11:自分探しパスワード
写真は病室に連れて行ったリス。大須の古道具屋から夫が連れて帰ったもの
お見舞いに来てくていた人にはコーヒーラウンジなどに出て会うので、「すごい元気になったねぇ元気だね」みたいな感じになる。そんな様子に、「これにのっかってしまおう」なんて思った。
完治しないと言う事は分かっていたけど少しでも普通に友達とご飯に行ける位のレベルになればいいななどと甘いことを考えたりした。自分の状態はわかっていたが、詳細を言わないうちに状況的に回復し、そのまま退院して社会復帰して…などと思い描いていた。
なので、時間をかけてツイッター画像を変形加工したり、色々できている、順調に回復している側面を強調したりした。もちろんゲルストマンにあまり関わらない部分から回復していたのは事実だし、イケるんじゃないか。と自信を持ったりした。
とにかくリハビリしながら安静度が下がっていくのを様子見しているのだが、せめてトイレぐらいは誰かに頼まなくても自由に行って良いようになりたいなと思っていた。リハビリ病棟は家庭復帰を目的としているので入院患者に対する面会も自由度が上がっていて、朝10時から夜20時までOKだ。夫は毎日来てくれた。頭だけははっきりしているので(違う意味で集中力が欠如し、ものすごくぼんやりしてはいたが)
そこにあれをしまったとかあれを解約しなきゃ、とかそういうことに関しては私は頭が回った。というか色々なことを中途で放り出して入院する形になったので書類の手続きなど、進めていた何もかもが放置状態になっていて早急に解決する必要があった。
しかし!
あれやこれや進める際に必ずブチあたる壁がある…そう、パスワード。
各種パスワードが全く思い出せない。
片っ端から夫とクイズ大会になった。もうプライバシーもへったくれもない。私が使っていそうなパスワードをいろんなパターン思い出しては、口頭で説明し夫に打ち込んでもらい(パスワードなど細かいものは視線がズレるため正確に打つのに時間が要り、私以外がやったほうが手っ取り早い。)
パスワードが当たってたらそれをコピペ保存する。そしてまた、わからないパスワードにぶち当たったら前回使ってた中に似たものや同じものはないのかそこから探す。
…そうやって複数のパスワードを再設定するという気が遠くなるような作業が開始したが、夫は「この言葉、意味はなんていうの」とか聞いてくるので頼むからほっといてくれ、とか思いつつ、「…それはソ連の党の…」とか「…それは武装SSの…」とか私の厨の部分が続々と露呈されていった。
そしてそんなパスワード探し大作戦の最中、夫はさらに「これってアレみたいじゃない?前にやってたゲーム…はじめての共同作業、みたいな」と言い出した。多分少し前、ちょっとだけ二人でゲームをしたその時の話だと思うけど、遺跡探索のやつで2人でぶら下がって岩壁を登ったり遺跡の暗号を解いたりした。
なんかこんな時にまで私はカリカリカリカリしながら一生懸命パスワード思い出そうとしてるんだけど、この人はのんきだなぁいい意味で、と思い、そういうところに救われているんじゃないかななどと思ったりした。
夫にしてみたら、そこまで結婚したかったわけでもないだろうし、共働きならと思って結婚してそれがこんなことになって、生活はおろか金銭面だけではなく日常生活までまともにできなくなってしまった私を面倒見なきゃならなくなって。かわいそうだなぁと思った。
そう思えば思うほど素直にはなれなかった。夫は訪ねて来てくれたが病室だし食堂に行くといっても人がいないわけではない。込み入った話はできなかったしそんな気持ちにもなれなかった。
まずこういったパスワードなどの事務的な話を終え、それから会話ぽい会話をしようとすると時間切れが来ることが多かった。
そしてこの時期忘れてはならない、記念すべき!!!なのがiphone11に戻したことだ。
一度は無理だと思ってバージョンダウンさせた8になってたものだが新婚旅行で使うんだ!というのが諦めきれず電源を切ったまま仕舞ってあった。それを再び使えるようにした。他人から見たらそれだけのことだろうし(そもそもすべての事象が当事者以外には恐らくどうでもいいことなのは心得ている)私には忘れられない日となった。
…そして忘れられないことの傍らでどうやら忘れてしまったこともあった。忘れた、としか表現しようがないのだが、この時にしみじみ携帯を見るにあたってふと気がついたことがあった。病院では何枚か写真を撮っていたし自撮りなんかもたくさんしたりして、時間をつぶしたりしてたがしみじみ過去の写真をさかのぼって見る事はなかった。
そして気づいた。
自分の顔が他人のように見える。この奇妙な違和感。
…ものすごく前のこと多分子供の頃のとか小学生の頃とかの写真を見てこれ誰だっけみたいな感じになる、懐かしいんだけどなんだろうまく言えないけどそれに近い感じ。
でもそんな古い写真を見てそうなるのではなくそれがわりと近々のもの、3年前とか2年前とか1年前に撮った自分の顔がものすごく他人のように見える。これはほんとに感覚の問題なんだけど…そのへんの時期に集中して自分の顔に違和感が出た。(撮影したものをすぐに見るのは平気)
まぁそれは多分入院した後、しばらく「これってどうやって使うんでしたっけ?」と、いろんなものに関して思ったのと多分一緒。
自分の顔のことも忘れてしまったんだとしたら意識的に写真も撮っていくしかない。見慣れることで脳にすり込める可能性はあると考えた。字も書いていく事で全く書けないところからある程度はいけるようになったし。(2020/3月時点では顔に関してはほぼ改善されている)
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?