さよならのわすれもの
その日はじめて ケンは、その子にあいました。
花屋さんのみせさきで、はなたばをかかえたまま ころんだ少女をたすけたのです。
少女のまわりに、パッとコスモスの花がちりました。あわててひろおうとすればするほど、花びらはちっていきます。
だまってひろってやったケンに、少女は、
「あした、かあさんのたんじょうびなの。三百円でこんなにいっぱい もらえたのよ。でも、花びらがこぼれちゃった……」
少女は、いまにもなきそうなかおでいいました。
少女の手にあるコスモスは、もうほとんど ちっていました。さかりをすぎた花だったのです。
ケンは、ポケットのなかの百円玉をにぎりしめると、花屋さんのガラス戸をあけました。
「これで、コスモスを、ちゃんとしたコスモスの花をください」
ケンは、まっすぐ花屋さんをみていいました。
赤と白のコスモスが二本。
少女は、うれしそうにケンをみてほほえみました。少女は、来年の春、ケンとおなじ小学校に入学するそうです。
少女は、ケンをなづな橋のたもとまでつれていき、
「ほら、あそこの赤いやねのおうち。あそこがわたしのおうちなの。ねっ、いっしょにいって、かあさんにあっていって」
少女は、ケンをみあげました。
ながいまつげのおんなの子にみつめられてドギマギしたケンは、くびをふると さよならもいわずにかけだしました。
その夜、ケンたちの地方に記録的な大雨がふりました。雨のおとをききながら、ケンは、さよならのわすれものをしたことがきにかかっていました。
あした、あそびにいってみよう。そして、さよならのわすれものをかえしてこよう……。
そうけっしんすることで、あんしんしたのでしょうか、ケンはことりとねむってしまいました。
づぎの日は、ふりつづく雨で学校はおやすみでした。
二日後、やっと水のひいた道を通って、なづな橋によりみちしたケンは、いきをのみました。
そこは、いちめんのどろの海でした。赤いやねの家は、あとかたもなく なくなっていました。ぼうぜんとたちすくむケンのよこで、
「むごいねえ、三けんだよ。三けんもいっぺんにながされたんだよ。いちばん小さい子は、まだ五才だっていうのに…」
おばあさんがつぶやくようにいいました。
「その子、赤いやねの……」
「そうだよ。かわいい子だったのにねえ」
きんじよの人でしょうか、そのおばあさんは、だくりゅうのうずまく川をみながら、めがしらをおさえています。
ケンのむねのなかで、コスモスの花がパッとちりました。
「うそだー、そんなの……」
たそがれはじめた町に、ケンのひめいのようなこえがひびきました。
さよならをいいたかったのに……。
一年生になったら、ぼくが まいあさ、むかえにきてあげるよっていおうとおもってたのに……。
ケンのおもいをよそに、川はなにもかもをのみこんで、おとをたててながれていくばかりでした。
おわり