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Aセクがパーソナリティ障害に由来する可能性と向き合う

薄々恐れていたけれど言っていなかったことがある。
それは、「私のアセクシャル性が、単なる性的マイノリティではなく、何かしらの障害の『症状』である可能性を、もっとちゃんと考えなくていいのか?」という不安だ。

「お前本当は障害者なんじゃないの?」という頭の中の悪魔の声。
「アセクシャルは病気ではありません」って言うけど、本当?
都合のいい呼称を得て思考停止してるだけなんじゃないのか。
他のAセクの人は障害じゃなくても、自分のは障害だったりしないか?

考えても仕方ないような気もするが、不安なものはそのままにしておいてもずっと不安なので、向き合ってみる事にした。


「人間関係リセット症候群」

私は「アセクシャル」という言葉を知る前、大学4年生くらいまで、自分は「人間関係リセット症候群」かなと思っていた。

というのもこれまでの人生、
保育園 → 小学校 → 中高一貫 → 大学① → 大学②
の矢印のところでほぼすべての友人関係がばっさり切り替わっているからだ。保、小、中は携帯電話も持たされていないお年頃だったから無視しても、高校を卒業する時は「もうあのクラスメイトと会わなくてよくなるんだ嬉しー」と思っていた。
大学①の時は、サークルの人に告られて断って気まずくなっていたので、「波風立てずにこの人と顔合わせなくてよくなるの嬉しー」と思っていた。

気づけば縁が切れることを喜んでいる自分がいる。だからきっと、これは「人間関係リセット症候群」なんだろうなー。と思った。

今は、大学② → 就職 の矢印を越えて付き合い続けている友人が複数いるので、私は「人間関係リセット症候群」ではない、と断言できる。

というか、中高ではフツーに「苦登校」というやつだったので、今となっては「昔の自分、それ正解」と思う。
大学①のアレは自分のセクシャリティを自覚できていなかった故、自分がなぜ相手に激しい拒絶感を感じているのかが分からなかった。自分でも理由不明で「人間関係無理!」だったので、「私、ヤバイ人間なんだ」と思った。今では一応「Aセクだから」という回答を持てている。

自分は人間関係リセット症候群ではない、と確信を持つのに、20代後半までかかってしまった。ないことを示すのって、本当に難しい…。


「スキゾイド型パーソナリティ障害」

Youtubeでどっかのエライ人がアセクシャルについて講義する動画を見ていたら、「Aセクとスキゾイドの関係はどう思いますか?」という質問が出ていた。ほう、海外ではそういう認識もあるのか、と思った。

「スキゾイド(型パーソナリティ[障害])」ってなんだっけ?という方は ↓ を見てください。
スキゾイドちゃん イラストまとめ | 人間社会の飛行法

初めて「スキゾイド」という言葉を知ったのは、大学4年生くらいの頃。研究室の同期に、「徒歩子さんこれじゃない?」と言われて、上のサイトの漫画を見せられて、「そうかな~?そんなことないと思うけどな~」と言いつつ心中穏やかではなく、帰宅してちゃんとサイトを読んだらちゃんと泣いた。
これだけぶっ刺さるということは、私は「スキゾイド」なのかもしれないけれど、調べると「スキゾイド型パーソナリティ障害」って言葉が出てくるのが気になった(っていうか気に食わない)。

「障害」なのか?
障害なら治せるのか……??

スキゾイド型パーソナリティのチェック項目に、「他者に恋愛感情を持たない」があり、「Aセク」の時点でスキゾの可能性が若干高まる。

パーソナリティ障害チェックテスト
もやってみた。

(4個以上該当すると傾向ありとされる)
スキゾイドパーソナリティ障害 → 4/7

ぎりぎり引っかかった…。

あと、スキゾイドと同じA群の
(5個以上該当すると傾向ありとされる)
統合失調型パーソナリティ障害 → 4/9

引っかかってないけど、あぶねー。統合失調型は「奇妙または風変わりな思考と行動」だって。いや、私じゃんw(筆者二次元キャラと結婚してる人)
※統合失調型パーソナリティ障害は統合失調症とは別物。でも言葉のニュアンス的には近い

突然「群」という言葉が出てきたが、パーソナリティ障害のA群、B群、C群の分類はこのようになっている。

A群は奇妙または風変わりな様子を特徴とします。このグループにはそれぞれの際立った特徴をもつ以下のパーソナリティ障害が含まれます。
妄想性:不信と猜疑心
シゾイド:他者に対する無関心
統合失調型:奇妙または風変わりな思考と行動

B群は演技的、感情的、または移り気な様子を特徴とします。このグループにはそれぞれの際立った特徴をもつ以下のパーソナリティ障害が含まれます。
反社会性:社会的無責任、他人の軽視、欺瞞、自分の利益を得るための他人の操作
境界性:心の中の空虚さ、人に見捨てられることへの恐れ、不安定な人間関係、感情や衝動的行動をコントロールすることの問題
演技性:人の注意を引きたい欲求と劇的な行動
自己愛性:賞賛されたいという欲求、共感性の欠如、および自分の価値についての過大評価(誇大性と呼ばれる)

C群は不安や恐れを抱いている様子を特徴とします。このグループにはそれぞれの際立った特徴をもつ以下のパーソナリティ障害が含まれます。
回避性:拒絶される恐れによる対人接触の回避
依存性:服従と依存(面倒をみてもらいたいという欲求による)
強迫性:完全主義、柔軟性のなさ、頑固さ

パーソナリティ障害の概要 - 10. 心の健康問題 - MSDマニュアル家庭版


さて、チェックリストに当てはまったが、果たして私は障害者なのか?

生活に支障をきたし、本人や周囲が苦しんでいる場合には「障害」とし、そうでなければ「~型パーソナリティ傾向」と呼ぶようだ。
恋愛感情を向けられると、その人との人間関係が終了するという現象に、私は結構苦しんでいるのだが、それは「障害」レベルなのか??

治療法を調べても、基本的にパーソナリティ障害の特効薬はないし、あってカウンセリング、みたいな感じだ。
MSDマニュアル家庭版を読んでも「鬱になりやすいから気を付けて。鬱になったら薬があるから病院来てb」
みたいな事が書いてある。

Aセクだろうかスキゾだろうが、どっちのラベルを選ぶにせよ、
「人とちょっと違う」「そのせいで周囲に馴染めず病むリスクがある」
っていう毒にも薬にもならない事しか、医者は言ってくれないのだな…。


「回避性愛着障害」

パーソナリティ障害診断の結果、C群の

(4個以上該当すると傾向ありとされる)
回避性パーソナリティ障害 → 4/7

もギリギリ引っかかった……。

「回避性」は「スキゾイド」とは群が違うが、他者と積極的に仲良くしない点が似ている。
両者の大きな違いは、親密さを避ける理由が、スキゾイドは「他者への無関心」なのに対し、回避性は「拒絶されることへの恐れ」である点だ。

「回避性」は相手に拒絶されるのが怖い「見捨てられ不安」ゆえ、自分が傷つくのを避ける。そして、拒絶されるくらいならと自ら相手を拒絶してしまうようだ。

「回避性」についてもっとよく知ろうと、Amazonで本を漁って読んでみた。が……。

この本は読みながらキレた。

ここから上記の書籍に対する個人の感想です。(読み飛ばしていいです)

■■■■■■■■ ここから ■■■■■■■■

まず、少子化だからって結婚・出産してない若者を責めるなよ(帯に対してもうキレてる)。恋愛できないのは「障害」だから治せって?最近の若者ってひとまとめにすんなよ。人それぞれみんな違うんだよ。

・愛着障害の原因
親に愛情を与えられ、のびのびと育てられる代わりに、無視されたり、逆に過干渉されて理想を押し付けられて育つと、愛着する事が無駄だと学習して、親密な関係を避ける「回避性愛着障害」になる。同じような環境で育てられても人によって「回避性」になる人もいれば、ならない人もいる、とのこと。ここまでは、まあいい。

しかし、著者は回避性になる原因の一つとして、テレビなどの映像メディアの見過ぎも挙げている。映像は文字情報に比べてデータ量が格段に大きく、これを見続けることは脳の限界処理量を脅かし、主体性を奪われるという主張だ。だが、これはちゃんちゃらおかしい。情報の質を無視している。1MBのテキストデータの方が、同じデータ量のカラー画像より、人にとって"多くの"情報を乗せられる。情報を圧縮したのが言語だからだ。
そもそも現実(アナログ)はハイビジョンを超えるハイビジョンだし、視覚、聴覚に加えて嗅覚、触覚、味覚が付随する。〇〇バイトという形で表せないだけで、現実の情報量はフィクションより遥かに多い。だから、情報量の多さを根拠に映像メディアを批判するのはおかしい。どうせアニメを悪者にしたいだけだろ、と思う。

・患者の心を抉る著者…
回避性の人の例が回復の成功例と失敗例がたくさん挙げられていたが、どうも主観的すぎると感じた。
例えば、ずっと引きこもりだった40歳の人が、勇気を出して働き始めたが、半年で辞めてしまい、「やっぱり自分はだめだった」と感じてまた引きこもってしまった、というエピソードがあった。これに対し、著者は「長く引きこもっていた人が半年も仕事を続けられたのはすごいことで、これは成功体験である。なのに彼はそれを失敗と捉え、挫折してしまった。勿体無いことである」というようなコメントをしていた。

私は引きこもり側に共感して、著者に怒りを感じた。
ヤレヤレ、これだから回避性は、みたいに思ってないか?
以前、テレビで自殺者のニュースが流れた時、誰かが「死ぬ勇気があるなら死ぬ気でやれば何だってできるのに、勿体無いね」というような事を言っていた。お前死ぬ気で何かやってそれでも上手く行かなかった奴の気持ち分かるのかよ、と思った。
著者の主張もこれに似ている。その挫折が本人にとってどれだけ辛かったか知らないで、安易にもう一回挑戦しろとか言うなよ。

幸せな家庭で育てなかったら愛着障害の可哀想な人になってしまうのか?生まれる場所なんて選べないのに。その結果、趣味やフィクションの世界に安らぎを見出したことは間違いで、「恋人」や「家庭」に癒されることが正しいのか?
募金は善意でしなきゃいけないの?良い人に見られるためって打算は駄目なの?みんなそんなに善意で生きてんの?私はエコが金になる今の世の中が好きだよ。皆がスタバの紙ストローに文句言おうとも!

大分取り乱してしまったのでそろそろ終わります…。

■■■■■■■■ ここまで ■■■■■■■■

巻末に診断テストがあったのでやってみたところ、私は
回避型スコア >> 安定型、不安型スコア
で回避型だった。
傾向が「非常に強い(15点以上)」、「強い(10点以上)」のテストで回避型スコア12点だったので、やっぱりギリ当てはまるくらいだ。

キレ散らかしたことからも分かるように、私はこの結果に納得してはいない。(診断テストの意味…)

だが、愛着障害という言葉を知って、自分の対人関係の不安や恐怖に向き合い、本当は他者と愛着を形成したい気持ちが心の中にあることに気づいて、行動を起こせるようになる人もいる。
なので、この記事を読んでくれた方の中で「愛着障害」にアンテナが反応するような方が居たら、私のたわごとなど無視して、検索したり本を読んでみて欲しい。


(強引に)まとめ

  • 診断テストの結果的に、私は回避性愛着とスキゾイド傾向がある。あくまで傾向であり、障害ではない。と思う。

  • 仮に障害だったとしても、その「治療」には激しい抵抗感を覚える。これは私の「パーソナリティ(性格)」であり、自分と切っても切り離せないと感じるからだ。

  • 「障害」という言葉を付けなければ、「スキゾイド」「回避型」(あと「統合失調型」もw)という言葉は結構私を言い表していると思う。悔しいけれど…。

そして、ぶっちゃけパーソナリティ障害は病気ではない。

今の日本では「統合失調症」の人が犯罪を犯した場合、責任能力なしと判断されることが多いが、「反社会性パーソナリティ障害」と診断されても基本的に責任能力ありと見做される。
「反社会性パーソナリティ障害」はケアすべき患者か、ただの悪人か、精神医療の現場でも難しい問題なのだと、看護学科の授業でも先生が言っていた(中退したけど…)。

だから、やっぱりパーソナリティ障害は、どこまでも「パーソナリティ(性格)」なのだ。

・他人に興味が無く
・奇妙で風変りな思考と行動
・他者に拒絶されるのは怖い

という、生まれ持った性格。この最大公約数的なところにAセクがあるのは、認めたくないけれど、認めざるを得ない……。

生きづらそうだね……。

ただ、この手札でも上手くやればギリ勝てるだろ、と思う楽観的な性格も入っているので、まだ社会にしがみついて生きています。


配られたカードで勝負するしかないのさ…
それがどんな手であっても




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