たばこ
私は、たばこを吸わない。けれど、副流煙は嫌いじゃない。誰かと話すと、たばこは好きか嫌いかの二元論の種になりがちだ。吸わないけれど好きなひとには、あまり巡り会えない。
私がたばこを好きな理由は、私の好きなものにたばこがよく馴染むからだ。ライブハウスも、カラオケも、カフェも、コーヒーも、飲み屋も、海にも、たばこは似合う。背徳と粋と自由と美しさが混ざっている。はっきり言って、惹かれている。
惹かれているのに、どうして買わないのだろう。たばこに手を出さない理由は、ふたつある。
ひとつは、おかねがかかるから。1本20円をサクサクと消費するのは、惜しい気がする。1箱あれば美味しいおやつが買えるし、10箱あればライブチケットになるし、100箱あれば格安の旅行に行ける。天秤にかけて、他のものが重かっただけだ。
もうひとつは、1度手を出したらたばこに縛られそうな気がするからだ。吸わないとイライラする、吸わないとやってられない、ひとときの安心を得たい。たばこでコントロールしようと思っていたきもちが、たばこに支配される気がした。自由を手にいれたくて、粋な大人に憧れてはじめたたばこが、わたしを窮屈に縛っていく気がした。
からだに悪いからなんて、体裁の良いぼんやりとした理由で嫌いになんてならない。たばこを吸って、私の居場所がほしくなったら、憧れと現実を秤にかけて、これからも現実をとっていくんだろう。
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