見出し画像

19:ヘルプマークの問題点


写真はフォトウェディングメイク中のもの。

こうして不本意ながら完全なニート生活が開始したわけだがここでパソコンが壊れた。ついでにプリンターも壊れた。長い間入院して使っていなかった間にどうにかなったのかわからないけどメモリがいかれた。まぁ今更何があっても驚かないし近々にパソコンをどうにかして使う予定もなかったので保証の期間が切れていなかったし(保証の期間が切れていなかったのに壊れる私のもともとの運悪さはどうやら続行中)
とりあえずパソコンのデータを取りに来てもらうことにした。もう一度ソフト関係はインストールしなきゃいけなかったけどデータはほぼほぼ出出せたので問題なしだし「まぁもう全部一掃しようってことだよ」と言われた。そうかもね!

1月の19日。夫の公演日だった。

3月に予定されていたソロアクトはコロナの影響で中止されてしまったので1月だけでも観られてよかった。私はこの時点ではまだ、1人で電車に乗って外出することが難しいと思ったので(夫の公演なので夫に同行してもらうのは無理)友達に一緒に来てもらうことにした。帰りに前々から言ってみたかったエスニックの店に行ったが味は絶品、しかし傾斜が急な階段の店で、それでもまぁ何とかなった。日常がリハビリだ。

新婚旅行に行きたい、行くんだ、と意気込んでいたがどうやら現状ではとても厳しいと自覚しだしていた。入院中も、リハビリのときに雑談で「結婚2か月で倒れたってことは退院頃…どうなのかな?行けるくらい回復してるといいけど…」と微妙な空気になった。脳自体の状況でも気圧の関係などで飛行機を使うことが厳しいかもしれないと言われていたので、なら、「写真だけの結婚式をやりたいフォトウェディングをやりたい」と言う提案をした。

何より、無理やり行ったとしても猫もけっこうな年齢になってきているので今長く家にいなくなるのは不安だし、ダメ押しのコロナ、からの経済危機。これは今じゃないってことだと思うし、待ってたら私のビジュアルが「w新婦www」みたいな感じになってる気がするので。

2月の誕生日付近に写真を撮りに行った。衣装を選んで何度か打ち合わせをして、撮影当日お化粧してもらって写真を撮った。すごく丁寧に一つ一つ対応してくださってメイクの時も私が移動するのにドレスを持つアシスタントの係りの人が丁寧に対応してくれて。すごく嬉しかった。アルバムができてくるのはもっと先だけど、楽しみに待つ。身に着けたアクセサリーは翡翠で祖父から祖母へのもの。形見だ。

2月22日。上野に2回目のミイラ展に行った。1回目は退院後すぐに行って、その時にグッズなどは買っていたので、2回目行った理由はもう一度行きたい+1人での外出を練習するためだ。上野なら、ある意味1番詳しいくらい使っていた駅だし、上野、そして科学博物館なら大体バリアフリーになっているから色々めんどくさいことも避けられるだろうと思った。

この人1人での外出訓練のために私はヘルプマークをつけていくことにした。…実は以前からヘルプマークは時々つけておりそのたびに思うところあったので、できればつけないで行きたかったが「念のためつけたほうがいいだろう」と夫に言われた。ヘルプマークは内部障害というを外側からはわかりにくい障害を抱えた人のためのマークであり、主に足の件で付けていた。

以前ミイラ展に行ったとき、パネルの字が、びっしりに近かったため判読困難だった。これがどの程度改善されているか(会場の問題などではなく自分の見え方の問題として)また、エジプトにおけるミイラの作られ方の変遷がパネルになっていたものがあったが、これが時系列を追うのとミイラの製法がクロスした形に書いてあったので読むのに困難だった。そこの見え方も改善されていれば、自分の回復の目安になると思った。

これらに関して言えば改善は見られなかった。それがわかったと言うことが重要だし、1人で上野まで行き、自分の決めた全工程をこなして来れたと言うことが重要だった、と思うことにした。

そのまま私は気分良く、待ち合わせた夫と合流して食事する予定だった。

食事するために立ち寄ったT駅で乗り換えがあったため、しばし人の流れが詰まった。その時に後ろにいた女性がすごく私のことを覗き込んで来るなぁと思っていたが、そのままの流れで私が女性の前に立つ形でエスカレーターに乗った。

その間も視線は感じていたが、エスカレーターを完全に降り、改札のあたりに行くとすれ違いざまに私のヘルプマークを見て指差す感じのしぐさ、そこからそのまま指先を頭のところに持っていき「くるくるパー」の動作。それから両手を肩のところで窄める、よくある「what?」みたいな動作で、ふざけたかんじで二度見すると改札を出て行った。夫は私のほうに集中して会話していたため見ていなかった。(だいたいいつも見てない)エスカレーターの時点でだいぶ腹が立っていたが、さすがに改札からの流れでキレると夫にも去っていく後ろ姿だが女性を確認してもらうことが出来た。

その人は65歳前後の中年女性で白髪混じりの黒髪を茶系の透かしの入った偽べっ甲ふうのバレッタで止めており、ベージュのロングスカートに、恐らくグレーの無地のコートだったと記憶している。すれ違いざまに顔も確認したが写真などは残していない。残念だ。

この人がずっと覗き込んでいたのは私のヘルプマークをはっきりと確認するためだったのかもしれないし、本人でないので動機はわからないが、その後一連の行動をして問題ない相手なのか値踏みしていたのだとしたら随分とナメられたものだ。

私がヘルプマークをこの日より前から元々、あまりつけたくなかった理由として、ほかに2回ヘルプマーク関連でむかつくことがあったからだ。(駅近くのスーパーや本屋など、私が外出したのは今まで数えるほどなんだけど、2回だけヘルプマークを付けてその2回両方とも嫌な思いをしていた。

1回目は横断歩道を渡る時に、小学生数人に「あれって馬鹿な人マークなんでしょ」「やめなよきこえるよ」みたいなやりとり。ニ回目は、まぁまだましなほうなんだけど、夫と一緒にいるときに「あれ席譲ったほうがいいやつ?」「…いや、よくね?いや彼氏いるから大丈夫でしょ」と私のヘルプマークを見ながら。(夫は例によって聞いてない)

そして三回目。とにかくヘルプマークをつけて大して外出しているわけでもないにもかかわらず、今のところ超、高確率だ。つけていないときは一度もそんなことはない。

ある意味この上野に行ったときのことが決定的になったので、今後以降ヘルプマークをつける事はしないことに決めた。もしヘルプマークが引き金となって例えばホームで突き飛ばされるなどトラブルに巻き込まれたら逆に危ないと判断したからだ。それは杖を基本的に持たないこと(ゲルストマン症状的にも持てないけど。)のと一緒で外に出たら基本自衛していくしかないと思って過ごすことにした。夫は基本的に性善説の人間なので、具体的にここまでなければ面倒くさいので夫には黙っていたのだ。今回は目の前で起きたので(取り逃がしたが)

ちなみに女性の年齢がそのくらいだと判断した判断基準は、一連のジェスチャーがちょうど昔の恩師がやっていた感じに似ていたからで、生きていたら(大酒のみだから生きてるかな?どうかな)いまそのくらいだと思ったからだ。

…夫には、常日頃私が最悪の場合を想定して動いていること、「世の中は悪い人間ばかりじゃないからもっと人を信用してとか決まって言うけど、それは信用できる人間かどうかの見極めがまずできなければならないし、不特定多数の人間を信用しなければならないような局面はなるべく作らないに越した事はないと思っている」と話した。その意味で私はヘルプマークはつけないほうが吉と判断したが夫は「それでもつけなければいけない人がいるのは…地獄やなクソで地獄やな…」と憤っていた。私が「このクソが!」とかいうたびに「そういう言葉つかわない」とたしなめる系だったが、めずらしく怒ってるなと思った。

そもそも最近おとなしい恰好でいすぎたからナメられたのかなと思い、そのあと腹の虫が収まらないから最近の自分にしては派手に盛った感じで出かけてギョーザをがっつり食べたら気がすんだ。…済んだ、ということにしておく。

…世の中は戦える人ばかりではないし筋トレだけでやりすごせるわけでもないし本当に地獄だしクソみたいな案件だと思った。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?