大事なこと:漫画家で生きたかった
私は2019年の秋に脳梗塞で倒れるまでずっと漫画家をしていた。子供の頃から画家や芸術家や文筆業など文芸を生業とする祖父や親族のもとに育ち、いつかは自分もそうした仕事に就くんだと思っていた。そこには何の疑いもなくてただ子供の頃から入賞したり絵の具の色をどの色とどの色混ぜればどの色ができると、そんなノウハウを持ち。それが否定されることがなかったので絵を描くのが漠然と好きだった。
私の父が出版関係だったこともあり、子供の頃の家にはいろいろな雑誌が転がっていた。今では多分考えられないことだが、昔には直接自分が関与していない雑誌でも出版されたものは全部送られてきたり、そうした文化があったらしい。そんな中で絵を書くことが好きだった私は。漫画と言うものに出会った。一番最初に読んだのは水木しげるのゲゲゲの鬼太郎であるがそういうのとは違う、いわゆる少女漫画というか思春期読むような漫画。それは和田先生の明日香シリーズ。でも子供の私には偶然目にした白泉社系の漫画はまだまだ早くて。
子供だった当時、バブルだったのでお年玉が普通に数万円もらえた。それを貯めてりぼんとなかよしを2冊買う。それと本屋さんで一緒に売ってるブルーベリーと梅のガムを買って家に帰って読みながら食べるのが大好きだった。連載を生まれて初めて読んで。読みたい漫画が途中から連載されているからさかのぼって読んでみたい。だから母方の祖母に頼んで書店に連れて行ってもらった。私が住んでいた家の近くにはビルばっかりで本屋は一つあるだけで。最新刊と雑誌があるだけ。子供の足で行ける範囲には本を読む環境になかった。なので北区に住んでいる祖母の家に遊びに行ってはその時にコミックスを数冊まとめて買ってもらうというのが楽しみだった。
そこで1番ハマったのがときめきトゥナイトだった。真壁くんに遅ればせながら萌た。
絵画にはいまひとつ興味が持てなかったが漫画は絵とセリフがあって。幼いころ、1番初めに見た水木しげるの妖怪百科みたいなテイストで漫画って面白い、だから漫画を描いてみたいそういう風に思ったのが6歳位の頃。
そこからとにかくいろいろな漫画を読んだ。12歳の時に塾に通わされていたが国語以外がまるっきりできないため国語の偏差値は80を超えているのに算数が20、そんな感じのばらつきのある能力だったので受験が困難だった。今のように少子化する前だったのでそれなりの受験戦争はあった。とにかく私は両親が早稲田だったので早稲田に入るものだと思われていた。だがそんな頭はなかった。毎日が劣等感の塊だった。国語の点数で頭の良いクラスに入れられるが平均すると数算が答えられない。
同級生に馬鹿にされ買ってもらったばかりのカバンを休み時間中、ナイフで切られたりした。忙しいお母さんが一緒に買ってくれた大事な鞄だ。でも誰がやったかは明白なのにその人は休み時間が終わった後もニコニコ話しかけてきた。なめられたもんだと思う。私は今もだが体も身長も小さい。だから小学生の時はいつかでかくなって絶対に見返してやるぶち殺してやるそういう風に思っていた。今も基本的に変わってない。
だが漫画を読むことだけは親は推奨した。なぜならそれは絵画につながることであり。うちは芸術家系だったのでそこにつながることだったからかもしれない。
とにかくそんな中、人間関係が結構しんどかったので塾をサボるようになった。塾が終わるまで時間を潰すようになった。その時に漫画を読んで時間を消費したかった。漫画が好きなので漫画を読んで時間を潰すと言う言い方はしたくない。なので時間を漫画で消費した。
うる星やつら愛蔵版。それが大体ちょうどよく時間が過ぎた。そしてその世界観に夢中になった。いろんなキャラクターがわちゃわちゃと出てきて楽しく物語が展開していく。その世界に中に没入できる、漫画って素敵だなと改めて思った。漫画を描いていこうと思った。
初めて画材を買いに行ったのは近所の文房具屋さんだ。そこでスクリーントーンを買った。あとは Gペン。これが12歳頃。書きたい話は決まっていた。高橋留美子先生のテイストでラブコメ。しかもギャグ強め。陸に上がった人魚の女の子が男の子に一目惚れ。ラムちゃんのパクリみたいなやつだ。
当時、うる星はとっくに終わっていてそれを模倣しても知っている人はいなかったと思う。今考えてもオリジナリティーもあってなかなか良い話だったと思う。ただそれは発表しなかった。その頃受験を失敗し私は地元の公立中学に通うことになるんだがそこでいわゆる地元の楽しさ、買い食い、親友に教えられたディズニーランド等の楽しさを知ることになる。
なのでしばらく漫画は離れていた。いや、漫画文化の読み手として勝手な意識があって。とにかく今の私の画力では商業誌に通用しない、そう思っていた。なのでいつかその商業誌に通用するようになるまでとにかく漫画を読んだり漫画だけではダメなので民俗学的なこと(この時にすでに親族の書斎からかなりの数の民俗学の本を借りてきていたりしたのでそういったことにはとても興味があったし漫画に書いてある位の事だったらもう知識はあった。)その民俗学的なことを漫画と合わせて自分なりに火力を上げて納得がいけるような漫画が描きたい。そう思っていた。だから中学校生活を送りつつさらなる民俗学の勉強し、それだけではなく歴史や文学も漁った。
やがて中学を卒業し高校に入る頃。相変わらずそれどころでなく、漫画投稿はしていなかったがその頃同人誌の文化があった。私はその頃バイト代をつぎこみライブハウスに入り浸っていたのでバンドの中にミニコミ文化というのがあるのを知った。バンドの人たちをライブレポートとかを書くのがちゃんとしたミニコミだが私はバンドの人たちをモチーフにした歴史漫画を描いて自分のやりたいことをのびのびとやっていた。
でもいつかそれがお金に変わる、自分がやっていることが将来の自分につながるそういうふうにしなくてはいけない、そう思っていた。だから何でも将来のため、ひいては私を馬鹿にした人を見返してやりたいため。その一言ににつきる。当時の心境はそんなかんじだ。
そんな中。いろんな活動をしていた中で知り合った忘れられないで大先輩がいる。その人はとてもきれいな人で可愛くてレディースコミックを書いていた。その人の生い立ちはなかなかハードだった。だから人に優しい。その人に、漫画描いてみる?と言われた。その人は商業漫画を描いていて担当編集者を私に紹介してくれると言っていた。その話に二つ返事で乗った。当時とにかく生活が苦しかったし、勉強しながら後々にも自分の描きたい民俗学やそういったものをやっていけばいいと思った。しかし割り切りながらも、初めて漫画を書いて発表し、それはとても楽しかった。
自分の描いた絵が雑誌に載っている。自分の名前も雑誌に載っている。(今とはペンネーム違う名前だけれども)そして何より孤軍奮闘していた中で編集者さんとのやりとりが頼もしいなと思った。一度デビューしてしまえば営業をかければ仕事は取れたのでいくつか掛け持ちして頑張った。
その頃三時間睡眠でとにかく原稿の直しがたくさん出たので眠れなかった。締め切りは決まっているのでギリギリまで作業をする。しんどい。…といってもレディースコミックが書きたくないわけでは全くなく。むしろ自分は細かい情緒のやりとりやそういったことが苦手なので。人間関係の機微がない漫画、それを突き詰めたレディコミは天職だと思っていた。何より自分が男視点で物語を書いていいと言うのが楽しかった。その頃他にも男性向けも書いた。だが私の家は女性向けすぎるのであまりそれは振るわなかった。
とにかく私は漫画に関わることならば何をやっていても楽しくなっていた。体調が悪くても楽しかった。子供の頃から認められなくて唯一漫画だけが私を認めてくれた。3日寝ないで仕事をするとかは本当にしんどかった。シンプルに言うとなんでそんなことになるかと言うと1本じゃ食べれないからだ。
1本じゃ食べれないけどクオリティーを下げると作品の是非に関わるし自分もクオリティーを下げたくなかった。まぁ実家暮らしならいいかもしれないけど1人で暮らしている人間が生活費を全て賄えるような金額ではなかった。それはそれ以降TL.ロマンス、などのジャンルが生まれるたび、強くなる。単価は何年経っても横ばいで、出版不況を理由に上がらなかった。
仕事が好きだ。金にならない。頑張れって言われる。無理だけど断れば仕事がなくなる
とにかく大好きだったハズの漫画を見るのも嫌になった。
とにかく私はそれらで食べていくことができなかった。コンスタントにコミックも出ていたし家もアシスタントを入れるために持ち家にした。でも何の保証もないし借金を重ねていた。おかしいなぁ漫画で食べてきた。漫画を始めたのに。漫画をたくさん書いてるのにお金にならない。私がどんな仕事でも受けると言うのが問題なのかもしれない。
私が、このままでは死にますよと言ったときの担当の人は今どう思ってるだろう。
間違えなく経済的には人1人殺してますよ。(笑
私がやりたかった事は何だったんだろう。
いつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつか。
いつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつかいつか。
いつかなんか来なかった。
いつかなんか永遠に来なかった。
まだまだやりたいことが。
私があまり漫画について言及してこなかったのは話しても詮無いと思ったからだ。漫画に重きを置いてなかったんじゃない、ラジオだとか表現だとかそういうことをやりながらいつかちゃんと自分の表現したい世界観を表現しようと思っていた。でも食って行かなきゃいけなかった。その間に漫画なんて1本30枚だとしたら書くのに最低でも15日から30日がかかる。それをやりながら違うことっていうのはもう生活をしている以上できない。
でもその環境に自分を追い込んだのは自分だ自己責任だ。
ただ1つわかっている事は。
去年自分が倒れる前のイベント楽しかった。久々に自分で好きな絵をかいた。それが最後になった。もっと漫画を描きたかった。
そしてあったかも知れない未来。
私はもっと漫画を描きたかった。
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