橋の下で拾った子
私がnoteを始めたきっかけは、コロナで実家に帰れなかった事にある。
自分の家から数十キロしか離れていない実家に帰れないという異常事態に私のメンタルは崩壊寸前になった。
帰りたいけど帰れない、お母さんに会いたい、思い出すのは子供時代の思い出ばかり。
家族で海に行ったり、山に松茸を取りに行ったり、餅つきをしたり。忘れられない思い出がたくさんある。
「そうだ。子供時代の思い出を書き出してみよう」
そう思いついて、パソコンに向かって子供の頃の思い出を書き始めた。
それが私にとって思いもよらない癒しの効果となった。
山に行った思い出は、山の冷たい空気を思い出させてくれて、苛立った気持ちを鎮めてくれた。
海水浴の思い出はジリジリと肌を焼いた感覚や、お母さんが作ってくれたお弁当の味を思い出させてくれた。どの思い出にも家族の姿が側にあった。
「私は家族に愛されて育ったんだな」
改めてそう感じる事ができた。
「そうだ、お母さんの80歳の誕生日に、これを絵本にしてプレゼントしよう」
その思いつきは私をワクワクさせた。母はきっと面白がってくれるだろう。ちなみに私の母は娘から絵本を送られても感動して泣くタイプではない。遠近法を指摘したりするタイプだ。
(まあお母さんが80になるまであと数年あるし、絵もゆっくり練習すればいいか)
そう思っていたが‥、光陰矢のごとし。漫画を読んだり犬と戯れている間に、あっという間に時が経過した。
(やばい、お母さん来月80歳じゃん)
母が80歳を迎える前の月に私はnoteを開始し、子供時代の思い出の公開を始めた。背中を押してくれる何かがないと、出来る気がしなかったのだ。絵本の期限は自動的に母の81歳の誕生日となった。
そして改めてまた子供時代に向き合う事になる。今度はコロナ禍も明け、実家にも何度も帰り、冷静になった今の自分がいる。
(あれ?私、思いの外、あんま可愛がられてなかった?)
気づいちゃった。というか思い出しちゃった。親に言われた一言。
「あんたは橋の下で拾って来た子だから」
このキラーワード、親から言われた事のある人はきっと昭和生まれの方だ。
この言葉は、昭和生まれの子供が宿題をしなかったり、親の言いつけを守らなかったりした時に親から言われる言葉である。因みにいいお家の方は言われた事はないと思うので、「ヘェ〜、庶民ってそうなんだ〜」と聞き流して頂きたい。
子供の頃の私はその言葉を真に受けショックを受けた。そして1人で庭に出てはるこ(犬)を抱きしめてさめざめと泣いた。今考えると私、超可哀想である。
この話を夫にすると「それ、ワシも言われた事ある」と言い出した。あ、中国地方在住の男性は自分の事を「ワシ」と言うひと結構います。藤井風もしかり。
「何なんだろねー?昔TVでそんなドラマでもやってたんだろうか?」
夫は首を捻っている。
不思議に思ったので、友人にも聞いてみた。
「え〜?言われた事ないよ」
そうだよね。変な事聞いてごめんね。
「でも、山で拾って来たって言われた」
‥‥そうなの?そっちのバージョン?
この「〇〇で拾って来た子」ってワード、数十年経っても忘れてないって事は、子供時代に結構傷ついたんだと思う。そんなお母さんの為に必死に絵本作るのもなんなので、絵本の期限は無しにして、のんびり作って行こうと思う今日この頃である。