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会話の「噛み合わなさ」の正体

会話にひそむ難しさ

前回、同じ会社で働くAさんとBさんの会話を紹介しました。

ただ、同情してもらいたいAさんの話に対して、Bさんはその意図を汲めず、自分が興味を持っているおにぎり屋さんの話を滔々と続け、挙句の果てに一緒に行こうと提案しています。Aさんは忙しく、疲れていて食欲がないことの引き合いとして、たまたま、おにぎりを使っただけなのに、思わぬところにBさんは食いついてしまったのです。

結果として、Aさんは思いを遂げることはできませんでした。今回の例ではBさんは無邪気な性格として描いたので、Bさん自身が不快な思いをする描写にはしませんでしたが、性格によってはAさんの反応に不快感を示し、険悪な雰囲気になる展開も考えられます。

今回のように、会話を文字で表現すると、「Bさん、何でそうなっちゃうのよ。ちゃんとAさんの意図を汲んであげてよ」と思う方が多いと思います。しかし、実際の会話では、言葉の一つ一つを読み返すことができません

オフィスでの会話であれば、他に雑音があったりして、会話の一部がよく聞き取れないこともあります。カフェや、歩きながら、駅のプラットフォームや空港などでも同様でしょう。思っている以上に会話をしている環境は過酷なのです。
また、私は加齢とともに聴覚が衰えてきていて、雑音がない環境で普通に会話していても聞き取れないこともしばしばあります。一部しか聞こえておらず、たまたま聞こえた単語やフレーズが、キーワードだと勘違いしてしまうことは十分ありえるので、気をつけています。
文章で読むと滑稽に感じるものであっても、こういった「噛み合わなさ」、実際には頻繁に起こっているものです。

前回の話を読んでくださった方々からも「実は、私、Bさんになりがちです」、「旦那がまさにBさんです」のような感想をたくさん頂きました。

「噛み合わなさ」は知的な人との会話でも起こり得る

私は慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科で教鞭をとりはじめて、今年で17年目になります。狙ってイノベーションを創り出すことを目的としているユニークな大学院です。学生の7割以上が社会人で、職業も様々です。私よりも年上の学生さんもいれば、4年制の大学を卒業してそのまま大学院に入学したフレッシュな学生さんもいます。年齢もバックグラウンドも様々です。共通するのは皆、向学心があり、インテリジェンスがある方々ということです。

前職のコンサルティング会社の同僚たちの多くも向学心があり、インテリジェンスがあり、エネルギッシュな人たちでした。仕事で関係があった人たちも同様です。

知的な人達に囲まれているという意味では、私はとても恵まれた環境に身をおいてきたのだと思います。

ところが、そんな環境においても、どうも話が噛み合わない人が一定割合いることに気づきました。

口下手なわけではない、勉強もしている、決して相手の話を軽視しているわけではない、真面目、そんな人なのに、なぜか会話が噛み合わないのです。相手に悪意がないことは間違いないのですが(むしろ良い人の部類のことが多い)、会話をするごとに噛み合わなさを感じてしまう。
そんなことが続くと、だんだんその人と会話をするのがつらくなっていきます。
きっとその人も同じように思っているに違いありません。

一方で、そんなにお互いのことをよく知っているわけではないのに、会話がしっくりくる人もいます。とても生産性の高い会話ができ、1時間とっていた会議が20分たらずで終わってしまう。お互いに納得できる内容を議論でき、「良い会議だった」と思える、そんな相手もいます。

一体何が違うのでしょうか?

もちろん、話題に対する基本的な知識の多寡によるものはあります。
ただ、ここで挙げている「会話が噛み合わない」現象は、ある領域の「専門家」でも起こり得ます。むしろ、そのような人とこそ「噛み合わなさ」を感じることが多い気もします(※個人の感想です)。

「噛み合わなさ」の正体

世間的には知的だと言われる人の中にも、会話が噛み合いづらい人が存在するというのは、これまでの経験でも認識していました。それは私固有の問題ではなく、同じように感じている人も大勢いることも認識していました。

なぜ、それが起こるのかを、本質思考の文脈でずっとその事を考え続けてきました。そして、ようやく有力な仮説にたどり着きました。

それは、「具体と抽象のレベルの違い」です。

私たちが何かを考えるとき、常に具体的な事実と抽象的な概念を行き来しています。例えば、「この会議は予定よりも長引いている」という具体的な事実から、「時間管理が必要だ」という抽象的な概念に至ります。

しかし、人によって、この「具体」と「抽象」のレベルが大きく異なるのです。

この「具体」「と「抽象」のレベル差が、多くの会話の「噛み合わなさ」の正体だと思っています。

Bさんの失敗は、Aさんの意図を理解するというプロセスを踏まず、聞こえてきた「おにぎり」という単語にだけ食いついてしまったことでした。Bさんの頭の中では、Aさんが口にした『おにぎり』という単語と自身が最近経験した『おにぎり屋』という単語が結びつき、良かれと思っておにぎり屋の話を始めてしまったのです。

会話をする際には、会話の目的や全体像、相手の意図を意識し、理解することが重要なのです。まさに本質思考を意識した会話と言えます。

私の整理では、会話の目的、会話の全体像を把握するためには、抽象化能力が必要となります。抽象化能力が未発達な場合、会話の流れや全体像を捉えず、聞こえた単語に反応してしまうといったことが起こりがちなのです。

今回の例での「噛み合わなさ」はBさんの抽象化能力が未発達だったために発生したと考えられます。

「意図した会話泥棒」と「意図していない会話泥棒」

ちなみに、このAさんとBさんの会話を「会話泥棒」の話と捉えた方も多かったのではないでしょうか?

確かに目に見える現象としては「会話泥棒」そのものです。しかし、一般に言われる「会話泥棒」とは原因が異なります。

通常、意図的な「会話泥棒」は自己中心的な意思を持って行われます。言い換えれば、意思を持って、噛み合わない会話をしているわけです。会話泥棒をする人は、例えば、「会話とは自分について語ること」と誤解していたり、「話題の中心に自分がいるべき」と思い込んでいたりします。また、相手にマウントを取られたと感じて、それに対抗して「自分はもっと凄い経験をしている」とアピールすることもあります。こういった現象は、承認欲求の表れとも言えます。

今回のケースでは、Bさんは会話泥棒をする意思はありませんでした。Bさんはおにぎり好きだと仮定して描写しましたが、実際はそこまでおにぎりに興味がないかもしれません。ただ、Aさんがおにぎりを引き合いに出したから、良かれと思って、おにぎり屋の話を始めたのです。この場合は、誰もハッピーにしない会話が続けられることになってしまいます。

意図していない分、その対応はやっかいです。また、Bさんも、良かれと思ってした会話が原因で同僚とギクシャクしてしまうのは不本意なことだと思います。

本質思考を意識することで少しでもそんな不本意な状況を減らしていきたいものです。

次回は、私の「具体」と「抽象」の整理をご紹介したいと思います。

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