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キュウソネコカミのライブが「この世で一番好き」

好きなものを比べるなんて、やってはいけないと思っている。けど、つい比べてしまう。
何かより何かが好きだとか、前よりも今が良いとか、これとあれは違うところが素敵だとか。何とかしか勝たん、という表現は本当に好きではない。

好きに順位をつけてしまうのは良くないことだと思っている。なのに、一番好きなものだけは、いつもはっきりしていて、胸を張ってこれがこの世にある森羅万象で一番大好きだと何度もいつも思ってしまう。

もっとも端的に、わかりやすい言葉で言うと「好き」になる。でも「好き」は正確な言葉ではない。でも「好き」という言葉が全く間違っている訳でもない。
その二文字には自分の人生をかけて伝えたい想いや細かい気持ちがつまっている。

自分の世界の中心は、キュウソネコカミがライブをしている場所だ。

いつかキュウソのライブ中に強く頭をぶつけたのかもしれない。もちろんそんな記憶はないがそう思えてくるほど、自分はキュウソのライブに固執して生きている。

とにかく今回はキュウソとの出会いを話したい。
それは、今からたった5年ほど前。2016年8月20日(土)の香川県である。

キュウソネコカミの5人は、MONSTER baSH2016のステージに立っていた。というか、ヤマサキセイヤがたくさんの人の上に立っていた。

たまたまステージの近くを通りかかった私は、観客の歓声の先に目線をやった。ひょろっとした若いバンドマンが人の上を歩いている。
「フェスやからって変なことして、目立とうとしてる」その恥ずかしさこそが、彼に対する私の最初の感情だった。
でも目が離せなかった。そして、人間たちの上に立つ一人がマイクに向かって喚く、そしてステージに残る仲間も歌う。

「DQNなりたい!40代で死にたい!」

大きな衝撃だった。自分の中にあるクソデカ感情を見透かされて、そのバンドマンの口を使って大衆に叫ばれている。そう思った。その瞬間、「負けた」と圧倒的に思った。

その日からキュウソネコカミは、私の世界の中心になった。

(長生きしたくない、30歳くらいで死んでしまいたい、とよく言っていた若い頃の自分。めちゃめちゃ元気に楽しく生きてるから大丈夫。)

さて、さっそくモンバスの帰り道でググってみると、人の上を歩くのはボーカルの定番パフォーマンス、キュウソネコカミのライブでは当たり前の光景だったようだ。目立とうとしてる、とか思って本当に申し訳ありません。いや、毎回ライブで人の上を歩いているってなんなん?などなど、調べるうちにどんどんキュウソの魅力に惹き込まれている。

元々知らないバンドではなかった。愛聴しているFM802でもよく音源は流れていたし、調べてみるとヤマサキセイヤはミュージックフリークスのDJをつとめた経歴もあり、ゲスト出演も多い。そういや年越しにオチケンさんの番組で騒いでいたのはこの人だ。改めてラジオを耳を傾けると、こんな良い曲を聞き逃していたのかと膝から崩れ落ちた。

『キャベツ』『カワイイだけ』『春になっても』『シャチクズ』……どの曲も自分の中にあるクソデカ感情なのだが!??何でこの人たちが自分の気持ちを曲にしてる?と毎日毎日、何故か負けた!!!やられた!の気持ちで押し潰されそう。こんなバンドがいるなんて、悔しくて涙が出る。

特に『何も無い休日』は、今でも一番好きな曲だ。
「リア充にはなれなかった 真面目系グズです僕らは」という歌い出しは私の自己紹介でしかない。
続く「ようつべばっかり眺めて 気がついたら夜になってる」は、その当時の楽しみがゲーム実況を観ることしかなったことを思うと、のたうち回るほどつらい歌詞である。とにかくこの曲が自分を「わぁーってなって不安定」にさせていった。
「生活の安定が 孤独な俺追いつめる 生きる意味を探してる」自分が、キュウソネコカミに出会うまでの話、出会ってから安定していた仕事を辞めるまでの話、今は自由に生きながらもキュウソをずっと追いかけてる話などを誰かに聞いてほしい。

そんなnote始めます。
キュウソネコカミの5人に「一番好き」に詰まった細かい気持ちが届くまで、どうぞよろしくお願いいたします!

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