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最近の記事

ギルガメシュ叙事詩を簡単に説明します。

『ギルガメシュ叙事詩』は、古代メソポタミアの文学作品であり、実在した可能性のある王ギルガメシュを主人公とする物語です。この叙事詩は、人間の歴史の中で最も古い文学作品の一つとされ、特に人間の死や友情、英雄的行動について深く掘り下げています。 叙事詩は、主に前1300〜1200年頃にまとめられた「標準版」として知られています。この版は新アッシリア時代のアッシュルバニパルの図書館から発見されたもので、12枚の書版から成り立っています。物語は、ギルガメシュと彼の親友エンキドゥとの出

    • ラーマーヤナを簡単に解説します。

      ラーマーヤナは、古代インドの大叙事詩であり、ヒンドゥー教の重要な聖典の一つです。この叙事詩は、主に王子ラーマの物語を中心に展開され、彼が妻シーターを魔王ラーヴァナから救出するための冒険を描いています。 この作品は、サンスクリット語で書かれ、全7巻から成り、約24,000の詩節が含まれています。詩人ヴァールミーキによって編纂されたとされ、成立時期は紀元前数世紀から2世紀ごろにかけてと考えられています。 物語の概要は以下の通りです: 第1巻では、ラーマが王位継承者として生ま

      • ダミアン・ハーストとはどんなアーティスト?

        ダミアン・ハースト(Damien Hirst)は、1965年6月7日にイギリスのブリストルで生まれた現代美術家であり、特に「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」運動の中心人物として知られています。彼は、死や生をテーマにした作品で広く認知されており、そのスタイルはしばしば物議を醸しています。 ハーストはリーズで育ち、1984年からロンドンに移住し、ゴールドスミス・カレッジで美術を学びました。在学中の1988年には、自主企画展「フリーズ」を開催し、これが彼自身や他の

        • 佐伯祐三とは

          佐伯祐三(さえき ゆうぞう)は、1898年4月28日に大阪府で生まれ、1928年8月16日にフランスで亡くなった日本の洋画家です。彼は大正・昭和初期に活躍し、特にパリでの活動が知られています。 生涯とキャリア 出身地: 大阪府大阪市出身で、光徳寺に生まれました。 教育: 1917年に東京美術学校に入学し、藤島武二に師事しました。1923年に卒業し、その後も画家としての道を歩みました。 パリでの活動: 1924年から1926年までの最初の渡仏では、モンパルナスなどで過ごし

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          川原温とは

          川原温(かわら おん)は、1932年12月24日に愛知県刈谷市で生まれ、2014年6月27日に亡くなった日本の美術家です。彼はコンセプチュアル・アートの第一人者として国際的に高い評価を受けています。川原は、特に「Todayシリーズ」として知られる日付絵画で有名です。このシリーズでは、制作した日の日付だけをキャンバスに描き、その日の新聞を入れた箱に収めるという独自のスタイルを持っています。作品はその日のうちに完成しなければならず、完成しなかった場合は破棄されるという厳格なルール

          棟方志功とは

          棟方志功(むなかた しこう)は、1903年9月5日に青森市で生まれ、1975年9月13日に亡くなった日本の著名な板画家です。彼は、従三位の位を持ち、最晩年には棟方志昂と改名しました。 棟方は、父棟方幸吉と母さだの三男として生まれました。幼少期から絵に興味を持ち、特に美しい自然や花に感銘を受けていました。彼は17歳の時に裁判所で働きながら絵を描き続け、18歳の時に洋画家・小野忠明からゴッホの作品に触れ、「わだばゴッホになる」と決意しました。 1924年に上京し、帝展への入選

          ラグーザ:日本に西洋彫刻を伝えたイタリア人彫刻家

          ヴィンチェンツォ・ラグーザは、19世紀に日本に西洋彫刻を伝えたイタリア人彫刻家です。明治政府の招きにより来日し、工部美術学校で教鞭を執り、日本の近代彫刻の礎を築きました。本稿では、ラグーザの生涯、日本での活動、そして彼が日本に与えた影響について、詳細に解説していきます。 生涯と経歴 ヴィンチェンツォ・ラグーザは、1841年、イタリアのシチリア島に生まれました。幼い頃から芸術に興味を持ち、彫刻の道に進みます。1872年には、ミラノで開催された全イタリア美術展で最高賞を受賞し、

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          フェノロサって知ってる?

          アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa)は、1853年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラムで生まれ、1908年にロンドンで亡くなった哲学者であり美術研究家です。彼は1878年に日本に来日し、東京大学で哲学や政治学を教えながら、日本美術の研究に没頭しました。 フェノロサは、日本の伝統的な美術を再評価し、その保存と振興に尽力しました。特に、彼は狩野派の画家たちと密接に関わり、狩野芳崖や橋本雅邦などの作品を支援しました。1

          フェノロサって知ってる?

          藤島武二って画家の”天平の面影”はなかなかですよ。

          藤島武二(ふじしま たけじ、1867年10月15日 - 1943年3月19日)は、日本の洋画家であり、明治から昭和にかけて活躍しました。彼は鹿児島県で生まれ、若い頃から絵画に興味を持ち、特に日本画を学びましたが、後に洋画に転向しました。 藤島は、黒田清輝の影響を受けて東京美術学校の助教授となり、その後教授として多くの学生を指導しました。彼の作品は、ロマン主義的な要素を持ち、特に女性像や風景画で知られています。代表作には「天平の面影」(1902年)や「黒扇」(1908-190

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          古賀春江とはどんな画家?

          古賀春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は、日本の画家であり、特にシュルレアリスムの先駆者として知られています。名前で勘違いするかもしれませんが、男性です。福岡県久留米市に生まれ、本名は亀雄(よしお)で、後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名しました。彼の画業は大正から昭和初期にかけて活躍し、短い生涯の中で多様な表現技法を探求しました。 古賀は初めは水彩画を中心に活動し、見たままを描く写生を行っていましたが、次第に油彩画にも取り組む

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          河鍋暁斎ってどんな画家?

          河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)は、1831年に生まれ、1889年に亡くなった日本の浮世絵師であり、日本画家です。彼は幕末から明治時代にかけて活躍し、その作品は多岐にわたります。 生涯と教育 河鍋暁斎は、下総国古河(現在の茨城県古河市)で生まれました。幼少期から絵画に興味を持ち、7歳で浮世絵師の歌川国芳に入門しました。国芳の教えを受けた後、10歳で狩野派の前村洞和に移籍し、約9年間の修行を経て独立しました。 芸術スタイル 暁斎は「画鬼」と称されるほどの才能を持ち、写生に対

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          高橋由一ってどんな人物?

          高橋由一(たかはし ゆいち、1828年3月20日 - 1894年7月6日)は、日本の洋画家であり、近代日本洋画の先駆者とされています。彼は江戸に生まれ、狩野派を学んだ後、洋画の道に進みました。特に、彼の作品は日本の洋画における重要な転換点を示しており、近代的な技法とテーマを取り入れたことで知られています。 生涯と教育 由一は、下野国佐野藩の藩士の家に生まれました。幼少期から絵才に恵まれ、12歳から13歳の頃には狩野派の画家に師事し、絵画修行を始めました。彼は後に洋画を学ぶた

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          工部美術学校とは

          工部美術学校(こうぶびじゅつがっこう)は、日本で初めての本格的な西洋美術教育機関であり、1876年に設立されました。この学校は、工部省の管轄下にあり、工部大学校の付属機関として位置づけられていました。設立当初から、画学科と彫刻学科の二科が設けられ、西洋美術の技術教育を目的としていました。 工部美術学校は、イタリアから招聘された教師たちによって運営され、特にアントニオ・フォンタネージ(画学科)やヴィンチェンツォ・ラグーザ(彫刻学科)が重要な役割を果たしました。彼らは西洋の美術

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