10:さまざまなリハビリと壁
写真は作業療法でのもの。同じ形を作る。
ここからある意味、毎日の生活が凄く重要になってきた。どのくらい自分に回復の伸びしろがあるか?…それは同時に、毎日の生活なので自分がいかにできないかということを自覚する日々となっている。
朝はまずラジオ体操から始まり、そこから各自カリキュラムに合わせてリハビリのスケジュールが組まれると書いたが、私はきちんと文字が読めない&書けないので、それ専門の大きな張り紙を作ってくれた。普通の病棟ではこういう個別対応はあまりしないのだろうがリハビリ病棟なので、そういうところまで意識して、しっかりと対応して下さり、とてもありがたいことだと思った。
文章の読み易さは、短い文章横書きの箇条書き、行間の開いた箇条書き…これが1番わかりやすくて、そこから順に判読困難になっていく。そのため作成されたリハビリのスケジュール表はA4の大きさ。そして大きくわかりやすい字で例えば、
○○時40分から何々室
昼食
以降機械を使った体操
など1枚の紙に書かれていた。
これはリハビリ病棟に移った直後、渡されたスケジュール表を読むのがすごく難しかったためであり、そのスケジュール表は文章に折り返しがなく、改行もない文字がダーーっと続け字で書かれていた。
そこに時間も混在して書かれていたので困っていたら、すぐに「大きいのに変えてきます」と言って変えて私用に作ってくれたものだった。特別に別紙に作ってくれたもので、毎日深夜にそれだけ別の紙にプリントに行ってくれるのだが、私の分だけおそらく他と規定のサイズの違う紙のためプリントが遅くなり、深夜2時とか3時ごろ夜勤の看護師さんが寝ている私の枕元にその次の日の予定を持ってきてくれていた。
その時に気づくこともあれば起きて気づくこともあったが申し訳ないなと思いながら配慮が嬉しくてこの時にもらった毎日のスケジュールの何枚かは今でも大事に取ってある。
Aさんは、私には物がどう見えているのか興味津々…いや、今後の研究のため?に「ね。どう見えてるの?全く逆に見える?それとも左右反転上下反転みたいな?…鏡みたいにものが逆に見えるの?」等と聞かれた。
ゲルストマン症候群自体がとても珍しいらしいのと、人によって出方が様々であることなどから、あれこれ全般型にはめて分析しようとしがちだが、これには患者個別の対応が必要だと思う。今までその患者がやってきた生活習慣、思考パターン、そして既往症ほかに、それ以外にたとえばAD HDだったり、鬱などの心疾患があればそういった部分も加味されての症状の表れだったりするので。もうその人その人にその場で対応していくしかない。それは患者も周囲も同じである。
と言うわけで私は、考えつつありのままに答えることにした。
うまく説明できているかは謎である。
「見え方としては物を見た瞬間、上下左右は様々に入れ替わります。これにはその文字列の読み方とかいろんなパターンがあるけど、真ん中とか、まず一番初めに目に飛び込んだ文字が中心に、周囲に、英語の単語みたいな感じで再構成されてしまう場合が多い。
たとえば
:東京都に花見にいきました:とかだと
:東京 花見 いきました に:
みたいな感じで、目に入ってくる順にまず読んでしまう。それを知識でわかっているからもう一度、頭の中で再構成させて読む。あと、行の上下は入れ替わる時があるけど、鏡文字になったりはしないですよ。なんだっけあのTwitterで前にあった脳内メーカーみたいな感じ。あんな感じでいろんな事がバーーっと出てきて、文章にするみたいに、文字を組み立てなおしていく感じというか…
上手く説明できているのかどうか。
どれか1つが凄く強く目に入って、バラバラなものがチカチカ点滅しながら浮かんでいる、それが一つ一つちゃんと注意深く見ると文字だったり…みたいな。ああ、なんかやっぱり上手く伝えられない。
これは言葉で説明するのはとても難しくて。まぁ文字に関して言えば全く読めないのではないけど読むのに苦労すると周囲には言っている。何事にも時間がかかる。(2019/11/12前後)
ラジオ体操だが、この時には右手の暴走はだいぶ落ち着いていたとは言え、手足がバラバラに動いたりあいかわらずな状態にあったため、ラジオ体操をすれば意味のわからない動きになった。
このときはもちろん室内歩行禁止だけど、上半身だけで良いからラジオ体操やってみてと言われて、普通の状態だったらぶつからないように意識を向けるところを、肩の高さより指先を上に上げてしまうと認識できなくなるため、自分の頭や顔、壁などあちこちに手がぶつかった。他の患者も全員集合してラジオ体操をするため、一人でおかしなロボットダンス崩れみたいな動きでいたたまれなかった。こんな動きは見回しても自分だけだったのでの日からはラジオ体操は参加しなかった。
後々言語療法士のTさんに聞いた話によると、「ラジオ体操なんかできなくてもいい、あれはずっと病室にいて室内を歩かなかったりすると体に良くない、そういった高齢者の患者さんのため日1回でも体を動かそう、みたいな為」らしい。「あなたは高齢者じゃないから、やりたいならモチロンやればいいけど嫌なら無理にラジオ体操なんかしなくてもいい」と言われ、正直ほっとした。
これ以外にも私が参加していないことがある。それはみんなで食堂に集まって食事をすると言うことである。右手が左手に干渉してくることはほとんどなくなっていたが、色々な大きさ、種類の食器を見ていると混乱した。
これをどうやって持ってどこに置くか。頭でイメージすることはできるが、目で見ている所と置きたい所に認識のズレがあるため、とんでもないところに物を置いたりしてしまう。そんなことを繰り返しながら自分なりのやりかたを見つけた。
エプロンは間もなく使わなくなった。
まず箸やスプーンや(牛乳がある日は牛乳パック)、それらのものが1つのトレイに乗せられ出てくるのだが、まず一旦一つ一つ確認する。そして自分の食べやすい配置に変える。フォークなどは使いにくいため全て箸に変えた。最初の頃気を遣ってくれて子供用の食器のような使いやすいものを出されていたがかえってそういうものは焦点がぶれるというか、制御しにくく、箸など細いものほど指先を使う可動域が狭くて済むのが原因か、扱いがうまくまくいく。
食事に関しては1日三回必ずあるものだし、早い段階にあれこれ試行錯誤していたので、院内の病院食堂に面会者と一緒に出かけラーメンを食べられる位には回復していた。ほかに自助食器を使ってみてはどうだろう、とリハビリで提案してくれて食器が動かないようにゴムマットが引かれたが、逆に食器がまるで動かずマットが引っ掛かりその勢いで皿をひっくり返したりした。これは申し訳ないが返却してもらい、そのかわり食器の内側が斜めに傾斜している皿を借りた。猫の為の食べやすい皿なんかもそういう形になっているけど、この食器は使いよかった。
食事は栄養状態管理の為、下げられた食器のチェックがある。食べ終わったあと何度も確認して綺麗に保った。入院したてのころ、思うように食事ができず食べこぼす様子を晒して苦痛だったので、食堂にはいかず、自分のペースで食事し片付け、ナースコールして看護師さんを呼んだ。あいかわらずベッド脇室内だけが世界だが、自分のペースで食事できるのは楽だった。
着替えなどは最初はそもそも、ずっと同じ院内着だった時期は風呂すら入らなかったが、(体拭きはあった)リハビリに移ってきてから週に二回の入浴があった。30分ですべて終わらせて出るのだが着替えは最初、お約束の右手に邪魔されてボタンをはずすそばからもう片方の手が閉めにかかる、(もしくはその逆)ため、または一つのズボンに両足を突っ込もうとする、のでギャグみたいなことになっていた。
この時の着替えの様子や入浴まですべて看護師さんと一緒だった。初めの頃は伝い歩きで風呂場まで行き、風呂場ではできる限り片手で自分の体を洗った。生理でもついていないとならず、お互い嫌だよな…と思ったりした。全部見られているので、ここでヨロついたり転んだりしたら、安静度がまた上がりスムーズに運ぶはずの院内行動に「待った」がかかる。それだけは全力回避せねば!私は特に風呂場では神経を尖らせた。
リハビリ歩行は最初、付き添われながら歩くところから始まり病院の外周を歩き、そこから階段を上り下り、軽い段差等の練習などもしていた。歩行に関して言えば回復はとても順調だった。ただそれは【歩く】と言う事に関してのみで。根本的に問題になってくるのは、歩いていてどちらの方向に行くかなどの判断が難しいこと。
何より病院の階段もそうだが段差があるとどうしていいかわからない。一瞬体が止まるし、感覚として自分の足がどの位置にあるのかがわからないためどの程度まで足を持ち上げれば上がっているのか理解できず、ものすごく大きくあげたり逆につまずいたりしていた 。
これは退院してからも変わらず、歩行に関しては基本的にただまっすぐ歩くだけの人になっている。
基本的な筋力がないため、(長い間座り仕事ばかりだったため)筋肉作りもカリキュラムに入っていた。
とてもスムーズに動けるのになんで段差だと途端にダメなのかとか、右と左が連動しないためどのくらい足を揃えたらガニ股になりすぎ・もしくは内股すぎるのかなどが把握できず、やっぱりこれは脳のせいだろうと言うことになった。空間認識がうまく取れないことそれが段差などが苦手なことの原因であり方向感覚がうまく理解できない。
ふつうの脳梗塞であれば←(あえてわかりやすい表現にすれば)たどるであろう治癒の過程を妨げているものがゲルストマン症候群であり、高次脳機能障害における他の症状のいくつかが徐々におさまっていくなかハッキリとした形でここの改善は殆ど見られないまま残っていった。
方向音痴のケは、しかし以前よりあって、都内の駅で迷ったりたどり着けないでタクシーを使ったりしていたが深刻に困るほどではなく、理由として自分では、都内を10年ほど離れていたため、戻ってきて東京がめちゃくちゃかわっていたこと、基本的に漫画家だったため通勤しないので変わった東京のペースにイマイチ馴染めないでいるのが理由だと思っている。
…そんな方向音痴プラスこうなってしまったわけで歩きに関しては何度か「〇〇部屋までいってください後をついていくから」みたいなテストをしたがことごとく失敗していた。そもそもが室内から出てはダメなため、その時だけ○○部屋に行って、と言われてもリハビリの時見渡した景色だけでは記憶しておけず、また「テスト」的なことがとても苦手だったため「クリア」ならずだった。これを1つ1つクリアしないことには先に進まない。
だいたいの過程としては・室内移動フリー(トイレ、ロッカーふくむ)・リハビリ室まで移動フリー・食堂ラウンジ内フリー、の順で自由化し、問題がなければ1ヵ月もすれば1人で松葉杖をついて、もしくは歩行器でもトイレに行ったりお風呂に入ったり、オーケーだったが私は支障なく歩行自体はできたが、安静度は依然としてそのままだった。まあ、問題があるからなわけだが。
頭は非常にはっきりしているのに文字が書けない、しゃべれるのに読むのが困難だったり、数字が認識できないで、桁がいくつなのか?3桁以上になるとよくわからない等は相変わらずで、もし部屋から出して違う部屋に行ったりそういうことがあったら問題なのでやはりOKは出なかった。
能力差のバラつきが均等化されて完全治癒は無いにしろ日常生活に戻れるように退院したい…その為にはリハビリでできるだけ伸びしろを伸ばし回復すること。…そう思って積極的に自転車漕ぎもした。
筋力的にはメキメキあがっているのに部屋からでれない奇妙な人になっていた……。
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