いかないでよ魔法使いのおばあさん
むかしむかし7
メルヘン村に春がきました。
野原には春りんどうや濃い色のスミレが咲き乱れ、山はこぶしや桜で花ざかりです。
魔法使いのおばあさんとネズミくんは、おべんとうをもって、小さな丘の上までピクニックに行きました。
「今年の春は花がいっぺんに咲いて、まるでヨーロッパの春みたいですね」
ネズミくんが野原のまんなかで大きくのびをしながらいいました。
おにぎりをほうばろうとしていた手をとめて、おばあさんは、ちょっとおどろいた顔をしてネズミくんをみました。
「おまえは日本のネズミだとばかり思ってたけど、ヨーロッパに住んでいたことがあるのかい」
ネズミくんは、パッと顔を赤くすると
「ちがいますよ。ここに、ほら書いてあるんですよ」
おべんとうをつつんである新聞をゆびさしました。
そこにはたしかに今年の花の咲きかたは、ヨーロッパのようだと書いてあります。
「へえー、ネズミくん、おまえはいつのまに新聞を読めるようになったのかい。なかなかやるもんだね」
おばあさんは新聞とネズミの顔を交互にみて、感心しました。
「からかわないでくださいよ。これでも、魔法使いの助手なんですから、すこしは勉強しますよ」
ネズミくんは、ムキになっていいかえしました。
野原には、あたたかいそよ風が吹いて、とても良い気持ちです。
「そうか、ヨーロッパは春がいっぺんにくるんだねえ」
魔法使いのおばあさんは、しみじみとした口ぶりでつぶやきました。
考えてみれば、おばあさんはメルヘン村よりほかに行ったことがありません。本や新聞での知識では、ヨーロッパもアメリカもオーストラリアもしっていますが、それは想像するだけで実際にはしらないのです。
魔法使いのおばあさんのおばあさんのそのまたおばあさんが、ヨーロッパからメルヘン村にやってきたと魔法の本には書いてあります。ということは、おばあさんにとっては、ヨーロッパはふるさとのようなものです。
「なんだか行ってみたくなったねえ」
おばあさんは遠い目で丘の向こうの白い雲のそのまた向こうをみつめました。
このところ、メルヘン村にはお客さんがたくさんきます。
魔法使いのおばあさんに相談する人が多くて、おばあさんも少し疲れぎみでした。
「行くって、ヨーロッパにですかあー?」
ネズミくんが、キーキー声をあげました。
おばあさんと出会う前のネズミくんは、ふつうのネズミでした。
もちろん魔法もつかえなかったし、床下で人間の食べ残しを食べ、夜になったら家の中を走りまわるのがせいいっぱいでした。
おばあさんに出会ってメルヘン村に住むようになって、魔法をおぼえ、空をとべるようになりました。そのうえ、ヨーロッパまで行けるかもしれないのです。声がうらがえるのもしかたありません。
「そうだねえ、たまには外の世界を見るのもいいかもしれないね」
おばあさんは、しみじみとした声でいいました。
魔法使いのおばあさんがヨーロッパに行くという話はあっというまに村中に広がりました。ネズミくんが会う人ごとに、その話をするからです。
おばあさんの家は、急にいそがしくなってきました。おばあさんがヨーロッパに行く前に……と、相談にくる人達がふえたからです。
「おばあさん、大変です」
ある朝、まだベッドにいるおばあさんの所にネズミくんがとんできました。ネズミくんもまだ、ナイトキャップをしたままです。
まだ八時にもならないというのに門の前には行列ができていました。窓から外をみたおばあさんの口がポカンとあきました。
行列を作っている人達は手に手にプラカードをもっています。
《魔法使いのおばあさん、ヨーロッパに行かないで》
《メルヘン村をすてるな!》
《メルヘン村をまもろう!》
森の動物から小さな女の子、乳母車をつれたお母さんまで、いろいろです。
乳母車をおしているお母さんは、この子が「あっち、あっち」というものですから、来てしまったんですよ。ほんとになんなんでしょう……と、目をまるくしてあたりをみまわしています。
乳母車の中で、赤ちゃんはおしゃぶりをくわえたままニコニコごきげんで笑っています。
メルヘン村は、動物たちの住む森と人間の住んでいる町とのあいだにあります。だれでもこれるし、だれでもこれない、ちょっと不思議な村でした。
しょっちゅう遊びにきていた子どもたちも、ある日突然、こなくなります。
メルヘン村の入り口がわからなくなるのです。
しばらくのあいだはさがしまわります。でも、じきにそんな村があったことさえわすれてしまいます。そういう意味では、メルヘン村は近くて遠い村でした。
「おやおや、あれは暴れん坊の太一じゃないか。すっかりエラソーなおっさんになったけど、わたしにはわかるよ。あのゲジゲジマユゲはすこしも変わらないよ。それに、そのとなりにいるのは、あかねちゃんだよ。小さな女の子だったのが、すっかりいい娘さんになったじゃないか。あの子たちまで何をしてるんだい」
魔法使いのおばあさんは、ブツブツ言いながら、パジャマを着替えて外に出ました。
「○○ー××ー△ー!!」
いきなり みんながいっせいにさけんだので、何がなんだかサッパリわかりません。
足元では、ウサギやモグラたちまで、ピョンピョンとびはねています。その時、ピーッと笛がなりました。
ゲジゲジマユゲの太一くんが、首からさげた笛をならしたのです。
「しずかにしてください! よかった。体操服のままとんできて。ほんとに、うちの学校の生徒よりうるさいよ」
「魔法使いのおばあさん、おひさしぶりです。ぼくを覚えていますか?」
太一くんは、魔法使いのおばあさんの方をふりかえり、あらたまった口調で挨拶をしました。
「わすれてないよ。ゲジゲジマユゲの太一くんのことは。いたずらには手をやかされたからね」
魔法使いのおばあさんは、おおげさに顔をしかめてやりました。
「そうですか、覚えていてくれたんですか。ところが、ぼくの方はすっかりわすれていました。うちの生徒が、昨日の放課後、魔法使いのおばあさんがメルヘン村からいなくなってしまう。どうしたらいいだろうって、相談してるんです。そのとたんに、ぼくの頭のコンピューターが動きだして、魔法使いのおばあさんって、もしかしたらあの、『魔法の相談うけたまわります』のおばあさんかい?って、きいたんです」
「それって、あたしたちなんです」と、あかりちゃんたちがうれしそうにさけびました。
「おばあさん、どうしてヨーロッパに行ってしまうの? おばあさんがいなくなってしまったら、メルヘン村もなくなってしまうわ。せっかく森の動物たちとも仲良くなれたのに、そんなのってないわ。ねぇ」
あかりちゃんは泣きださんばかりに、まわりの女の子たちをみつめました。
「そうよ。おばあさん、あたしたちをおいていかないで」
女の子たちもいいました。
「それで、昔、ぼくが遊びに行ってたメルヘン村がまだあって、おばあさんも元気なんだってわかったわけです。それにしても、おばあさんは変わりませんねえ。昔からおばあさんだったけど、あのころとおんなじだ」
ゲジゲジマユゲの太一くんがいいました。
「あんたは、すっかり老けてしまったけどね」と、おばあさんはようしゃなくいいました。でも、そのあとで
「あの登校拒否で、森へきては動物を追いかけまわしていた子が、学校の先生とはね」
しみじみとした声でつけたしましたが。
「そうなんです。あれは、五年生の時でしたが、クラス担任がかわりましてね。それで学校が面白くなって、その先生の影響ですよ。教師になろうと思ったのは。先生が変わるだけで一人の男の子の人生を変えるんですからね。先生っていうのは、良くも悪くも影響力が大きいんです。それなら自分は、子どもたちの心をひらくことのできる教師になろうと思ったんです。でも、学校が面白くなりだした頃から、この村のこともおばあさんやネズミくんのこともわすれてしまいました」
「それでいいんだよ」
おばあさんは優しい目をしていいました。
「でも、この子たちはまだ、この村を必要としています。それに、こんなにたくさんの人や動物がおばあさんとネズミくんを大切に思っているんですから」
太一くんは、先生らしく説得しはじめました。
「話はわかったけど、どうして私やネズミがヨーロッパに旅行に行くのがいけないんだい。いくら魔法使いでもたまには気ばらしが必要だよ」
魔法使いのおばあさんは、怒ったようにいいました。
「ヨーロッパ旅行ー?!」
集まっていた人たちの口がいっせいにあきました。
「そうだよ。ご先祖さまの土地をみてくるのも勉強になるし、栄養補給になるっていうものだよ」
おばあさんは、ムッとしたようにいいました。
「あかねちゃん!!」
太一くんが、あかねちゃんをにらみました。
「先生、だって、この前きたとき、ネズミくんがおばあさんはヨーロッパに行くことになった。もうメルヘン村はしめてしまうんだって 言ってました」
あかねちゃんは、さけぶようにいいました。
「私も、ききました」
「おれも!」
動物たちまで、さけんでいます。
おばあさんは、キッとした顔をして、逃げようとするネズミくんの耳をヒョイとつかみました。
「これはなにかのまちがいでね。わたしは、遊びに行くだけで、すぐ帰ってくるつもりだよ。わたしにとっては、このメルヘン村がふるさとなんだからね」
と、いうと、すこしやさしい顔になって
「でも、久しぶりに、みんなとあえて嬉しかったよ。このオシャベリネズミもすこしは役にたったというわけだよ」と、笑いました。
みんなは口々に笑いながら、安心したように帰っていきました。
さあ、大変です。
ネズミくんは、小さくなってふるえています。
ヨーロッパに行けることが嬉しくて、ついおばあさんは、もう帰ってこないつもりかもしれないと、口をすべらせたのです。
その時のみんなの驚き方があまりにもすごかったので、本当は……ということができなくなったのです。
みんなは、笑いながら帰っていきました。
ドアをしめて、二人きりになると、おばあさんは
「おまえのおしゃべりのおかげでいい勉強をさせてもらったよ。正直言って、あんなにたくさんの動物や人間が私のことをこの村にいてほしいと思っているとは思ってもみなかったよ。私でも、けっこう役にたってるんだね。ひとつ、ヨーロッパで新しい魔法を勉強しなおしてきますか。えっ、おしゃべりのネズミくん」
おばあさんは、部屋のすみで小さくなっているネズミくんにいいました。 その顔は、うれしそうに笑っていました。
おわり