見出し画像

映画 「異人たちとの夏」 大林宣彦

まず、この映画は
スリランカ料理をわしわしと手で食べるシーンで始まる

丹野冨雄氏は東京は四谷で
スリランカ料理店トモカを営んでおられた。
山田太一原作の映画「異人たちとの夏」の
導入部で登場する
スリランカの家庭料理
(ビッタラ・アーッパやポルサンボルがあった記憶)
ほんとうのスリランカの味を提供するレストラン
このロケ地こそが、かの「トモカ」である。


12歳で両親を交通事故で亡くした主人公は
久々に立ち寄った浅草で死んだはずの父に会う。
目が合った瞬間、父はにやりと笑い「おうっ」
「浅草はよく来るのかい?」
連れられて訪ねたアパートは昔と同じ
親子で暮らした懐かしい部屋。
若くてきれいな、亡くなった日のままの母がそこにいた。

とにかく風間杜夫がすばらしい。
自分より若い父と母の前でかしこまって
今シナリオライターとして働いていて、
自分の脚本のテレビドラマが放送されていると
報告するときの、きちんと正座して、
くりくりと目を動かせて、両親に説明する、
その姿は間違いなく小学生の男の子なのだ。

息子がひとりぼっちで生きてきて、
いまは自分より壮年で、出世している。
なんともうれしそうに目を細めて
「たいしたもんだよっ」と
相好を崩す片岡鶴太郎。
「もうこの子ったら、みずくさいわね、
次(のドラマ)はちゃんといつ放送するかを教えるのよ。」
と秋吉久美子。
手料理でもてなされて、
「また来るのよっ」と母に見送られて
ふにゃんふにゃんでうふうふと、
茹で蛸のように
しあわせいっぱいで帰路に着く風間杜夫。


片岡鶴太郎が大抜擢された理由は、
当時、既にめずらしくなっていた
ちゃんとした江戸弁をあやつれるごくわずかな
東京人であったからだそう。
確かに鮮やかで、それはそれはもう巧みで流暢なセリフであった。

山田太一は
小説『異人たちとの夏』で1988年(昭和63年)の山本周五郎を受賞
太平洋戦争のさなか、強制疎開。
疎開先で彼が10歳の時、過労で母を亡くしている。
この小説は自伝的な要素が強く、次女の佐江子氏が
「これほどまでに自身を重ねた作品は特別だ」と後日、語っている。

2023年に
アンドリュー・ヘイにより、原作小説が再映画化された。
(イギリスのサーチライト・ピクチャーズ製作)
山田太一はこの作品の脚本を気に入り、
再映画化に協力を惜しまなかったそうだ。
完成作にも目を通し、満足であったらしく、
公開の目処のついた2023年の晩秋に亡くなった。

日本では2024年4月公開
「All of Us Strangers」 邦題は「異人たち」
山田は亡くなる直前の2023年11月初旬に映画の完成を見届けており、
その際の山田について佐江子氏は
「食い入るように2時間、真剣にものすごい集中力で見ておりました」
「満足そうに、感慨深げにしておりました」と述べている。
なお、山田の作品を世界に知ってもらうために
尽力していた妻・和子さんは映画の完成を待たずに亡くなられた。
エンドロールに名前がクレジットされているとのこと。


以下
丹野冨雄氏のかしゃぐら通信より転載いたします

異人たちとの夏
 撮影は店が休みの日曜日、夕方から行われた。二人の俳優さんがエスニック料理を食べるシーンは、赤坂にあるインド料理店か、四谷のスリランカ料理店かに絞られたけど、結局、四谷のトモカに決まった。大林監督のオーケーが出るまで、取り直しの度に二人の主演者は何枚もアーッパを食べつづけたので俳優さんはえらいなあと思った。



 この先記述する内容は、私の記憶違いだと思いたい。

「異人たちの夏」は
直木賞にノミネートされた。とどこかで読んだ。
発表の日、出版社関係者とどこかで集っていた。
しかし電話は鳴らなかった。?
もし直木賞をとっていたら、よかったのにと思う。
彼は2017年の脳出血で、執筆が難しくなった。
その後、テレビ局関係の仕事とは遠ざかり、
さらに夫人を亡くして、喪失感はあったことだろう。


この映画には永島敏行が友人役で出ている。
風間杜夫の妻が、
夫に愛想を尽かして永島と一緒になる設定。
この永島の演技がなかなかいいのだ。
元気はつらつの栄養満点健康優良児にしか見えない。
ところが彼だけが、
マンションにこもる亡霊の気配と
異状を察知して、風間の危機を救う。

そして名取裕子
我が愛しの名女優
またの名を「南極 アイス(byコールセンターの恋人)」
南極 アイスなくして、「コールセンターの恋人」の
成功はなかった。(視聴率は知らん)

つづくかもです

いいなと思ったら応援しよう!