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南の島のカレーライス 丹野冨雄

明治時代の日本人が欧州へ渡航する時
必ず寄港したのがセイロン島(スリランカ)である。
文部省給費留学生として、英国留学の命を受けた夏目漱石や
岩倉使節団の久米邦武はここで
「ライスカレ」を食したことを記録に残している。
陸軍省の派遣留学生としてドイツ留学した森鴎外も
この地で食べているはずだが、仏寺を訪ねた記述はあるも、
料理のことに触れていない。

スリランカは仏教文化の国
仏教徒(上座部仏教)のシンハラ人が人口の7割を占める。


辛い、辛すぎるではないかっ
の意見を除けば
スリランカの料理は和食に共通点を見出せる(と、思う)
とにかく米を喰う人々だ、
シンハラ人もタミル人も。
ごはんの炊き方に違いはあるが
米をたくさん食べる。

日本の鰹節の源流がこの国という説もあって、
“海のシルクロード”(黒潮文化)で北上したのではと考えると
柳田國男の「海上の道」と一致するように思われる。




丹野富雄氏は東京は四谷で
スリランカ料理店「トモカ」を営んでおられた。
山田太一原作の映画「異人たちとの夏」は、いきなりわしわしと
スリランカの家庭料理を
(ビッタラ・アーッパやポルサンボルがあった記憶)
手掴みで食べるシーンで始まる。
このロケ地こそが、かの「トモカ」である。


次は愛しい愛しい「異人たちとの夏」を、、



丹野冨雄 : 1951年生まれ。フリーランス・ライター。
スリランカ料理に惹かれて、現地で“カレー”とシンハラ語の修行を積む。
帰国後、東京・四ツ谷にスリランカ料理の店「トモカ」を開店。
スリランカ情報の発信基地となる。
95年夏、「トモカ」を閉店し、
東北・山形の山里の村“かしゃぐら”へ移住。晴耕雨読の日々。
“縄文の地”東北を拠点にした南アジア論を展開。
著書に『南の島のカレーライス』『あじまさの島見ゆ〈縄文幻視〉』
(ともに南船北馬舎)、『スリランカ』(共著、三修社)


異人たちとの夏
 撮影は店が休みの日曜日、夕方から行われた。二人の俳優さんがエスニック料理を食べるシーンは、赤坂にあるインド料理店か、四谷のスリランカ料理店かに絞られたけど、結局、四谷のトモカに決まった。大林監督のオーケーが出るまで、取り直しの度に二人の主演者は何枚もアーッパを食べつづけたので俳優さんはえらいなあと思った。


#ルーツは同じか日本食によく似たスリランカ料理

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