2:倒れる
写真は搬送先、もしくは入院初期の点滴開始時
2019年。10月10日あたりから繰り返す嘔吐と頭痛で食事はとれず、経口補水液と水を飲みながら過ごす。14日の深夜、具合が悪くて悩んだ末救急車を呼ぶ。(安易に救急車を呼ぶのは先方の隊員の方などの迷惑もあると聞いた事があったため、判断基準に迷った)
救急車で病院に搬送される。その時に色々と検査し、吐き気どめの点滴を打つもぜんぜん効かず。胃酸よる嘔吐をだましだまし看護師さんの質問に答える。
(のちに痛み止めの点滴も入っていたことを聞く)
…点滴を待つあいだ、ぐらんぐらんする頭をかかえつつ周りの様子を眺めていた。看護師さん達がパワフルに働きつつ、深夜の緊急外来というのにそこまで疲れた様子もなく楽しそうに仕事していたのが印象的だった。頼もしいな、と思いながら「なんだかよくある医療ものの青春ドラマみたい」なんて場違いなことを思いながらも、検査の結果を待っていた。
MRIによる検査は異常なし。血液検査もどこも異常なし、いたって健康体、自分も周囲もこの吐き気と頭痛は胃から来るものだと思っていた。その後タクシーを呼んでもらい1人帰宅。この時念のため容態急変があると困るし、入院を…と提案されたがちょうど土日が入院期間にかかり病院が休みになるため、そうなると自分のトークイベントの予定日までには退院が無理と聞き「様子を見ます」と、再検査を予約してタクシーで一人帰宅した。
異変前、家での最後のLINEの履歴は、日曜の昼。
わたしから夫へのもの。「カレー作って待ってるよー」とあったが、カレーは結局食べた記憶がないので作れなかった様子。そのあと関西方面の仕事から帰宅した夫と合流。引き続き具合は全く良くならなかった。
…14日の夜にかかった病院に再度外来で行った。「気持ちが悪いと言うことなので胃カメラをしましょう」と言うことになり、内視鏡検査の予約をしていたのだ。準備として飲まず食わずで胃を空にしたが吐き気と頭痛がひどかったため、もとより何か食べたいどころではなかった。
吐き気から来る眩暈と頭痛、またこの時点で水と経口補水液以外1週間以上口にしていなかったため貧血でまっすぐ立って歩けない。車椅子で検査室まで移動した。「きれいな胃ですね。潰瘍なんかの痕もないし」とのこと。胃を空にしていたのでこの時の嘔吐は胃が切れ出血が混ざっていた。胃カメラと別に今度は念のため脳のCTを取り、ほかに循環器系を除く、内科・婦人科的な検査もしたが全て異状なし。
具合はどんどん悪くなっていたけれど、「これだけやって何も出ないならそういうものか」と考え、15の夜には阿佐ヶ谷ロフトで予定していたトークイベントへ。タクシーで到着すると自分の担当分の設営的なことは任せてしばらく目を瞑って座って休んでいた。お客さんが入りだしてモニタごしに見ながら吉田さん(とうもろこしの会会長)、えいさん(相方)と雑談しながらテンションが徐々に上がっていった。これなら大丈夫かもしれない「とにかく胃は異常ないのだから倒れないように!」と、ロフトのフードのお粥ぽいやつを一気に流し込み、気合入れて出た。
イベントは楽しかった。あの日ご参加の方は私のパートはこんな状態で声が張れてなかったり恐らく聞き難い点もあったと思います。申し訳ないです、ありがとうございました!
イベントの翌日は、頂きものや手紙などをゆっくり眺めたかったが本格的に具合が悪化。夫は仕事のため、また東京を離れなければならなかったので、母が様子を見に来てくれることになった。CT でも何も出なかったしまた救急車に乗るのも…何よりもう立ち上がれない位具合が悪かったので少しも動きたくなかったのだ。
17日の夜、トイレに起きるため立とうとしたが歩けなかった。クラクラするのは何日も何も食べていなかったから、そう思っていたが1、2歩くとグラリ…として倒れてしまう。
体が片側にひっぱられて何回頑張っても歩けない。和室にいたのだがありえないほど視界の先の畳1畳が大きく見えた、というより視界がおかしかった。霞むし、よく見えない。
「これはやばい、おかしなことが起きているんじゃないか…!?」やっとそのことに気がついたが、何をどうしたらいいのかわからず、歩こうとして歩けずバタンバタンと床に転がりながら一際デカイ音をたてて転倒したとき母が気が付いて駆け寄った。ベッドになんとか座ろうとして落っこちてしまったときだ。自分でも呆然としながら「…からだ、動かない。やばいかも…救急車」と母に頼んでいた。
この後ひどく意識が飛び飛びになる。母に支えられて救急車に乗るためストレッチャーシートに体を乗せるところまでは覚えていた。…やっと救急車が来た。やっと救急車に乗れる!そう思ったとたん安心したのか、そこから先は記憶がない。
この時母は救急搬送された先の病院で医師と詳しい話をしたそうだ。私はこの時、立ち会っていてうなずきながら話を聞いていたのだそうだが全く憶えていない。起こっていたのは脳梗塞による可逆性脳血管攣縮症候群、それの治療法などは確定しておらず対処療法になるらしい。これにより、脳の障害(高次脳機能障害)となった。それからダメージを受けた脳の部位がゲルストマン症候群を起こす4つのポイントに完全に被っており、こちらも治療法などは確定しておらず概ね、状態を見ながらの対処療法になる。
ここまでゲルストマン症候群の症状全てが出てしまっているのは珍しいからと、【今後の医療のため、もしかしたら研究対象とさせてもらっても構わないか】
母はその同意書にサインをしたらしい(結局今回は研究入院にはならなかったが。)これら脳梗塞の後遺症は人によっても様々で、既往症なども加味して考える必要がある。そのうえで自分自身の症状として実感がわかりやすかったものを引用で挙げておこうと思う。(wiki等でも探せば様々な記述あり)
【可逆性脳血管攣縮症候群とは】
可逆性脳血管攣縮症候群(Reversible cerebral vasoconstriction syndrome: RCVS) とは、一過性に脳の血管が痙攣、収縮を起こす症候群です。症状は多彩で、突然の激しい頭痛、脳の血流が一過性に障害を受けることによって脳梗塞や一過性脳虚血発作に似た症状があります。虚血を起こした血管の領域によって、一過性の視力障害、四肢の脱力、しびれ感、呂律障害など様々な症状を引き起こします。引用元
ゲルストマン症候群:字を書くことができない失書,計算ができない失算,親指か小指か解らない手指失認,左右が解らない左右失認をいいます。全部出そろう典型的な書状は少ないのです。優位半球(ほとんど左)の角回から縁上回という部位の障害で出ます。
構成失行:簡単な図柄の模写ができない。特に立体的な図柄を描いたり,積み木がつめないなどです。左頭頂葉で多い症候です。
観念失行と観念運動失行:複雑な一連の動作やその模倣ができないことです。料理をする手順が解らない,道具を使った工程作業ができないなどです。観念失行の方がやや後方の頭頂葉よりで出現するといわれています。引用元
高次脳機能障害とは
脳卒中や交通事故などによる脳の損傷が原因で、脳の機能のうち、言語や記憶、注意、情緒といった認知機能に起こる障害を高次脳機能障害と言います。注意が散漫になる、怒りっぽくなる、記憶が悪くなる、段取りが悪くなる、などの症状があり、全国に50万人くらいと推定されています。
高次脳機能障害の発症の原因は、8割が脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血などの脳血管障害)、1割が交通事故などの脳外傷によるものです。その他にも 脳炎、窒息や心筋梗塞から起こる低酸素脳症、脳腫瘍、症候性てんかん、正常圧水頭症、パーキンソン病などによる脳の損傷で発症することもあります。
高次脳機能障害は外見からはわかりにくく、病院や診察室では気づかれずに、実際の生活や社会に戻って初めて問題が顕在化することが少なくなく、「見えない障害、隠れた障害」などとも言われます。
高次脳機能障害の診断は、症状の確認、それを説明できる頭部MRIやCTなどの画像所見、障害を裏付ける神経心理学的検査の結果などによって行われます。引用元
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