなのだろう。
しかし、世には行動を起こしてしまってはいけない場面というのがかなりたくさんある。例えば最近話題になっているような闇バイトをやるのか、やらないのか。どう考えても「迷ったら行動しろ!」とはならない。
そんな大げさなことではないにしても、日常の些細な場面でカフェの店員の態度が気に食わなかった。クレームを言うのか、何も言わずおとなしくやり過ごすのか。これもどう考えても「迷ったら行動しろ!」とはならない。
なんでもかんでも無暗やたらに「行動しろ」という訳ではないのだが、この両者にはどんな違いがあるんだろう。
行動を起こしてはいけない場面
人に不利益を及ぼすことが容易に想像できるとき
命の危険が及ぶとき
法に触れるとき
自分の行動ではどうしようもないとき
あとなんかあるかな。。。まぁとりあえずはこんなもんでしょうか。
これらは「行動を起こさず、何もしない」というのが正になる気がするけれど、起業や勉強、副業を始める、旅に出る、引っ越しをする、、、この手の行動と何が違うんだろう。意外と言語化が難しい。
なんとなく思ったのが、闘争・逃走本能に駆られての行動なのか。自分の本心に基づく行動なのかの違いではあるような気はする。ただ闘争・逃走本能の渦中にいるときに、自分の本心との違いに気づくというのは自分が体感した経験から言うと99%無理だと思う。
実際に闇バイトに応募して逮捕された人の供述とかをニュースで観ても、自分の理性と不安や恐怖から来る闘争・逃走本能の違いを全く区別ができなくなってしまっているんだろうなと感じることはある。
今自分は至って冷静なので区別をすることができるけれど、心に余裕がないとき。何か大きな失敗をしたとき。心に傷を負うような出来事があったとき。果たして冷静に行動するかしないかを判断できるだろうか。たぶんできないと思う。あらゆる地雷を踏みまくり、どんどんドツボにハマっていくことになるんだろう。
自分が「やってみたい」と考えていることはどの感情に紐付いているのだろう
例えば今ちょうどどうしようかなーと思っていたことのひとつに、2ヶ月前に完全に距離を置いた人を連絡用SNSでフォローするか否かをちょっと考えていた。
自分の頭が冷静になってきて、LINEもブロックしてみんなと繋がっていたSNSも完全に削除して、さすがにやりすぎたかなと思ってきたことと、自分もちょっと大人気なかったと反省していることと、今はもう付き合う気はないから別になんとも思わず投稿を見れるかなと思うから。こんな露骨に縁を切るのもいかがなもんかということです。
この行動するかどうかを迷っていることがどの感情に紐付いているかですよね。執着なのか、前向きな気持ちなのか、それとも離れてしまうことへの不安なのか、相手を思うが故の愛情なのか、、、どれなんでしょう。
一方で別の自分は次のように行動を制止している。
「関わっても自分に良いことひとつもないぞ。さっさと忘れてもっといろんな人と出会い、新しい関係を築いたほうが間違いなく良い。」
どっちの自分が本心のだろう。
前者が本心で、後者は外野からの意見のような気もする。後者が本心で前者が執着のような気もする。まじで難しいんですわ。
もう少し考えよ
この30分くらいじゃ自分の中で「これだ!」と思える言語化ができなかった。もうちょっと深く考えてみようと思う。