14:棟内フリーからの外泊訓練
写真は一時帰宅したときに、うちで。
病棟内フリーになって何が変わるか。具体的には食堂・リハビリ室・自分の病室洗面所・トイレに自由に行くことができた。つまりその階であれば自由ということ。
あとは夫がいればそれ以外、病院併設の施設にも行かれた。(コンビニ、病院併設カフェなど)病室では電話をしてはダメなので看護師さんに言って色々とめんどくさい手順を踏まないといけなかったが、そうしないでも電話しに行けるのも大きな進歩だった。
結果として日課ができた。朝起きると必ず6時40分ぐらいから7時位の間に夫に電話する。大体可愛らしい内容ではなく半分苦情というか「あれはどうしたこれはどうしたあの書類はどうしたのか」とか嫌な感じの内容になってしまっていたが、昨日何をしたとか今日の天気は晴れだから山のほうが見えるんじゃないかとかそんな話もした。
今はもう11月になっているから入院してから1ヵ月以上経つ。だいぶ秋だったのが冬になって、葉っぱも紅葉していたのが落ちる感じになってきた。秋は好きな季節だ、それをまるまる味わえなかったな。そうして冬になってやっとフリーになった私はトイレまでフリーになったときと同じく携帯を片手に無駄にうろうろしてみたりした。普通に歩いていると体のどこがどの部分か認識できないのは相変わらずだったのでポケットに手を突っ込んでみることで引っ張られ手の位置が認識できることがわかった。手の位置がわかると動いて指先を壁にぶつけるのも避けられた。
その状態でぼーーっと低血圧でだるそうに歩いている自分の姿をガラス越しにみると、思わずそのヤンキーくささに、ポケットから手だけは出した。
夫は仕事の合間など面会に来てくれた。とはいえ、もともと夫は饒舌な方ではないし私は特に病院にいっぱなしで新しい話題があるわけでもなし。
そんな中、私がもともと肩こりが激しかったりするのもあり、夫がアロマを習いに行ってアロマの検定を習得した。それを聞いて私も嬉しかった。病室にずっといるので全身筋肉痛だったが、アロマはできなかったけどぱんぱんに浮腫んだ足や、ばきばきの肩を楽になった。他の入院患者さんでアロマを持ち込んで使っているもいたので、そこまでガンガンに香りを出さないようにしつつ時々香りも使った。
面会に来たときにご飯の時間と被る時もあった。ご飯は以前にも書いたがは山盛りの白米メインで、おかずが和風基本のなにか…だが、よく出るメニューに「メルルーサ」があった。白身魚の大きな淡水魚らしく、切り身にすると1匹あたりのコスパがいいらしいとか。
頻繁に食卓に登場していた。いつも心の中で…「またか!!」と思っていた。
夫とは喧嘩してしまった時もあって、恐らく休憩室にいる他の人の迷惑になったりもしただろう。他の入院患者さんもそうだけど基本的に長期入院の人はみんな、どこかピリピリしていた。気にして私たちの喧嘩のを見に来る病院関係の人もいたが、ほかでも患者が家族や面会人とがやりあうのをよく見かけていた。看護師さんからしたら珍しい光景ではないようだ。
私は今まで他の人に言われたこともあるから話し方や言葉のチョイスがきつい自覚はあり、夫が普段話す石川訛りの言葉も私には時々逆にきつい言葉に聞こえた。もっと互いに歩み寄る時間があれば変わるのだろうし、夫は我慢できず物を壊すことはあっても私には絶対手はあげないので、今後退院して改善していけると信じている。とにかく退院したい。
この頃自主的にリハビリで鏡を見ながらラジオ体操してみた。
前ほどぶれないし、自分の体がどこにあるのかなんとなく認識できるようになった気がした。鏡が置いてあるのはナースステーションが見える位置から、やや死角になっているところでそこで夫と鏡に向かって立って練習した。
なんだかバレーのレッスンみたいと思った。夜そうやって練習していると向かいの建物の明かりが見えて寒そうに歩いていく人が見える。中にいるとわからないけど、外はもう完全に冬なのだろうとわかった。
そんなふうによく見舞いに来てくれる夫だからナースステーションにもよく顔出し、ほんとによく来てくれる旦那さんね、みたいな感じで言われていた。夫の信用度もあがってきていることだし、私は1つ提案してみた。Aさんを通して外出の許可が取れないかと聞いてみたのだ。長期入院の場合は入院してしばらくしたら外出、もしくは外泊の訓練が入ると聞いたことがあり、そのチャンスを狙っていたのだ。
チケットを取ってしまっていて入院したので諦めているお芝居があった。
夫も誘っていたので一人ではないしスムーズに許可は出た。
しばらくぶり、7年ぶりの劇団公演だったので外泊訓練と重ねていく事が出来てテンションがあがった。パンフレットはおなじみ脳のせいで字がうにょうにょ滑って、例によってイマイチ読み飛ばしが酷かったが、芝居は生ものなので観られたら構わない。
久々の芝居、そして「訓練」なのでいくつか家庭でできたことを確認する必要があった。楽しみだったけど流れとして、そこからご飯を食べて猫に会いに一時帰宅する一連のスケジューリングがこなせるかな?と正直不安でもあった。
一応念のため、「杖を持っている人ぶつかる人はいないから」とAさんが「抑止力」として杖を持って出かけることを提案してくれた。が、足が悪いとかふらつくからとか言うのではなく、ゲルストマン症候群による空間認識の問題で、持つものが1つふえると杖をつかうどころかどうしたらいいかわからなくなってしまった。この教訓で、物を持って出歩けない・両手が空いていないと掴まるものがあるとき困る、ということがわかり、退院したときの為に首から下げるタイプのスマホホルダーを用意しようということになった。※(2020/2後半)斜めかけバッグかミニサイズのバッグなら持てる)
それで晴れて化粧して朝から支度して、1時帰宅を迎えた。外に出てみるともう冬だった。思った以上に冬、そしてもうすっかりクリスマスだった。クリスマスは退院して家にいたいなぁ…この1時帰宅してもまた病院に戻らなきゃいけないんだ、そう思うから手放しでは喜べない自分がいた。
しかし、猫に会いたかったし、夫がいろいろこの日のために用意してくれていたのは分かっていたから悲しませたくなかった。東急ハンズやフランフランや。そういうのが目の前にあって高島屋タイムズスクエア(合ってる?)それが光ってて「あー東京の冬だーっ」て感じだった。
歩くのはちょっときついなと思ったけど歩いた。お芝居は楽しかった。幕間に化粧室に行こうと思ったけれど、病院以外で知らない場所の構造がわからなくなりそうで緊張した。けれど普通に使うことができた。劇場の階段は段差が不規則だったけど、通路の椅子に掴まりながら支障なく移動することができた。
帰宅は概ね楽しかった。猫を抱きしめて、イベントでもらったものを1か月ぶりにちゃんと見せてもらった。
クリスマスツリーを飾って待っていてくれた夫。病室にはアドベントカレンダーをその後から飾って退院の日までカウントダウンすることにした。いきなり外に出て色々して帰ってきて、夫との体力の差で疲れから諍いもあった。あまり思い出したくない。
麻痺があるからか爪切りもうまくできないが疲れていて夫に色々なことをうまく伝えられなかった。
この日は帰宅まえに、朝食に納豆を食べた。病室では納豆禁止にしていたので、(最初に入院するときに禁止にしたまま変えなかった。)自分の好きな具材、卵などをたくさん入れて食べた。無事に行って戻ってこれたかのチェックシートを出してまた病院に戻ってきた。
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