大好きな人を振った(?)話
私はアロマンティック/アセクシャルで、恋愛感情を向けられると相手の事が嫌になってしまう(リスロマンティック)。
なので、私がする異性(男性)の話は悪いエピソードばかりだ。
でも、本当は悪口言うより愛を叫んでいる方が楽しいに決まっている。
だから私の友人の凄い人が格好良いんだって話を書こうとした。
そうしたらなぜか悲しい話になった……。
私は現在、企業で研究員として働いている。
「理系の花形」といわれる研究職に就けたことは、正直超嬉しい。
私は運がよかった。世の中には、実力があるのにガチャで当たりが出なかった人が沢山いる。
辛い思いをしないといい目を見てはいけないとは思わない。努力と我慢を取り違えてはいけない。
だけど、大学院生の時は本当に辛かった。
うまくいかない実験、増える研究室滞在時間、迫るタイムリミット。
卒業しても研究で食べていける保証はない。
先の見えない真っ暗な道を一人とぼとぼ歩いているみたいだった。
そんな何も見えない中で、私に道を示してくれた友人の言葉がある。
私はけっこう頭いい大学の看護学専攻という所に2年程在籍していた。なぜ看護かというと、その専攻がその大学で一番偏差値が低かったからだ。
他の学部の人がセンター試験で9割以上を余裕で取る中、看護学専攻はセンター7割でいけるというバグが生じていた。
ビリギャル?ドラゴン桜?って本当にそんな感じだ。この話はこれでちょっと面白いのだが、長くなるので別のテキストで…。
そんな訳で私は偏差値55くらいの凡人でありながら偏差値70の人々の輪の中に入り込むという僥倖に預かった。
朱に交われば赤くなる、と言うが、頭の良い人たちと過ごしていると、自分も頭が良くなった・・・・・・気がした。人の能力は周囲の環境によって大きく左右されると思う。
大学では生物系自主ゼミサークルというのに入っていた。看護には全然興味がなくて、本当は生物学を学びたかった。
自主ゼミサークルはその名の通り自主的に書籍や論文の内容でゼミをやるサークルで、担当者が調べた内容をまとめて発表し、参加者と議論する。
そこでは高校生物の内容が頭に入っていれば、凡人の私でも偏差値70の人たちと対等に議論できた。知は力なり。
机に向かって教科書の内容をノートに書き写すだけの、手を挙げて質問しようものなら白い目で見られる高校までの授業の、いかにつまらなかったことか。どこからともなく面白いネタを拾ってきて、ゼミで雄弁に語る彼らはとても格好良かった。
理屈をこねても嫌がられない、感情論で話さない、理系の人々・・・・・・。できればずっとこういう人の中で生きていきたいと思った。
一方、看護学科の方では、「看護師にとって一番大事なのはコミュニケーション能力です ^-^」という世界だったので、私は全力でキョロ充していた。
女子率9割の看護学専攻で過ごすキョロ充生活と男子率9割のサークルで過ごすオタクの二重生活だった。
おしゃれも恋バナもスイーツもよく分からないので、同じ学科の女子と話すのは難易度ハードモードだった。逆に女子がほとんどいないサークルでは私はあまり気を遣わずに済んで楽だったが、男子学生の方が女子に気を遣っているのが分かった(姫扱いされるよりは百倍良かったので私は満足だった)。
中学高校では変なやつとしてクラスに馴染めず、卒業後は友達が一人も居ない浪人時代を過ごし、計7年間ぼっちやってきた人間にしては頑張った方だと思う。
そうやって過ごしていた大学一年生の終わり頃、人生で初めてすごく仲がいい友達ができた。
その人とは看護実習中に同じ班になって知り合った。看護専攻に数人しかいない男子学生のうち一人だった。看護に興味がなくて、本当は生物学をやりたいという、私と同じような境遇だったこともあって意気投合した。
その人とは会話がとにかく楽しかった。優等生らしくウィットに富んだ話をするが、難解な事を言う訳ではなく、分かりやすく楽しかった。
虫取り少年がそのまま大きくなったような人で、一緒に道を歩いているととムシの名前やその生態を教えてくれた。ムシを見つけては「あ、⚪︎⚪︎がいる」とそっちに引き寄せられるので、道を真っ直ぐ歩かない。
この人にはきっと私とは違う世界が見えているのだと思った。
人は名前をつける事で物事を区別し理解する。「分かる」と「分ける」は同じこと。私には全部同じように見えている小さなムシが、彼にはちゃんと別のものに見えている。普通の人より高い解像度で世界を見ているのだ。
それまで寂しさは人と居る時に感じるものだった。
あの人と仲良くなって初めて一人で居る時に寂しいと思った。
この頃は男性恐怖症とかなくて怖いもの知らずだったので、その人の家に遊びに行ったりした。
人との仲良くなり方が分からないので、私は「生きたスッポンを買ったから鍋やろうぜ」みたいな意味の分からない方法で遊びに誘い、向こうもなぜか引かずに付き合ってくれた。
そのほかにもここには書けないやばめのアクティビティを多数やった……。
その人は私がキッチンで何か作ってるのを見ると、「いいなー」と言っていたのを覚えている。私にもその「いいな」の意味が何となく分かった(彼女あるいは家庭を連想したのだと思う)が、恋愛になるのが嫌なのでそれには気づかないふりをした。
私が相手に悪く思われていなさそうなことにはほっとした。
そうして知り合って約一年後、私は大学を中退して地元の大学の農学部に編入した。使わない資格を取るより正しい判断だったと思う。
友人とは地理的に離れる事で一緒に遊べなくなるのは残念だったが、「男女の友情は存在しない」とも聞くので、身体的接触を絶対避けられるのは良い事だと思った。
編入先の大学では、私は生物学者になる夢を叶えるべく大学院に進学した。私なりに頑張ったが、しかし結果は出ず、何の実績も無いまま修士二年生を迎えようとしていた。
研究室に行って、菌を培養して、菌体を調べ、実験が失敗している事を確認する日々を過ごした。指導教員に培養条件が良くないんじゃない?と言われ、培養条件を少しずつ変えてはまた失敗。一回は上手くいったんだから、同じ事が再現できないのは君のやり方が悪いんだよ、と言われる。土日返上で成果の出ない実験を続けた。
私は研究者になりたかったし、他人にも「向いてるよ」と言われるし、MBTIなどの性格診断でも向いてる仕事に研究と出る(INTPです)。
それなのに全く成果が出ないという現実。これの意味するところは私は研究職に向いていないということなのだろう。それでも、どうしても諦めはつかなかった。
そんな時に久しぶりにあの友人と通話した。
友人は看護学科を卒業し、農学部の大学院に進学して、昆虫の生態を研究する研究室に入っていた。
私は、
研究が全然上手くいかないし、先生は威圧的だし、周りの学生は単位が欲しいだけで研究に興味が無いし、新しくできた友達は鬱になったけど明日は我が身で、前の大学にいたときは研究に憧れていて研究室に入ることがゴールだと思っていたけれどせっかく編入したのに理想とはかけ離れていて結局どこにも辿り着けない――と暗黒な悩み相談をした。
その結果、
――大丈夫僕も全然論文書けてないわ。うちも大体一学年に一人辞めてってるし、その原因はうちの教授のパワハラだけどうちの教授パワハラ対策委員長務めてるんだよな。○○君(共通の知り合い)も研究室来れへんようになって、でも大学院行きたい気持ちはあるらしい。あと彼女が皆メンヘラになってくのなんで辛い――と暗黒な答えが返ってきた。
大学も変わったのに、この人と自分はずっと境遇が似ているなぁ、と思った。ともすれば傷の舐め合いになるような暗い会話の中で、友人が言った。
「でもさぁ、教授に言われたことをただやってるだけでは、教授の劣化コピーができるだけやっか」
目から鱗だった。
自分が独立したら今やってる研究テーマじゃなくて、自分で新しい研究を始めたい。△△ってムシの生態がすごく変わっていて面白いんだけど、変すぎて研究してる人がほとんどいないからそれをやりたい。
そうを声を弾ませて語る友人の姿勢に、背筋が伸びる心地がした。
私はこれまで能動的に研究してきたか?先生に渡された研究テーマを言われるがままにやって、それで上手くいかないと泣いていただけじゃないか?
友人やサークルの先輩たちがとても格好良かったのは、人に教わるだけではなく、自分から興味を持って何かを追求していたからだった。自ら道を切り開いてゆく人たちは格好良い。
私も自分の研究テーマを自分で見つけてみたい。それで上手くいかなかったら諦めがつく。そう思った。
それから私はプログラミングを勉強して、自分でデータ解析をするようになった。データ解析の勉強会に参加したことで、大学外にコネクションを持つことができた。コネってこうやって作るんだ、と思った。
全部私の友人の言葉が無かったら成し得なかった事だ。
私が博士課程に進学したのも、半分はこの人の影響だった。
友人は、当然のように奨学金を獲得して博士課程に進学した。さすが我が友、優秀。
すごいね!申 請書を書くコツ教えてよ!と聞いたところ、奨学金は研究内容に対して下りるのではなくて、申 請者に対しての投資だ。だからこの研究は自分にしかできない研究である、ということをアピールすると良いよ、との事だった。
なるほどねー。
私は落ちた。
博士課程進学者は非常に少ないので、優秀な博士の友人を持てたのはとても心強かった。
話がちょっと脱線するが、この時期にこんなことがあった。
ある日データ解析の勉強会(オンライン)に出たところ、同世代の男性がマイクがミュート解除されているのに気づかず「徒っ歩子さ~~ん♪」と喋って「はぁ!?」「あ、やべっ(ミュート)」となる事件が起きたのだ。
これ、セクハラだよなぁ!
→逆恋人フィルター(注1)消失!
→リスロマスイッチ(注2)オン!
→私心の中でブチ切れ
注1)私は私に恋愛感情を持たない人であれば、基本的に全人類を肯定的に見ている。
注2)リスロマンティックの気があるので、相手に恋愛感情を持たれると相手のことが嫌いになるスイッチが入る。カエル化現象。恋愛感情かどうかの判断は私の独断である。
勉強会の後、怒りがおさまらず、説教するためそいつに Skype をかけた。
しかし、相手は手強かった。
「全然連絡ないから心配しましたよぉ(嫌味。あなたの分担だった所、結局私が全部やったんですから(怒」
「えっ、心配してくれたんですか ^_^」(通じてない)
「なんで急に連絡取れなくなったんですか?(怒」
「いや、風邪ですけど?」
「ソウデスカ……(だとしても謝れや……)」
「Skypeって使いづらくないですか?だから風邪の時連絡できなかったんですよ。LINE交換しません?」
「いや、逆に私あんまりLINE見ないんで(嘘。何LINE交換しようとしてんだこいつ……)」
「ところで、この前の勉強会の時のあれ、セクハラですよね?」
「何ですか?」
「『徒歩子さ~~ん』って言いませんでした?」
「そんなこと言ったっけ?」
「言いました」
押し問答…。
「言ったかもしれないけど、普通に喋っただけでセクハラじゃないです」
「いや、セクハラですよ」
「違います」
結局、下心などない、セクハラではないと断固主張する相手に根負けして口喧嘩では私が負けた。
理系大学院は非常にハードでストレスフルなので、まともで思慮深い人程ダメージを直で食らって病んでゆき、こういうヤバイくらい図太い人が生き残るという謎の選択圧が働いている。
(私も自分がまとも側にいるとは思っていないぜ)
当時はこれを笑い話として友人に話すことができた。(結果、デスクトップのエロ画像を誤爆で画面共有したおっさんの方が罪深いのではという話になった(笑。私は性欲が自分に向かなければ寛大だった)
嫌な経験だったが、それをネタに友人と楽しく話せたからいいか、と思えた。
……本当に、旧知の友人の存在はありがたかった。
また友人と「最近どうよ?」「病みそう」と電話で話していた時。
友人が、「研究室の後輩(女子)がメンタルがヘラった時ウチに泣きに来るんだけどどうしたらいいの……」という話をしてきた。
「その子絶対気があるじゃん、モテるねアンタ……」
「いや、もうメンヘラはいいんやけど」
「いやいや、そんなこと言ったらモテない大勢に怒られるよ」
「でもさー、モテたところで本当に好きな人と一緒になれなかったら意味ないやんか」
!?
うん?それ私の事か?
この流れでそれ言うって絶対そうだよな。
少女漫画で見たことあるやつだこれ。
「え、本当に好きな人って、誰?」「君だよ」ってなる流れじゃんこれ?
恋愛は嫌だ、友達でいたい。どうしよう。
結局、私は
「へー。人生ままならないねー」
とか言って誤魔化した。
が、これは誤魔化せるようなものではなかった。相手がストレートな婉曲表現で伝えてきたものを分かりやすく全力ではぐらかした訳で、相手にとっては断られたのと同じだったと思う。
私だけが「なんとか誤魔化せたな、セーフ」と思っていた。とんだ勘違いだった。
その後しばらく連絡は取り合わなかった。
私は二回目の奨学金の申 請書を出し、こちらは通った。
二回目で書き方が上達したのも一つの要因だろうが、間違いなく友人のアドバイスが大いに役立っていた。
「奨学金通りました!」
と連絡した。
「良かったね。僕は落ちました」
あ。
それから少しだけやりとりをした。気のせいかもしれないが、向こうが塩対応になったように感じた。
私からも連絡をしなくなった。
それ以降、もう連絡を取り合うことはなくなった。
相手にしてみれば、好意を示したらそれをスルーされて脈ナシと分かった上奨学金の件で傷口に塩を塗られたのだった。
本当、何してんだよ私。
私がアロマンティック、アセクシャルを自認したのはこのずいぶん後だった。もっと早くLGBTという言葉を使って自分を説明できていれば、何か変わったのだろうか……。
私は相手から恋愛感情を向けられると、相手のことが嫌いになってしまう。それは好感度が50点くらい減点される感じで、普通の人だとこの減点で好感度がマイナスになるから「嫌い」に分類される。でもあの友人は、50点減点しても好感度が余裕でプラスという希有な人だった。
決して私のような変な女のせいで傷ついたりしていい人ではなかった。
私は彼を心から尊敬していたし、彼は私の人生に多大な影響を与えた。
彼からの好意を感じられていたことは、私の大きな自信となった。
それでも私は自分が彼を尊敬している事を、大好きだという事を伝えることができなかった。
好きならば付き合う、付き合ったらスキンシップをする、その後セックスをする――ということに、世間の常識的にはなっている。
私の友人もその常識の中に生きている人だから、そういう形の「幸せ」を求めているんだろう。でも私はその「幸せ」をあげられない。
「好きだけど付き合わない」を上手く説明できないから、好意を表明することさえできなかった。
私は彼からたくさんのものをもらったのに、私からは何もあげられなかった。そればかりか、おそらく傷つけてしまった。
同じ学科で、研究畑で、似たような境遇を辿ってきたから、彼の辛さが私には分かっていたのに。寄り添おうと伸ばされた手を振り払ってしまった。
もう連絡は取っていないけれど、友人は大学の職に就いているので、検索すると所属が分かる(ネトストするなよ、キモいな私)。
私の友人が大学のポスト争いに勝って研究費をいっぱいもらって業績挙げて、ついでに素敵な相手を見つけて幸せに生きていきますように!!
祈る。