言葉を信じていない。INFJに刺さったことば。
谷川俊太郎さん。
だいすきで、B大卒業制作でも詩を使わせて頂いて今年お亡くなりになりましたが、今もときどき読み返します。
僕は言葉を信じていない。
谷川さんは生前そうおっしゃったらしいです。
そう!それな!!
その一文を見た瞬間、膝が割れんばかりに打ち、砕かれる思いになりました。
(やれやれ…これだから文章書けないやつの負け惜しみは本当に見苦しいゼ…( ´-ω-)y‐┛~~)
違うの!いやそうだけど違うじゃん!谷川さんのいう、言葉っていうのは困った道具で現実に迫れないというか、言葉に対する失望みたいなのが基本ある。言葉だけでは伝えられないものがある。ってさ、INFJに刺さりまくるう…(~_~)
当たり前じゃない?
言葉を超えた存在はすべて信頼していますね
言葉を信じていないっていうのは言葉はほんとに後からきたもので存在のほんとの何かを捉えられない。生きる、の詩がみんながわりと感じ取ってくれたというのは、あそこに意味や説明が一切ないから。(インタビューより抜粋)
一切無駄なものがない。何て美しいんだろう。
もう首もげるかと思うくらいうなづいたよな!
学生、B大時代と無駄だらけ。手塚治虫先生が漫画から漫画を学ぶなとおっしゃられたように、絵から絵を学ばない。詩や写真や文章に触れる。ときどき旅行や、慣れないスポーツもやってみる!とにかく行動してみました。
ケガもしました涙。失敗なんかいちいち覚えちゃおりません( ;∀;)
詩を読むっていうことは自分を読むということ
自分とはなにか。何もねえ…!と思いながらも必死にもがいた学生時代。受験のふるいにかけられることで現実を見ていく。何とか実用化しなければ。描きたいものじゃないの、何を求められてるかなの、天才以外は。わたしは天才じゃないから、凡人なりの戦い方を覚えるだけ。
大事なことは詩人に聞くといいby糸井重里。
たとえば、谷川さんいわく生と死は反対のものとして捉えられているけど実際は連続している草野心平さんの詩の中に、死んだら死んだで生きてゆくのだ。それは僕は大好きで。
いよいよ混み合いだした引用の引用の引用…(@_@)だけど、わたしもすきです!草野心平さんといえば、物議を醸した「冬眠」シュールレアリズム?絵画的視点で読みなはれや的な汗?
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↑おわり。これだけ!マジで!ブラックホールを彷彿とさせる…言葉を一切使わないことで、眠りを表現しているんでしょうかねえ…(@_@)
解説によれば、カリグラム(視覚詩)の一種で、視覚的な要素のつよい詩だということ。
…実はわたしも日記を書くときに、全体的に見たとき自分がすきなかたちになるようにお重に詰めていくような感覚で文字を入れていくのがたのしくて。だからときどき句読点が抜けたり多かったり。それは見たとききもちがいいから
文章の正しさにあまりこだわりはありません!
(言ったな!誤字脱字人の言い訳ここに極まる)
自分で言うの、ダサいけどさ。
すきなものは、すきだからさ。
この書き方は、やめませんの。
続きます