5:右手との格闘
写真は入院初期ベッドで撮ったもの。室温一定で11月は半袖で平気だった。
ひとりでは何もできないから全て看護師さんの手助けをうける。
まず、トイレに行く時は看護師さんを呼んで終わったら流さないで待機する。しばらくして看護師さんが来たら車椅子でまた部屋に戻る。
部屋に戻ると、看護師さんの肩につかまって立ち上がることだけして、私が立っているうちにすばやく車椅子が抜かれる。手慣れた動きに関心しているとまたベッドに戻るために「そのまま腰掛けたら後ろに倒れて下さい」という言葉。そしてまた車椅子を回収して看護師さんは戻るわけだがこのとき私には体の感覚がないため、右背面からベッドに横になる動きは高所から背面ジャンプするような感覚で恐怖だった。
そしてどうにかベッドに腰掛けると、まだ右足が車椅子に残っている状態のまま車椅子を再び回収するために回転されるため、足が巻き込まれて痛かった。
痛いという感覚はあるけど鈍いし、こういうものなのかな?だとしたら毎回これだときついなー。と思いながら憂鬱になった。点滴をしているので頻繁にトイレにいきたくなったが、極力我慢した。基本、集中治療室は一部屋に患者一人だったが隣室のうめき声や、急性期なので容態が悪化する者もいて、常に臨戦態勢のような忙しそうな状態で、なかなかナースコールをためらってしまう。
「これ、もしかして見えてないんじゃない?」
あるとき看護師さんの一人が言った。この時まで恐らく共有認識として私の右足が動かないことなどは看護側でわかっていたが、視界に関してはそこまで注視されていなかった。
とにかくそこに気が付いてくれたおかげで車椅子の回収の際に注意をしながらしてくれるようになったので、巻き込まれることはなくなった。
入院してほどなく友達が見舞いに来てくれた。この時体感としては右半身が麻痺し、呂律も回らない感じで面会したのを覚えている。
友人たちは「特にそこまで話し方はひどくは無い」とは言っていたけど自分ではしゃべるのにいつもと同じペースとはいかなかった。「○○するから」と言いたいところを「○○してるのから」とかなったり、たどたどしくなりそうになるのをごまかしつつ、どもりにくい、噛みにくい言葉を選んで話すようにした。全体として頭もぼんやりするし、リハビリ医師によると話してる最中によくどこかに意識が飛んでるのか黙ってしまうという。話している最中に何を言おうとしていたかわからなくなり、固有名詞が出てこないことにイライラしつつも、友達と話せるのは純粋に嬉しかった。
認知症のような症状、(脳梗塞のあとに高次脳機能障害が出るのはわりとあるらしいが認知症と似ているため過去高齢者は認知症に誤診されるケースも珍しくなかったらしい。)それとは別に大問題なのが右手を中心とした体の暴発だった。これは代表的な症状なのらしいけれど。手が勝手に動く。
右手が左手の邪魔をするようになった。
何かしようとして例えば食事をしようとしてフォークを取ろうとしたら右手がフォークを奪う。リハビリで使う道具、(手の感覚を取り戻すために捏ねたりして使う粘土等)も右手が全部奪おうとした。
何かの紙を持っているとしたらそれも左右で奪い合いになる。まるでハルクとか寄生獣だ。自分の手じゃないみたい。別の生き物みたいに勝手に動くそいつが憎たらしくてたまらなかった。
黙らせようとして、左手で右手を掴んで叩きつけたり、思いきり捻ったりした…。半ば癇癪を起こしてていた。
化粧水を塗ろうとして頭に塗ってしまう。
「違う!!」と怒鳴りながら右腕の関節部分をつかみ、そのまま右手をがっつり自分の顔の前に持ってきた。
今考えても何やってるんだろうという感じだが、「こいつを調教してやる!!!」という思いだった。傍から見ていたら、いよいよ私がおかしくなった感じだが真剣だ。「ここ!」と言って自分の頬に右手を引っ張って行き、当てた。全てがこんな感じだった。病室で初めて私を見たときは夫は「もうこのまま一生歩けないんだと思って。手もなんかおかしな方向に曲がってたし…」と言っていた。そして猫と一緒にしばらく泣いた、とも。それは入院1か月くらいたって聞いた事だったが。
…泣きたいのはこっちだよ?と思いつつ、優しい人だなと思った。結婚を決めたのが二月。入籍が七月。そこからお互い忙殺され積み重ねの時間も不十分なまま10月に私が倒れて、一気に全て引き受けなくてはならなくなった夫。
面会時間内では十分な意思疎通がとれず仕事が不定期で、たまたまこの前後夫が面会にこれなかったことで私は完全に愛想をつかされたんだと思った。えらく最悪最凶なババひいたなーと思ってるだろうな、と。
私はといえば泣きたいのはこっちなんだけど泣かなかった。…というか泣けなかった。まずは右手を調教する段階だったので右手の奴に己の立場を叩き込んでやる必要があった。わけのわからない動き、特に左右逆に動く等は相変わらずだったが、その甲斐あってか自分で自分の右手を邪魔したり攻撃したりすることは無くなってきた。調教成功!!(…ではなく事故後しばらくするとこれは落ち着く傾向にあるもので、脳の問題だったと後で聞いた)
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