【進撃の巨人】願わくば始祖ユミルの声を


‟女の子らしくって何?″

‟そーだね、女の子らしくっていうのはこの子みたいな女の子のことかな”
‟ヒストリアもこの子が好きでしょ?いつも他の人を思いやっている優しい子だからね″
‟この世界は辛くて厳しいことばかりだから、みんなに愛される人になって助け合いながら生きていかなきゃいけないんだよ”

                    「進撃の巨人」30巻 122話 より

このnoteを書いている2020年8月15日現在、週刊少年マガジンで連載中の「進撃の巨人」が粛々と終焉に向かっているという話を聞いて、31巻までの単行本を読み返すに至っている。以下、31巻までのネタバレを含む。


はじめに

私の中で「進撃の巨人」という物語の核となっているのは、単行本30巻に収録されていた122話「二千年前の君から」である。1話から読み直す中で、この話だけはどうしたって冷静ではいられなくなる。ライナーが鎧だったと判明した時、お気に入りキャラのハンジさんが辛そうにしていた時、発狂した話は数知れないのに、ほとんど台詞がないこの122話を何度も何度も見返してしまうのだ。遂に「進撃の巨人」という物語の始まりが明かされたという衝撃はかなり大きかったが、何よりその始まりにいた1人の女性に目が留まる。彼女が背負う呪いの重さと惨さに、読むたび心が抉られる。今日はそんな「進撃の巨人」の始まり、始祖ユミルについて、122話の内容を追いながら書きたいと思う。

1. 始まりの奴隷

捕虜あるいは奴隷として縄で繋がれる人々の列に彼女はいた。顔はよく見えず、ボロボロの服を着た体の小さい少女である。列の後ろには燃え盛る家、列の脇には槍で刺されながら苦しむ大人の姿があることから、おそらく部族や民族間の争いで襲撃を受け、殺戮を受けた側にいたために捕虜とされたのが彼女だったのだろう。
奴隷となった彼女は、見せしめのように舌を切られている人々を見つめている。この時、彼女は声を失ったのではないだろうか。もちろん、彼女が舌を切られた描写はないので、物理的に、という意味ではない。舌を切られた理由ははっきりとはわからないが、舌を切っているのが奴隷たちの支配者であるところをみると、奴隷が余計なことを言わないようにというような奴隷への見せしめ、戒めだった可能性を推測できる。とすると、年端もいかないような少女はこう思ったのではないだろうか。

“私たちは彼らに逆らえない”
”容易に何かをしゃべることはできない”
“反抗してはいけない”

彼女は声を失った。自由を求める「進撃の巨人」の始まりは、物理的・精神的に奴隷として生きることしか許されない少女だった。彼女が精神的にも奴隷となってしまったことはこの後の展開にも大きく影響し、エレン達の時代にまで続いていく。


2. 婚姻の奴隷

少女がふと立ち止まり、何かを見つめている。視線の先には、口づけを交わし、周囲の人々から祝福されているような男女の姿があった。女性が花輪をつけていたり、周囲に盃のようなものを掲げる人々がいるところをみると、おそらく男女が婚姻を結んでいる場面ではないかと思われる。
それまで小さいコマで後ろ姿やたくさんいる奴隷の1人として描かれてきた彼女が初めて大きく描かれるのがこの場面である。支配者の見張りがある中で足を止め、婚姻の儀式を見ながら彼女はいったい何を思っていたのだろうか。

ここで、1. 始まりの奴隷から多用している“奴隷”の意味について整理しておこうと思う。


《奴隷》
①人間としての権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされたもの。
②下僕。しもべ。
③あるものに心を奪われて自主性を失い、行動を束縛されている人。

                    三省堂 スーパー大辞林3.0より

言わずもがな、捕虜として支配に屈し、労働を強いられている彼女は①の意味で”奴隷”である。それと同時に、彼女はこの婚姻を結ぶ男女を見つけた場面で、“婚姻の奴隷”となったのではないかと思う。この“婚姻の奴隷”における”奴隷”は、③のあるものに心を奪われて行動を束縛されている人の意味である。つまり、彼女は婚姻を至上の物と捉え、それに囚われてその後の行動が束縛されることになってしまったのではないかと思うのだ。これについては後程詳しく説明する。


3. 始祖ユミル

ある日、彼女がいる集落で豚が逃げた。部族の王は、奴隷が豚を逃がしたと言って、犯人捜しを始める。
“名乗り出よ 出なければ全員から片目をくり抜く”
この言葉で、奴隷たちは一斉に彼女を指さす。彼女がなぜ選ばれたのかは定かでないが、彼女が奴隷の中で一番下の層に生きている者だったことは想像に難しくない。

”豚を殺したのはお前か”
王の確認に、奴隷たちは彼女を指差し彼女を見下ろす。そして、彼女は膝をつき、自由になった。背中と足に弓を刺され、片目をくり抜かれ、犬と屈強な男たちに追いかけられながら。
自由とは名ばかりで、彼女は支配者たちの狩りの獲物になってしまった。ずっと無表情だった彼女の片目からは血が流れ、もう片方からは涙が流れる。ボロボロの彼女は、一本の大木が持つ空洞に足を踏み入れる。そして、脊椎のような何かと出会ってしまった。

彼女、すなわちエルディアの奴隷ユミルは、巨人の力を手に入れた。ユミルは巨人になって道を開き、荒れ地を耕し、峠に橋をかけた。彼女は巨人化の能力を、部族エルディアを大きくすることに使ったのだ。
ここで、1つ疑問が出てくる。なぜユミルは、エルディアの王や支配者たち、自分を指さした奴隷たちを踏みつぶすことができる巨人の力をそうは使わず、逆に、自分を虐げる者たちの利になるようことのために使ったのだろうか。答えは、彼女が“奴隷の中の奴隷”だったから、自由を知らなかったからだと私は思っている。

小さい頃から奴隷としてしか生きてこなかった彼女は、かなり”自己犠牲”の精神が強かったのではないかと思う。
“逆らわない” ”皆のためになるなら” “みんなに優しくなくてはいけない”
自分の気持ちを押し殺す生き方しか知らなかったユミルは、自分の意思で生きる選択ができなかった。また、子どもの頃から奴隷であったことしかないユミルは、奴隷の中でも他人のために働いていたことが容易に想像でき、豚逃がしの犯人にされたのも、奴隷の中で都合の良い存在になっていたからというのがあるかもしれない。


4. フリッツの奴隷

エルディア王(以後、初代フリッツ王)による、ユミルへの命令。

”褒美だ 我の子種をくれてやる”
“フリッツの名の元 憎きマーレを滅ぼせ”

                    「進撃の巨人」30巻122話より

奴隷ユミルは、初代フリッツ王から名前をもらい、ユミル・フリッツとなった。そして、王との子どもを作るという”褒美”を与えられた。
ユミルは、マーレ兵を踏みつぶす兵器として戦い、王との子どもを産むことを繰り返した。そんなある日、謁見中に槍を投げた従者または敵から初代フリッツ王を庇い、重傷を負う。倒れこむユミルに、王はこんな命令をする。

“お前が槍ごときで死なぬことはわかっておる”
”起きて働け お前はそのために生まれてきたのだ”
“わが奴隷 ユミルよ”
                   
「進撃の巨人」30巻122話より

この時やっと、自分が”奴隷”としてしか扱われていなかったことに気づき、絶望し、ユミルは息絶える。

マーレ兵を踏みつぶし、子を産み、マーレ兵を踏みつぶし、子を産み、マーレ兵を踏みつぶし、子を産む”権利“。この“褒美”、あまりに惨い仕打ちだと思うのだが(このnoteを見ている人のほとんどがそう思っているはず)、ユミルは死ぬ間際まで自覚できなかった。では、なぜ彼女は、巨人化の能力を得た後も自分が酷い扱いを受けていると自覚できず、フリッツ王のために働き続けたのか?
これこそ、ユミルが”婚姻の奴隷”だったからだと私は考える。2. 婚姻の奴隷で述べたように、皆に祝福される男女を見て、自分もあんな風になりたいと思ったのではないだろうか。結婚すれば、皆から祝福される、皆も幸せになるという思いを持ってしまったのではないだろうか。フリッツという名をもらった彼女は、それを至極の褒美と捉え、どんな扱いを受けようとも、自分がフリッツ王の奴隷であることを認められなかったのかもしれない。

5. 2000年後の君

自分がずっと奴隷としてしか見られていなかったことに絶望し、息絶えたユミルだが、死後も彼女が奴隷から解放されることはなかった。

ユミルの能力を継承するため、マリア、ローゼ、シーナ、3人の娘がユミルの体を食い尽くし、ユミルは王家の奴隷となった。

道に取り残されたユミルは、巨人を1人で作り続けた。ユミルの民は増え続け、初代フリッツ王の遺言は彼女を奴隷に縛り続けた。だが、彼女は自由を求める巨人「進撃の巨人」を生み出した。

“お前は奴隷じゃない 神でもない ただの人だ”
”誰にも従わなくていい お前が決めていい”
“決めるのはお前だ お前が選べ”

“待っていたんだろ、ずっと”
”2千年前から 誰かを”

ユミルは、初めて自分で選んだ。奴隷を終わらせることを選んだ。
エレンに抱きしめられるユミルの表情は、2千年分の意思に漲っていた。


6. 「女の子らしさ」と「奴隷」

始祖の巨人の誕生から時は過ぎ、フリーダ・レイスが始祖の巨人を継承している時代。この記事のトップに引用した会話は、122話の冒頭で描かれたものである。

[ヒストリア]
‟女の子らしくって何?″

[フリーダ]

‟そーだね、女の子らしくっていうのはこの子みたいな女の子のことかな”
‟ヒストリアもこの子が好きでしょ?いつも他の人を思いやっている優しい子だからね″
‟この世界は辛くて厳しいことばかりだから、みんなに愛される人になって助け合いながら生きていかなきゃいけないんだよ”

                    「進撃の巨人」30巻 122話 より

ヒストリアの問いへのフリーダの答えは、「女の子らしい子=いつも他の人を思いやっている優しい子」
「いつも他の人を思いやっている優しい子」だった始祖ユミルは、物理的にも精神的にも常に誰かの奴隷だった。始祖ユミルが持っていたのは、他ならぬ”奴隷らしさ”である。
始祖ユミルの時代では「奴隷らしい子=いつも他の人を思いやっている優しい子」だったものが、ヒストリアの時代には「女の子らしい子=いつも他の人を思いやっている優しい子」に置き換わっている。王によって都合の良いように扱われた始祖ユミルの「奴隷らしさ」は、時代を超えて「女の子らしさ」にすり替えられ、フリーダやヒストリアをはじめとする女性たちに押し付けられた。

「進撃の巨人」世界の悲劇が“奴隷らしさ”に起因していて、それが二千年経過したら”女の子らしさ”という形で存在していたというのは、ヒストリアの言葉を借りればまさしく「都合のいいように洗脳して!もうこれ以上私を殺してたまるか!」なことだろう。「女の子らしさ=奴隷らしさ」、これに気づけず苦しむ女性たちは、進撃の巨人の世界だけでなく私たちが生きる現実世界にもたくさん存在する。ユミル、ヒストリアのように洗脳を解いていかなくてはならない。


おわりに

「進撃の巨人」の物語の始まりは、「奴隷」だった。始祖ユミルは生きているときも死んだ後も誰かの奴隷だったが、ずっとどこかで自由を求め続けていた。そして2000年の時を経て、やっと自分の意思で選択したのが地ならしだった。エレンに救われた時のユミルの表情には涙が出てくる。
地ならしが発動され、人類の敵となったエレンがどんな行動をとるのか、そして「進撃の巨人」はどんな終わり方を迎えるのか。「進撃の巨人」の始まりには奴隷らしさがあったこと、始祖ユミルがいたことを忘れずに見守りたいなと思う。


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