中学社会歴史分野の教科書を全て暗記すると共通テスト日本史Bで何点取れるのか②大問1
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独立行政法人大学入試センター
令和3年度共通テスト(1月16日・17日) 日本史B
中学社会の教科書は
東京書籍『新しい社会 歴史』(令和3年2月10日発行)
より引用しております。
今回は大問1です。
初っ端から国語の問題でした。
これは落ち着いて文章を読めば中学教科書に頼らずとも解けます。
正答は④、得点3。
下線部aとは「鎌倉時代の市場の図」です。
それでは、中学の教科書で正誤判定を進めていきます。
選択肢a「宋などの銭貨が大量に流入しており」の部分は
一部の荘園では、宋から輸入した銭(宋銭)で年貢を納めるようになりました。(教科書71ページ)
から正しいと判定可能。
「この場面のような銭貨の流通は一般的であったと考えられる」の部分は
鎌倉時代については明言する記述は教科書には見当たらず、
判定保留。
なお、室町時代については
宋銭や明銭が定期市で多用されているとの記述がありました
(教科書82ページ)。
よって選択肢aは、正しそうだけどいまいち決め手に欠ける…
くらいの扱いです。
選択肢b「国家による銭貨鋳造は停止しており」についてはこちらの
咲也さんの発言から正しいと判断可能。
ただし、選択肢の
「この場面のような銭貨の流通は例外的であったと考えられる」
の部分については、
教科書の記述からはすぐに正誤判定できないですが、
図の中の一遍上人の周囲の人々、見た感じ普通に銭さし使って使ってません?
流通してるよね?
と推測は一応可能かと思われます。
また、『一遍上人絵伝』は教科書にも同じ部分が掲載されており、
その説明には
備前の福岡(岡山県瀬戸内市)で開かれていた市の様子です。市は月に三度、決まった日に開かれました。(教科書71ページ)
とあるので、これは地方でも日常的な風景であって、
例外的なものではないような…?
との推測も可能かと思われます。
よって、選択肢bよりも選択肢aの方が正しいと判断できそうです。
選択肢cは図中の屋根を見れば誤りだとすぐに判断できます。
選択肢dは、会話中の花さんの発言
「銭貨とともに米や布、絹などが貨幣として使われてきた」
と、図から正しいと判断できます。
以上より、選択肢aとdの組み合わせに辿り着けます。
正答は②、得点3ゲットです。
下線部bとは咲也さんの疑問
「中世の権力者はこうした銭貨の流通にどう対応していたんだろう」
のことです。
文X、Yともに教科書に手がかりがないため正誤判定不可。
正答は①ですが、選択肢をひとつも絞れなかったので検証規定により得点は0です。
選択肢①は
18世紀初めには、第6、7代将軍に仕えた儒学者の新井白石の意見が、政治に取り入れられました(正徳の治)。白石は幕府の財政を立て直すため、貨幣の質を元に戻したり、長崎貿易を制限して金・銀が海外に流出するのを防いだりしました。(教科書128ページ)
と合致するので正しい。
選択肢②③は教科書に頼らずとも、
グラフさえ読めれば正しいことがわかります。
選択肢④「国内と海外の金銀比価が違った」については
開国当初、外国との金銀の交換比率のちがいから、金貨(小判)が大量に国外に持ち出されました。(教科書165ページ)
より正しいと判断できます。
「開国後、幕府は小判の金の成分比率を減らして対応した」
については、
開国の年が1854年(日米和親条約、教科書162ページ)なので、
グラフで着目すべき年は安政6年(1859年)と万延元年(1860年)の2か所ですが、
どちらも金は57%で成分比率は変わっていません。
よって選択肢④は誤りだと判断できます。
こちらの選択肢もどちらかと言うとグラフの読み取り&国語の問題ですね。
問4の正答は④、得点3です。
下線部dとは
「1871年新貨条例を制定して、ここで、初めて『円』が日本の通貨単位となった」
のことです。
I、Ⅱ、Ⅲともに教科書に記述がないため判定不可能。
正答は⑤ですが、検証規定により得点は0です。
選択肢a「中世には、銭貨として中国銭が流通していた」については
教科書に記述有り。
(宋銭の記述 教科書71ページ。日明貿易の説明 教科書80ページ。)
「私鋳銭」は教科書に記述なし。
よって正誤判定は保留。
選択肢bは寛永通宝の記述(教科書125ページ)と合致するので
正しいと判断。
選択肢cdについては教科書に記述がないため正誤判定不可。
よって③か④かの2択にまで絞れました。
正答は③、得点は3×1/2で1.5点です。
【得点合計】
問1 3点
問2 3点
問3 0点
問4 3点
問5 0点
問6 1.5点
合計 10.5点(18点満点中)