3:誰の体…?
写真は一番初めに病室で見上げる形で撮影したもの
一方その頃、私はといえば夜の病室で目覚めた。
この辺の頃の記憶の飛び具合はひどいもので、人によっては記憶は退院する位までぷっつり飛んでしまう人もいるらしいから、まぁ私はましな方なんじゃないかななどと思ってはいるが、とにかく倒れてから最初の記憶はこの夜の病室で目覚めたところから始まる。
腕に点滴がつながっているな、体がしびれる、携帯はどこだろう?
右足は全く動かなかった。
自分の体、特に手足がどこにあるのかよくわからなかったから何とも言えない気持ち悪い感覚がして自分で自分の体を撫でてみた。違う人に触られてるみたい、自分で触っている方の感覚が鈍く、触られている方の感覚だけ…いや、逆?…よくわからない。
怖くて心細かった。
本能だったのかもしれないけど、その状態で自分の右手で左手を撫でていると安心した。誰かの手に似ている感覚がした。…こうやって誰かに撫でられたことがあるの、だれだっけ…そうだおばあちゃんだ。小さいとき泊まりに行った夜はよく、くっついて寝た。冬の寒い夜なんか皺っぽい感じの手で私の手をさすってくれた、あの手…。
そこからとりとめなく記憶が漂いだした。子供の頃の夏。長野の山に行ったこと、藁ぶき屋根のある家の向かいには鉄塔が立っていて…
夏休みが終わるころ、車に乗せられて東京に戻るのが嫌だった。
私がいない間でも何もかもが変わらずそこにあったらいいと思い、いっそ私が帰ったあとには見送ってくれた家も畑も祖父母も全部消えちゃって、次に遊びに行ったときになったら、また。そのままの世界が復活して目の前に現れたら…なんて思ったりもした。そんな妄想をしながら後部座席から後ろの窓をふりかえっては家が遠くなり見えなくなるのを眺めていた。
そして休み明けに再会した祖父母の変わらぬ様子に安心しつつ、「あれは偽物の祖父母かもしれない…」などと思ったりした。厄介な子供だ。その記憶のなかに出てきた人達はもうみんないなくなったり、田舎の家も人手に渡ったが。…どうやら私の中で人の記憶と場所の記憶はセットになることが多いらしくその後も物や場所へのこだわりは強い。
こう書くと優しい祖父母と楽しい夏の思い出のように聞こえるがほんとうはそう単純なものでもなく、実際には色々と忙しい時代だったし、そんな中で私が純粋に子供時代を享受できたのはわずかな期間だった…でもそんな古い記憶が原風景として心の柔らかなどこかにあるのは間違いなかった。
この、入院した夜。
受け入れ先の病院のSCU(脳卒中集中治療室、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血を対象に早期に適切な処置を目的とする機関)に運ばれて眠りから一時的に覚めたとき危険な状態だったらしく、脳の血管に直接カテーテルを刺して拡張することも検討されたらしい。
私の認識レベルは結構なところまで下がり、だからなのか祖母に撫でられていると誤認して安心して眠りについた。脳の左をやられていたため右側に麻痺がおこっていたのだが(逆の体側に出る)この麻痺による違和感とゲルストマン症候群による左右失認、おまけでその二週間前に転んでTFCC損傷をやっていたのでその後遺症と。
恐らくそれらが要因となって私は束の間、幸せな誤認のままに再び眠りに落ちた。
私は面会に来た母に「おばあちゃんは?おばあちゃんきてくれたよ」といったそうだ…。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?