まどか1970年代生まれ

昭和生まれの女子です。現在50代。 お菓子と紅茶と犬が大好き。 子供時代の思い出を今回…

まどか1970年代生まれ

昭和生まれの女子です。現在50代。 お菓子と紅茶と犬が大好き。 子供時代の思い出を今回noteで記録がてら書いていこうと思います。

最近の記事

愚か者の金

私が小学2年生の頃の話である。 ある日の午後、一つ年上の兄が興奮状態で家に帰ってきて、私に向かい「わし、すごい金持ちになったかもしれん」と言った。 「どしたん?」と聞くと、山で金の塊を拾ったと言う。驚いて覗き込むと、兄の手のひらには金色に輝くゴツゴツとした4センチ程の塊があった。 私はびっくりした。何処で手に入れたのか問いただすと、家から20分程離れた山の中腹にある、崖崩れの跡から友人達と一緒に見つけたという。 私は速攻で駆け出した。兄の「もうないと思うで」という声を

    • カンカンダンス

      先日の夕方、公園で犬の散歩をしていると、近所の小学4年生のKくんが自転車に乗って近寄り、私に声をかけて来た。 「ねえ、カンカンダンスって知ってる?」 K君はいつもうちの犬とボール遊びをしてくれる元気いっぱいの男の子だ。 「カンカンダンス? 何? カンカン蹴りながら踊るの?」 昭和の時代には缶蹴りという遊びがあった。今の子供達もまだあの遊びをしてるのだろうか? K君は鼻でふっと笑うと、自転車でやって来た友達と一緒に立ち去りかけた。 「え? 答え教えて…」 追い縋っ

      • ボンタンアメ

        私が小学生の低学年の頃、父親に連れられて数回パチンコ屋さんに行ったことがある。 今では親が子供を連れてパチンコ屋に行くなど炎上ものかもしれないが、昭和50年代はその辺も大変緩く、珍しい事でもなかったようだ。 その頃のパチンコは、一回一回玉を手元の金属のバーではじく、大変レトロな遊び方だった。その分玉の減りも緩やかで、父の少ない小遣いでも数十分間は遊べたようである。 私は父がパチンコを打っている姿を後ろから眺めるのが好きだった。玉がチューリップのような羽根に吸い込まれると

        • 夏休みの思い出

          夏休み、絵日記の宿題が頭を悩ませる。 本当に書くことがない。 ほぼ毎日、ラジオ体操と学校のプールにしか行っていない。どこにも連れて行ってもらえない。 昭和の時代、大人たちの休日と言えば、日曜日だけだった。父も週に一度位は家でゆっくり休みたかったのかもしれない。 だが、お盆休みは特別が押し寄せる。 叔父や叔母たちが子供を連れて祖父の家に泊まりに来るのだ。 母達女性陣は夜のバーベキューに備えてつまみを作ったりおしゃべりしたり楽しそうだ。そして父たち男性陣は‥昼からビールを飲

          宝物を失った日

          私が初めて人生に失望したのは小学2年生の時だ。 私は漫画が大好きな子供だった。 特にいがらしゆみこ先生の「キャンディ・キャンディ」が大好きだったので、漫画が掲載されている月刊誌「なかよし」の発売日をとても楽しみにしていた。 さらにコミックスまで欲しくなり、コツコツと善行を積み上げたり、誕生日に3冊買ってもらったりして、手元に漫画本を手に入れて、毎日何度も読み返してニヤニヤしていた。 今思うと私のキャンディ・キャンディへの想いは狂信的だったのかもしれない。 学校から帰

          母のお味噌汁

          先週の週末、私の実家に帰省した。 皆で天ぷらやお寿司などの豪勢な夕食を摂りつつ、いつもより深酒したりして、楽しい時間を過ごす事ができた。 飲みすぎた翌日の朝食は、やはり和食がいい。 翌朝、いつもよりゆっくり起きたら、朝食に母がご飯とお味噌汁を出してくれた。 こういう時にちょっとした幸せを感じる。 だが私の前に出された味噌汁のお椀を見て夫の動きが止まった。 味噌汁のお椀に黒い物体が突き刺さっている。 「これは‥‥魚?」 目の前の不審な物体を確認すべく、夫が眼鏡を探して

          橋の下で拾った子

          私がnoteを始めたきっかけは、コロナで実家に帰れなかった事にある。 自分の家から数十キロしか離れていない実家に帰れないという異常事態に私のメンタルは崩壊寸前になった。 帰りたいけど帰れない、お母さんに会いたい、思い出すのは子供時代の思い出ばかり。 家族で海に行ったり、山に松茸を取りに行ったり、餅つきをしたり。忘れられない思い出がたくさんある。 「そうだ。子供時代の思い出を書き出してみよう」 そう思いついて、パソコンに向かって子供の頃の思い出を書き始めた。 それが

          水曜スペシャル

          昭和生まれの子供達が熱狂したTV番組の代表といえば水曜スペシャルである。 水曜スペシャル(通称:水スペ)はテレビ朝日で水曜夜7時半から90分枠で放送されたTV番組である。内容はバラエティ、スポーツ、ドキュメントなど様々で、週ごとに内容が変わるスペシャル番組だった。昭和51年から10年間放送され、昭和を代表する番組だったと言えよう。 その水スペのなかで、特に「川口探検隊」シリーズは子供達に大人気だった。 川口隊長率いる探検隊が、未確認生物や猛獣などを追い求め、秘境を探検す

          危うく惚れてしまうところだった

          小学生の頃、家が近かった事もあり祖父の家でよく遊んだ。 祖父の家の隣家の畑は広大で、盆栽用の松の苗が畑一面に植えられていた。苗は畑である程度育て、盆栽用に形を整えた後、出荷していたらしい。 祖父の家の中で遊ぶ事に飽きた兄と私は隣家の畑に忍び込み、放置されていた大きな剪定鋏でチョキン、チョキンと気持ちよく松の苗の枝を切り落としていった。ちょうどご主人が剪定をされていた途中だったのか、枝が散乱しており、切っても大丈夫だと思ってしまったのだ。思い込みって恐ろしい…。 思う存分切

          危うく惚れてしまうところだった

          中1で初めて買った服の話

          私は中学生になるまで自分で服を選んで買ったことがなかった。昭和40年代には『おさがり』というシステムが横行しており、兄弟姉妹はおろか、近所のお兄さん、お姉さんの小さくなった服まで回ってくるという超エコシステムがあった為だ。 おまけにうちの母は洋裁が趣味で、母好みの渋い生地で『ジャンバースカート』、今で言うワンピースを作ったりしていたので、流行の可愛い服などとは無縁の環境で育った。 だが私が中学一年生の時、初めて市販の服を買ってもらえる事になった。私が一度位は自分で選んだ服

          中1で初めて買った服の話

          昭和のアイス

          昭和生まれの方は原くんアイスを覚えていらっしゃるだろうか?原くんというのは勿論元巨人軍の原辰徳選手である。 私が小学生の頃(1980年頃)に50円位で販売されていたこのアイスは、私がこれまでの人生に食べた中で一番固いアイスだ。味はソーダ味なのだが色が少し緑がかったブルーで、袋に原辰徳選手のバットを持った写真がプリントされていたと記憶している。だがこのアイス、同級生に聞いても誰も覚えていない。とても不思議だ。 それからメロンの形のプラスチックの容器に入ったメロンシャーベット

          とんび

          私のおじいちゃんは田んぼで米作りをしている。 おじいちゃんは田んぼに着くとピューっと指笛を鳴らす。するとどこからともなく現れた数匹のとんびが私たちの頭上で旋回を始める。 おじいちゃんはトラクターの荷台からビニール袋を取り出した。中にはぶつ切りにした魚のアラが幾つか入っている。おじいちゃんはそのうちの一つを手に取り頭上に向かって高く放り投げた。 旋回しているとんびが待ち構えたように急降下し、投げられた魚のアラをキャッチして飛んでいく。鳥と人間の言葉を介さない絶妙なコミュニケ

          ルマンド

          先日犬の散歩を終えて帰ってきたら、向かいの家の駐車場で、近所の小学生の男の子三人連れが寝そべってキャッキャ騒いでいた。 何してるの?と近づくとお菓子パーティをしているのだと言う。各々お菓子を持ち寄り交換して食べているらしい。楽しそうだね〜と言うとその中の一人がストロベリーの生チョコがついた棒状のビスケットを差し出した。 「これ、あげる」 どうしよう‥。私、余程物欲しそうな顔をしていたんだろうか? 私50代なんだけど小学生からお菓子貰っていいの? 色んな気持ちが渦巻いたが、

          お母さんの工作

          はるこはとても散歩が好きな犬だった。散歩という言葉を聞くだけで、後ろ足でピョーン、ビョーンと高く跳ね上がり喜んだ。どちらかと言うとご飯より好きだったかもしれない。だから毎日の散歩は欠かせなかった。もちろん雨の日もである。はるこは外飼いの犬だったが、うんちを庭ではしないため、雨の日でも傘をさし、長靴を履いて散歩に行かざるを得なかった。 私は散歩の時間が好きだった。特に雨の日は母と二人で散歩に行くのが恒例になっていて、学校であったことなどを話しながら散歩する時間はそれなりに楽し

          初めてのSDGs(リサイクル)

          うちの祖父は農家だった。 60歳で退職するまでは会社員だったらしいが、私が物心着いた頃にはすでに専業農家として生活していた。 とは言ってもそんな大規模なものではなく、親戚一同がその年食べる分の米と野菜を作っていた感じだった。 祖父には子供が5人おり、孫もそれなりに多かったので、皆の食料を祖母と2人で育てるのにはとても手が足らなかったらしい。 特に田植えや収穫の時期には親戚中が集まって手伝いをした。もちろん孫たちもである。孫たちはあまり役には立たない。トラクターでは植えるこ

          初めてのSDGs(リサイクル)

          主(ぬし) 後編

          「お母さんの家の主はね‥」 母はニヤニヤしながら話し始めた。 「蛇だったんだよ」 「へ、蛇?」 「そう。昔の家は柱がむき出しでね。2階の天井の梁に蛇が巻き付いてて、いつも家族を見守ってくれてたんだよ」 お母さん、それって捕食するために狙われてたんじゃ‥。 母曰く、蛇は結構大きな青大将だったらしく、その長さは1.5m位あったらしい。 そしてその主はいつも天井の梁にいるわけではなく、日中はどこかに行っていて、気がつくとそこにいるという感じだったらしい。 うちの主(蜘蛛)と