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【進撃の巨人】ハンジ・ゾエ

《注意》
進撃の巨人132話の内容をおもいっきりネタバレしています。単行本派の方、ネタバレが嫌な方は回避を。

単行本からの勢いで読んだ本誌で、お気に入りが死んでしまった。
10年来のお気に入りキャラクターだったハンジさん。


 ソニーとビーンを痛めつけながら一緒に泣き叫ぶシーンを見て、一瞬にしてハンジさんのファンになっていた。仲間が殺されている境遇を考えたら笑いながら痛めつけていたっておかしくないのに、ハンジさんは泣きながらエキサイトする。憎しみを少しの愛に変えてしまったというのは言い過ぎかもしれないけれど、どんな対象をも興味の対象に変換してしまうサイエンティストなところが私のツボを押さえたんだよな。巨人について一晩中語り続け、エレンが巨人化したときにはリヴァイ班が刃を向ける中でも駆け寄って興奮し、戦闘中にも関わらず巨人エレンと意思疎通が図れた時には頬を染めて喜ぶハンジさん。巨人への興味と知的好奇心に踊らされ、楽しそうに研究しているハンジさんが大好きだった。みんな巨人を恐怖や憎悪の対象として捉えるのに、ハンジさんだけは「巨人とは何か?」という純粋な興味の対象として巨人を視ていた。(もちろん、初めて壁の外に出たときは怖かったと言っているように、恐怖や憎悪を感じなかったわけではない。)132話のハンジさんの最期は、地鳴らしが迫る中で、リヴァイたちが逃げる時間を稼ぐために壁の巨人に特攻するというものだったけれど、巨人を上から見下ろした時に放ったのは「やっぱり巨人って素晴らしいな」という言葉だった。こんなときまで恐怖じゃなくて巨人への興味を感じるハンジさん。サイエンティストなハンジを見てファンになった者としては、そこだけが救いだった。(ハンジにとって救いだったかどうかはわからないけど、少なくとも私にとっては救い。)
 ハンジさんの大好きな所はサイエンティストな所だけじゃない。怒るとクソ怖いところも大好きだ。ニック司祭の胸倉つかんだ時とか、ニック殺されて激高した時とか、キースにキレた時とかは思わず震えた。ハンジさんは巨人に関してはエキサイトしちゃうけど、人間に対しても基本的に優しくて人懐こい。怒ると怖いというのもそうだけど、ハンジさんは喜怒哀楽が激しくて結構わかりやすい。イェーガー派の調査兵団員を銃で撃った時は泣いていたし、イェレナやオニャンコポンと会談した時はテンパってリヴァイに怒られ、132話でも104期生たちに別れを告げるときは汗だらだらで怖いんだろうなという描写がある。団長になってからはあまり感情を表に出さないように意識していたんだろうなと思うのだけど、それでも抑えきれずに表に出てしまうそんな所も私は好きなのだ。 
 これまでつらつらとハンジさんの好きな所を語ってきたけれど、ハンジさんの苦しみと最期の葛藤についても語ろう。132話、ハンジさんが一人で壁の巨人の討伐に向かう行為についてはいろんな解釈があるだろうけど、私はあれは「自殺」だったと思っている。討伐に向かう直前、リヴァイとすれ違った時に発した「わかるだろリヴァイ ようやく来たって感じだ... 私の番が」という言葉は、仲間の死への責任とそれまでの苦しみが積み重なり限界を超えてしまったハンジの叫びであり、アルミンの超大型を使った方が時間が稼げるかもしれないのに、時間稼ぎになるかどうかもわからない壁の巨人の討伐に自分ひとりで向かう行為は自殺に等しい。思い返せば、サネスの「次はお前の番だ」の頃から色々な責任がハンジの肩にのしかかり続けたし、一度信頼を築いたオニャンコポン達と疑いあうことになったり、エレンが調査兵団を去り、調査兵団も分裂する中で団長の立場にいたのがハンジさんだった。ただでさえ団長に向いていないと自覚しているのに、何もかもわからないことだらけの世界で、色々な立場思想の板挟みにあっていたハンジさんのストレスはとんでもなかっただろうと思う。もうすべてを投げ出して隠居したっていい状態だったと思う。でも、ハンジさんはそんなことはしなかったし、できなかった。机を蹴り飛ばしたり、フロックと対立した後ひとりで落ち込んだり、リヴァイに「いっそ二人でここで暮らそうか」と弱音を吐いたり、いつもボロボロになりながらも前を向き続けていた。団長の責任から逃れ、あろうことか後進の育成にあたっていたキースにぶちぎれていた頃からハンジさんは変わっていなかった。屍の上に立つことを放棄しなかったし、自分の考えから決して逃げようとしなかった。でも、ハンジさんは限界をとっくに超えていたんだと思う。132話で、自分がやってきたことをピークから称賛された時、ハンジさんはたぶん抱えていた物が吹っ切れて、力が抜けた。さらにダメ押しでフロックが死亡。フロックと対立したことを不甲斐ないと自分を責めていたハンジさんは、おそらくフロックに自分やサネス、ニック司祭を重ね合わせて「私の番だ」という決意に至ったのだと思う。じゃあ、ハンジさんは楽になるためだけに死んでいったのかというと、そうではないと思う。フロックは亡くなる直前、「俺達の悪魔それだけが希望」という言葉を残す。ハンジはこれに同意しながらも、「でも、あきらめきれないんだ、今日はだめでもいつの日かって」と返す。ああ、最後までハンジさんだなと思った。アルミンやライナーが死ぬリスクを負わない方がいつかに希望があると思ったのもそうだろうし、アルミンやライナーを壁の巨人に向かわせることを悪魔だと思ったのかもしれない。悪魔になれなかった(なりたかったかどうかはわからない)ならなかったハンジさんは、結局自分が時間を稼ぐ可能性にかけた。総括すると、ハンジさんのあの行為は、楽になれるという気持ち半分と、いつの日かのための希望を半分含んだ「自殺」だったと私は思う。
 ハンジさんの最期について、頑なに「自殺」という言葉を用いて表現したけれど、これには理由があって、ハンジさんの最期を美しい最期とか素晴らしい死に方と表現している人を見たから。確かに、巨人に食べられたり踏みつぶされたりして顔が潰れた描写をされる他の登場人物と比べたら丁寧に描かれているなとは思うのだけど、積み重なった苦しみ葛藤が根底にあって、さらに特攻の意味合いを含むハンジさんの最期を美しいとか素晴らしいなんて私は口が裂けても言えない。巨人に食べられて死ぬ、投石に向かって特攻して死ぬのと同じような悲惨な死だと思う。


ここまで書いて、荒れ狂っていた感情が少し鎮まった。
読み返すと支離滅裂な文章になっていて恥ずかしいけど、気持ちがスッキリしたから良しとしよう。
ハンジさんを語るうえでは「仲良しのリヴァイ」が欠かせないと思うんだけど、ちょっとリヴァイについては今は無理だ。「クソメガネ」とか「相変わらず巨人には片思い」とか問題発言があったし、残されたリヴァイの心情を思うととてもじゃないが私のメンタルがもたない。(そのうちメンタルボロボロにしながら書いちゃいそうだけど。)
あと、132話の最後、死後の世界みたいな描写がめちゃくちゃ気になっている。今のところ、リヴァイと作者の願望が詰まっているのかなと思っているんだけど。(やっぱり出てくるリヴァイさん…。リヴァイを避けては通れない...。)そのうち考えよう。


最後になっちゃったけど、ハンジさんありがとう。あなたの言葉に救われたことが何度かあるんだ。大好きだよ。お疲れ様。



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