良いもの、良いことを見極められるのか
情報
20年前学生だった頃は、インターネットは珍しく、実家にPCなんて無かった為、情報の発信は人からのほうが多かった。
携帯が徐々に普及されていたが、文字数制限のあるeメールを駆使し新聞や文面、人伝に聞いたことを共有してきた。
人から聞くことだから、もちろんその人物を信用している場合、情報の信憑性は高かった。
あの店のラーメンは旨い、あの店の焼きそばはゴムみたいな味がする。
実体験を基に話されることだからあながち間違いではなく、ゴムみたいな味の焼きそばを食べた覚えがある。
わざと不味いところに行く罰ゲームみたいなものだった。
テレビでの情報はニュースやCMで受け取っていたが、身近ではない情報の信憑性は低かった。
ネットも普及され触るものの、ロードが遅くとても使い物にならなかった時代だった。
これをアナログというんだと思う。
現在
今は全く違う。
まず今の状況は近未来映画で見るような世界。
20年という歳月は恐ろしく感じる。
情報を仕入れる端末は倍以上になって、その情報量に圧倒されるようになった。
勉学を覚えるというよりスマホで調べるということが主流になり、今やデスクトップPCでさえガラパゴス化していく時代になってきている。
肝心の情報の信憑性についてだが、オープンなところから受け取っている分、信憑性に欠ける内容も入っている。
代表的なWikiでさえ、記載情報の90%は間違いということも書面に書いてあった。真実は定かではないものの、そうだとしたらWikiで調べて資料作成をするなどはやめておいたほうが良いと思う。
あらゆる情報があふれていることにより、選択が難しくなった。
ただしメリットは大きくあった。
情報が多くなったことで、質が上がったことだ。
ファッションやご飯の味などクローズな社会からオープンに変わり、おいしい味が均等に食べれるようになった。
不味い店にわざわざ行かなくても行った人の評価が見れることでおいしいお店を選べるようになった。
テレビや本だけでなくネットというものを身近なスマホで学習し続けることで、今の若年層の頭脳はより精度が高いと感じる。
見極めるために
あとは情報を精査する必要性がある。
これは昔からあったように人であったり、AIであったりと確証できるものが発信しているかどうかが大事になってくると思う。
また有益か無益かをしっかりと測ることも必要で、そのためには初めの情報だけではなく多角的に物事を見る目を養わなければいけない。
目先の情報に左右され、本当に見なければいけないことを蔑ろにする結果、傷つく未来があるということを理解しなければならない。
SNSやタイムラインで流れてくる中傷が本当にその人の真実なのか、自分を疑って人を見てほしいと願う。