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年齢という違和感を感じる時

ずいぶんと間があいてしまいました。
『ちゃんとした内容にしなきゃ』とどこか無理もしていたのかなと感じてしまい 
この流れは違うぞと 

違和感

ふと今朝 湧いてきた事というのか
年齢の話というのか 
私と思っている存在と もう1人の私と 
確実に何か乖離してる部分なのか 感じる瞬間のひとつに 年齢ってあるなと
よく 年齢は単なる数字 という話は最近耳にするようになったが わかるようなわからないような わかってはいるけど……というような感覚ってありますよね。

なぜ歳をとりたくないと人は思うのか

自分の事を感じる時に 子ども時代の私と今の私って何も変わっていない それは成長とかそういう事ではなくて 根本の自覚というのか 変わる事のない部分が在る事を なんとなく氣づいている。

今生きている世界は その根本の部分を無視して 365日ごとに成長という名の変化をしなくてはいけない。 いわゆる歳をとる 大人になるという事なのか。
根本が変わっていないとわかっているのに 365日ごとに変わらないといけないという 矛盾とも感じるこの感覚……
経験をしていくから自然と もとの自分をアップグレードしている それは年齢とは関係はない。 年齢で焦ったり落ち込んだりする事でもなくて 何かしらの経験は誰もがしている。

そんな風に自分の中を見てみると もともと持っていたものが 経験によって少し色どりが豊かになっていたりとその積み重ねが奥行きになっていくだけ。
結局根本の私は 大人になっても 小人のころの私と同じで実は何も変わっていない。

そんな事を今朝また改めて感じた。
思い描き形にする内容が 単純なものから少し立体的になってきたくらいの変化
歳をとったからと言って 立派になったわけでもその逆になったわけでもない 
この感覚の差のところで 人は混乱しているのかなと 
そのひとつの例として年齢を見てみた。

本当は何も変わっていないのに 数字が増えるごとに変わっていないといけないという思い込み。
そこの枠を取り払えた人の方が なぜかのびのびとうまくいっているのは 何も変わっていないと氣づいたから。

体は乗り物という例えがしっくりくる。
私のこの経験の年数 どこえでも付き合って来てくれた体を大切に扱う それもすんなりと理解ができる。

今朝 どこからかやってきたメッセージ。
改めて感じたということは きっとアウトプットして伝えるという事なのかなと感じたキッカケでここへ戻ってきました。

ありがとう

YUKIKO

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